第二章(5)
「でも、この屋敷を見てわかったでしょう? もともと使われていなかったのよ」
「そのようですね」
「まずは、この屋敷を掃除するところから始めるしかないわね」
「はい。きれいに片付いてはいますが。やはり、人の住んでいない家はどうしても……」
当面のやることは決まった。屋敷の掃除をして、快適に暮らせるようにすること。
「それから奥様には、お仕事もありますよね? こちらのことは私にまかせて、お仕事に専念なさってください」
ヘレナがとんと胸を張った。
「ええ、そうね。でも、こちらを快適にするほうが先だわ。だってわたしたちは、ここで暮らすのよ? いくら旦那様が不在だからといって、メリネの屋敷には戻れないもの」
この屋敷で暮らすようにというのは、ライオネルからの指示書のような手紙にも書いてあった。どうせ不在であるなら、そんな命令を守らなくてもいいのではないかと思えるのだが、どうやら定期的に家のことを確認するらしい。
きっと昨夜の老齢の婦人でも使うのだろう。
「端から見れば、独占欲の強い旦那様にも思えますけどね」
ヘレナの言葉に苦笑する。
独占欲ではないだろう。どちらかといえば世間体だ。
結婚式を挙げた挙げないにかかわらず、誰と誰が結婚したという話は自然と広まっていく。特に、ライオネルの場合は軍人だ。昇進のために必要な結婚であるから、彼が階級のために結婚したのだと、誰だって想像するにちがいない。
「だけど、こんな状態であれば、わたしが社交の場に出るようなことはないでしょう? それだけはよかったと思うようにするわ」
夫が魔獣討伐で不在だというのに、妻だけが夜会だ茶会だと遊び歩いていたら心象も悪いだろう。
「奥様のそういう前向きなところ、大好きです」
アンヌッカもヘレナのそういう素直なところが大好きだった。
「さて、と。ヘレナ。やりますか?」
「はい」
アンヌッカはドレスに前掛けをつけ、部屋の掃除を始めた。今日は天気もよいため、部屋という部屋の窓をすべて開ける。
そうやってヘレナと二人で掃除をしていると、コリンズ夫人がひょっこりとやってきた。
昨夜は遅くて何も説明できなかったが、という前置きをつけ、この屋敷についてざっくりと説明をしてくれた。淡々と話をするコリンズ夫人だが、昨夜の印象とは異なった。どうやら昨日は、結婚式が終わったらすぐにアンヌッカがこちらにやってくるものだと思っていたらしい。それなのに、なかなかやってこないアンヌッカにしびれを切らし、それで必要最小限の内容だけ伝えて帰宅したようだ。
アンヌッカだって、そういった約束事があると最初からわかっていたら、それを守っていただろう。
だが、ライオネルからはなんの指示もなかった。そもそも、結婚式当日になって、結婚式を欠席するような相手だ。それも参列者とではなく、新郎としての立場だというのに。
とにかく昨夜のコリンズ夫人の態度は褒められたものではないが、そこに互いの認識の違いがあったことだけはわかった。
コリンズ夫人は、定期的に屋敷の様子を見に来るようだ。そう、ライオネルから指示を受けているらしい。
しかしアンヌッカも自分のことは自分でできるしヘレナも手伝ってくれるので、コリンズ夫人には無理のない範囲でとだけ一言添えた。
コリンズ夫人も、今では息子夫婦と暮らしているとのこと。だけどマーレ家には昔から世話になっており、その縁もあって屋敷の管理を任されたとのことだった。
コリンズ夫人の置かれた立場も理解し、彼女と相談した結果、十日に一日は様子をみにくるという話でまとまった。また、食品など必要なものは、昔からの付き合いの商会が届けてくれるようだ。
そういった細やかな手配もコリンズ夫人が根回しをしていたからだった。
「旦那様は、滅多にこちらにはお帰りになりませんから」
コリンズ夫人がそう言ったときには、アンヌッカもヘレナと顔を見合わせた。
とにかく二人にいろいろと話をしたコリンズ夫人は、右足を引きずるかのようにして帰っていった。
「悪い人ではないみたいね」
アンヌッカがぽつりと呟けば「そうですね」とヘレナから返事がある。
「ですが、いったい旦那様ってどのような方なのでしょう?」
「わたしも釣書で見たことしかないから、よくわからないわね。だけど、お仕事が大好きなのね」
だから屋敷にも戻らず、ずっと軍の施設で寝泊まりしているのだ。




