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第三章(4)

「いったい、どういった依頼なのですか?」

「魔導書、つまり古代文字の解読」


 いたって普通の依頼で、アンヌッカの気が抜ける。


「それはいつものことではないですか。依頼先が研究所から軍に変わった、それだけだと思えばいいのでは?」


 マーカスの言葉に、アンヌッカも同意する。

 依頼先がどこであれ、やることに変わりはない。


「……だが、条件がな」


 どうしたものかと、アリスタが腕を組んだため、マーカスは依頼書をひょいっと奪い取った。このまま父親主導で話を進めたら、いつまでたっても終わらないのではと思ったにちがいない。


「ん? 軍の施設で?」


 マーカスの呟きに、アンヌッカも首を傾げる。


「どういうことですか?」

「どうやら、メリネ魔法研究所の所員を軍に常駐させてほしいという依頼だ。まぁ、仕事は魔導書の解読なのだが、その魔導書が禁帯本に指定されているため、軍施設から持ち出すことは難しいらしい」

「では、誰を派遣しましょう?」


 古代文字のエキスパートといえばアンヌッカだが、さすがにアンヌッカが派遣されれば、ライオネルに知られてしまうだろう。ばったりと顔を合わせることもあるかもしれない。


 マーレ夫人であるアンヌッカが軍施設で働いている。これは、マーレ家の名を汚す行為ではないだろうか。

 しかし、先ほどからやたらチクチクと視線を感じる。


 顔をあげると、こちらを見つめるアリスタとマーカスの顔が視界に入った。


「どうされました?」

「アンしかいないだろう?」


 アリスタが真面目な顔でアンヌッカを名指しする。


「そうですね……まして禁帯本となれば、その内容が複雑なのでは? となれば、やはりアンしかおりませんね」

「だが、アンはマーレ少将に嫁いだ身。軍に派遣するとなれば、マーレ少将が黙っていないだろう?」


 アリスタの言うとおりだ。


「では、誰か他の方に頼みますか? えぇと、エドワードさんとか?」


 アンヌッカは、自分の次に魔導書の解読が得意な所員の名をあげた。


「エドワード……。魔導書の術式の解読は優秀だが、古代文字はあまり得意ではないと認識しているが?」


 さすが所長だ。所員の長所と短所をしっかりとおさえている。


「そうですね。古代文字の解読もできなくはないのですが、細かいところが甘いといいますか、なんといいいますか」


 だからエドワードが解読した古代文字を、さらにアンヌッカが確認するということもざらにある。そういったこともあり、複雑な古代文字、難解な古代文字はアンヌッカが担当するのが主だった。


「だから、悩んでいたのだよ」


 ようは誰を軍に派遣するか。


 アンヌッカを派遣したいところだが、マーレ少将の夫人となった彼女では体裁が悪い。というよりも、ライオネルが反対するだろう。


 顔を合わせたこともないが、マーレ夫人が軍の研究所で魔導書の解読をしているとなれば、彼の肩身も狭くなるにちがいない。


「……あっ」

「どうした? アン」


 マーカスが驚いた様子でアンヌッカをじっと見つめてくる。その瞳には驚き以外の期待も込められているように見えた。


「考えてみたら、旦那様とはお会いしたことがないのです」

「あ、あぁ。そうだな」


 今度はマーカスからは同情の色がにじみ出てきた。


「つまり、わたしがマーレ夫人だというのは、名乗らなければわからないということですよね? 実際、あの結婚式に出席されたのは、王太子殿下のみ。王太子殿下とも顔を合わせたのはほんの少し。わたしだって花嫁の化粧をして衣装を着せられておりましたから、普段のわたしとは違うとは思うのですが……」

「なるほど……つまり、アンがアンじゃない人物の名を名乗ればいいってことだな?」


 マーカスもアンヌッカの考えに気づいたようだ。


「そうです。もともと、古代文字の解読依頼が来たときも、誰が担当しているかなどは漏れないように、必ず所長の名前で契約しますよね?」


 それは解読を担当した一人に、責任を負担させないようにという配慮のためだ。


「ですから、旦那様はわたしが古代文字に精通していることなど知りません。それに、旦那様はわたしの顔なんてご存知ないのでは? 仮にわたしがサリーの名前を借りて、軍の研究所へ行ったとしたら、旦那様はわたしをサリーだと思うわけです」

「だが、サリーはサリーでこちらでの仕事をこなしてもらわなければならない。そうなれば、サリーが二人いることになってしまう……」

「お父様。サリーの名は例えばですよ。知っている人の名前を出したほうがわかりやすいから借りただけです。つまり、わたしがわたし以外の名前を使えばいいわけです」


 アンヌッカの話をマーカスは腕を組んで黙って聞いていた。途中、何か言わんとしたのか唇を開きかけたが、すぐに閉じられる。


 自分の意見をすっかりと言い終えて満足しているアンヌッカは、父親と兄の顔を交互に見る。

 アリスタは腕を組んでう~んと唸ってはいるものの、アンヌッカの考えに真っ向から否定はしないだろう。


「……だが、誰の名を借りる? いっそのこと偽名を使う……?」


 独り言のように呟くアリスタだが、偽名を使ったとしたら相手が軍なだけにすぐにバレてしまう。


「父さん……ここは、プリシラの妹とか、どうでしょう? プリシラだってこの研究所の人間です」


 むしろ裏所長と呼ばれるくらい研究所を切り盛りしているのがプリシラだ。彼女には妹が一人いて、隣国のランサミトに留学している。

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