第192話 奥義の片鱗
「なんだこれは……?」
思わず声が出た。追い詰められた状況で不思議な現象が起きた。時間が静止したのだ。いや、静止したように見えるだけ……? でも、これに似た現象を話に聞いたことがある。武芸者が戦いの最中で体験したという神がかり的な出来事。
相手の動きが止まっている様に見えたり、こちらの攻撃が相手に吸い込まれるように命中したり、体が軽くなった様に思えたり……。自分のあらゆる感覚が研ぎ澄まされるような状態に置かれることが起きるという。師父からそんな話を聞かされたことがある。
「これは俺が引き起こした出来事……?」
信じられなかった。戦技一❍八計の数々の技、それすら習得に難儀しているというのに、こんな選ばれし強者、道を極めた達人だけに許された領域に足を踏み込んだ? 俺のような未熟者に出来ていいことなんだろうか?
「こ、これは……?」
更に不思議な現象が起きた。ティンロンの体が分身を始めた。いや、違う! これは技の軌跡? その一つ一つの姿には見覚えがある。今まで受けてきた技の動作全てだった。俺の脳裏に焼き付けられた八十回分の技の軌跡が今、目の前に全て見えている。しかも、見えているだけじゃない。それら全てへの対処方が手に取るように理解が出来た。その感覚に従って動けば、相手に致命的な一撃を見舞うことが出来ると、それが感覚的に理解できた。
「やるしかない! 勝てるとは限らないけど……。」
とにかく感覚に従って攻撃を繰り出すしかない! どの道、このまま待っていれば死んでしまう、殺されてしまう。だったらダメもとでもいい。最後に意地を見せようじゃないか! そう思うやいなや、体が吸い込まれるように動き出した!
「……うあああっ!?」
気付いたときにはティンロンが地面に倒れ、痛みを訴えていた。ゴロゴロと地面をのたうち回りながら。何が起きたのだろう? これを引き起こしたのは……俺?
「ば、バカな!? ゴミが反撃しやがった!?」
「何だったんだよ、今の動き!?」
「あんなのゴミにできる技じゃない!?」
やはり俺の引き起こした事象だったらしい。起こした瞬間は何をしていたのか覚えていない。あの不思議な感覚の状態を過ごした後、体が動くままに任せたら、こうなった。実際は気がついたらいつの間にかこうなっていたのだ。だから、自分自身がやった、という感覚が希薄だ。
「うう……、あれはまさか、あの技はまさか……!?」
「あの技って、なんですか、若様?」
「流派梁山泊が誇る究極奥義だ! だが、ありえない! こんなゴミに繰り出せるわけがない!」
「嘘でしょ!? そんな、俺らでさえ、まだ出来ない技だっていうのに!?」
俺はどうやら大それた事をしでかしたらしい。究極奥義……薄っすらとだが聞いた記憶がある。八相の技を極めた時、全てを兼ね備えた究極奥義が使えるようになると聞いたことがある。動の技四種、静の技四種、それぞれを極めることで開眼できるという。しかし、極めてすらいない俺に出来るのだろうか? 本当に俺が引き起こしたのならそれは同じ奥義だと言えるのだろうか?
「おのれ、許さん! 貴様のようなゴミに出来る筈はないんだ! なにかの間違い、ただの偶然の産物に決まっている!」
俺の放った攻撃は木剣によるもの。それは間違いない。ティンロンが立ち上がってから気付いたことだが、衣服の至る所に切り裂かれた跡があった。そこから見える皮膚にはアザのような打ち身の傷が出来ているようだ。
木剣なのに……? 木剣とはいえ、うまく扱えば大怪我を負わせることも出来るとは思う。でも切り傷さえ出来ている事に違和感を感じた。それほど、奥義の威力があったというのだろうか? 実剣なら致命傷になっていたのかもしれない。
「もういい! 貴様のようなゴミは容赦なく斬り捨てるまでだ! この剣でな!」
ティンロンは取り巻きに持たせていた自らの剣を持ち出し、俺に突きつけた。それをそのまま振り上げ……、
(……キィン!!)
金属音がしたと思った瞬間、何かが地面に落ちた。それは剣の刃だった。見上げるとティンロンの剣が折れているのが分かった。何らかの原因で折れたらしい。じゃあ一体何が起きたというのだろう?
「戦技一❍八計、落鳳波。」
「き、貴様!?」
「若様、私の弟子に手を上げるとは何事ですか?」
「ああ!? リャオ・パイフゥ!?」
「パイフゥ!? いつの間に!?」
ティンロンをはじめ、取り巻きたちが注目している方向には……師父がいた。何故ここに? 梁山泊から離れてしまえば、ここにいるだなんてわかるはずはないのに?
「フン! 貴様の不出来な弟子を査定していたのだ! オレを打ち負かした貴様の唯一の弟子がどれほどのものか確かめてやっていた!」
「それが……そのザマですか?」
「ええい、黙れ! 貴様の弟子がオレにわからぬ妙な小細工をしたのだ! オレが圧倒していたはずが、このような傷を負った! それを許すわけにはいかぬ!!」
「窮鼠、猫を噛む。」
「は? 何を言っている? 今はそんな諺の話をしているのではない!」
「それが今、あなたが体験した事実でしょう? あなたは鼠を追い詰めた猫。そして私の弟子は追い詰められ猫に噛み付いた鼠。正にそれではないですか。」
「クッ!? それがどうした! オレはそんな行為を許さんと言っているのだ! 鼠はおとなしく猫に食われればいいのだ!」
「あなたの行為が許されるとでもお思いですか!」
ティンロンは折れて刃のなくなった剣を振りかざし、師父に襲いかかる! 師父は平然と構え、一刀のもとに向かい来る刃を斬り捨てた。壊れた剣が更に破壊され、ティンロンの手からこぼれ落ちただの鉄くずと化した。
「バカな! こんなことが許されると思っているのか! 父上に言いつけてくれる! 梁山泊に反逆を企てたとな!」
「言いたいのいなら、言えばいい。だが、覚えておくがいい。私の弟子に危害を加えるというのならば、例え梁山泊全てを敵に回してでも、私は抗うだろう。そのためならば、我が身を再び暗黒の修羅道に落としてでも皆を斬り捨てる覚悟はある!!」
「う、うああ!? チクショウ、ちくしょう!!」
「わ、若様、お待ちを!!」
ティンロン達は師父に気圧され、追い立てられるように逃げていった。傍から見ていてもわかるくらいの恐ろしい怒気だった。あんな師父の姿を見たのは初めてだ。
――――この日以降、ティンロンの姿を見ることはなかった。今回、俺の命を狙いに来るまでは。この時の経験があったから、ティンロンは剣の道を捨て、刀の道に乗り換えたのかもしれない。確かにあんな経験をすれば使う気もなくなるかもしれない。