第三章(3)
「そりゃ、まぁ、私も。二十歳を過ぎたわけじゃないですか。そういう相手の一人や二人くらい、いるわけですよ。だけどなんかこう、結婚する決め手にかけるといいいますか……」
サリーがいわんとしていることもなんとなくわかる。結婚してもいいけど、しなくてもいいかなと、曖昧な気持ち。結婚に対して強い憧れを抱けないのだ。
アンヌッカがそう思っていた原因は、やはり古代魔法の魅力に取り憑かれたからだろう。もっと魔法の研究に没頭したいと思えば、結婚は枷になる。
相手に理解があり協力をして背中を押してくれるならまだしも、どうしても女性魔導士や女性研究者は、結婚を機に一線から退く傾向はある。
サリーの現代魔法は自然と調和させるのが特徴であり、そういった点では貴重な魔導士だ。どこかで災害が起これば、その復旧支援のために駆り出されることもしばしば。
井戸が涸れたと言われれば水源を復活させ、土砂が崩れたと聞けばそれを取り除く。攻撃的な現代魔法を古代魔法のように応用させる点が高く評価されている。
「それに、結婚した後も昔とかわらず、ここでこうやって仕事をしているわけですよね。それって、旦那さんに理解力があるからですか?」
サリーはいたって平凡な家庭の出だ。国家魔導士級の腕前を持ちつつも、環境のせいで国家魔導士になれなかった。
「そうですね。理解があるといいいますか……」
嘘はつきたくないが、だからといって現状を馬鹿正直に話してしまうのはマーレ家にとってマイナスになるだろう。
「結婚しても私の好きなものを続けていいとおっしゃってくれて」
「やだなぁ、アンヌッカさん。それを理解があるって言うんですよ。でも、ま。そういう相手だったらば、結婚してもよさそうですね」
空になったカップを手に、サリーは自席へと戻っていった。
派遣先での仕事のない魔導士らは、この研究所にやってきては好き勝手に過ごして帰っていく。サリーも、先日、派遣先の業務を終えたところで、当分はここの研究室での仕事だ。
といっても、彼女の場合は、魔力を備える植物の開発に興味を持っており、研究所にやってきてはその植物の世話だったり、実験だったりをして過ごしている。
これだって効果が認められれば、自然災害による被害を事前に防止できるものだと、サリーは言っていた。アリスタもマーカスもサリーの研究には一目置いている。
(わたしも、負けてはいられないわね)
結婚したからといって、何も大好きな古代魔法の研究を遠慮する必要はない。なによりも彼は好きに過ごせと連絡してきた。ただし、マーレ家の名を汚さない程度に。
社交の場で男を漁ったり、手当たり次第ドレスを仕立てたり、そういうことをすればすぐに悪名は広がるだろう。だが、アンヌッカにとってはどちらもまったく興味がない。
異性にちやほやされたいわけでも、自身を着飾らせたいわけでもない。
そんな時間があるなら、まだ読み解いたことのない古代文字で書かれている魔導書と格闘したほうが有意義な時間だ。
だから彼には、父親の研究所の手伝いをするとだけ、報告してある。
アンヌッカが魔法研究所に行っている間、屋敷にいるのはヘレナのみ。広い屋敷にヘレナだけでは心細いようで、その間はメリネの屋敷で働いていた使用人らが、日替わりで足を運んでくれていた。
というのも、新婚生活をマーカスに問われ、使用人が他には誰もいないことをアンヌッカがぼろっとこぼしてしまったのが原因だ。
もちろんマーカスは烈火のごとく怒り、それをアリスタとプリシラが鎮める始末。ああだこうだと三人が揉めた結果、日替わりで手の空いている使用人がマーレ家の屋敷に手伝いに行くことになったのだ。
もちろん、都合がつかず誰も来ることのできない日もあるが、徐々に屋敷に慣れていったヘレナも、そろそろ手伝いはいなくても問題ないと口にするようになった。
そして定期的に訪れるコリンズ夫人は、毎回、ライオネルからの手紙を持参する。そうなるとアンヌッカも、日々をどのようにして過ごしたかという、報告書のような手紙をコリンズ夫人に託すのだ。
手紙に書くのは、メリネ魔法研究所で父の手伝いをしているといった、無難な内容にとどめている。たまには、ヘレナと一緒にお菓子を作りましたなど、当たり障りのない内容。
そんな名前だけの結婚生活が数ヶ月ほど続き、いつもと同じように研究所に足を運べば、アリスタが眉間にしわを深く刻んで難しい顔をしていた。
これは、アンヌッカに縁談が届いた日のあの表情にも近い。
「どうされました?」
「あ、あぁ……アンか……」
声をかけると、アリスタは大げさなくらいにびくりと身体を震わせた。彼の机の上には、いくつか書類が広げっぱなしになっている。
「何か、問題でも?」
その書類をのぞき込むように、アンヌッカが身を乗り出した。
「問題ばかりだよ……マーカスを呼んでくれないか?」
マーカスは他の魔導士に付き合って、研究室にいるはずだ。
「わかりました」
兄を呼ぶというくらいだから、よっぽどのことなのだろう。
アンヌッカはすぐにマーカスを呼んできた。
マーカスからも何事だという不安な様子が伝わってくる。
「これを見てくれ。軍からの依頼だ」
「軍? 国立研究所ではなく?」
マーカスがそう聞き返すのも無理はない。いつも、依頼があるのは国立魔法研究所から。軍の魔獣討伐に同行するとしても、依頼先は研究所からなのだ。
だから軍から直接依頼が来たことなど、今まで一度もない。




