第189話 忌まわしき記憶。〜永遠の雑用係〜
――――三年前、アイツ、ジン・ティンロンと関わって印象的だった出来事はあの時だ。普段通り、梁山泊で鍛錬をしつつ、雑用を熟す毎日を送っていた俺は突然、関わりのない人物と接触することになった。
「この男です、若様! あの男、劉白狐の唯一の弟子というのがこの男なのです!」
数人の取り巻きに案内されて、綺麗な身なりをした10代前半くらいの少年が俺の前に訪れた。師父やレンファさん以外に知り合いがあまりいないので何事か、と思った。普段見慣れない光景に俺は戸惑うばかりだった。
「こいつが? ただの雑用係ではないか?」
「そうなんですよ! あまりの才能の無さにいつまで経っても雑用、入門したての底辺がやるような仕事を続けている男なんです!」
「ですんで、みんなから専属の雑用係って言われてるんです。本来ならココにいる価値すらない男なんでさぁ。」
散々な言われっぷりだが、こんな事を言われるのは日常茶飯事なんで、もう慣れている。ココにいる誰しもが俺を足蹴にする。そんな毎日を続けているのだから、感覚も麻痺してくる。一々落ち込んでいたら、何も出来ない。鍛錬と雑用に没頭しているのは、そういう事実から目を背けるためなのかもしれない、と今思った。
「パイフゥは何故、この男を弟子にとったのだ?」
「聞く所によると、豪農の所で奴隷同然に働かされているコイツを見て不憫に思ったから拾ってきた、とかいう話らしいですわ。」
俺がココに来た経緯はだいたいあってる。俺はとある大きな地主の所で働いていた。一体いつの頃から働いていたのかは記憶が曖昧で覚えていない。少なくとも家族の記憶がないのはハッキリしている。子供の時? そんな前の事は覚えていない。とにかくそれ以前の記憶というものが存在していないのだ。
「ココに入れる時は、近い未来に真の奥義を体得する逸材となる、とかなんとかで宗家にゴリ押ししてまで入れたっていう話です!」
師父との出会い、それすらハッキリとしていない。何か昔の記憶はすべて靄がかかっているかのように思い出せない。だけど、感情だけは残っている。あの時はそれまでの人生で一番、救われた気分だったことだけは覚えている。そういう意味でも師父は俺にとってかけがえのない人物なのである。
「あの男の養女もそういう経緯だったらしいですが、同情とかそんな理由でココに入れるってのはどうかな、って皆言ってます。」
「あの姉ちゃんは美人だからいいけど、野郎はねぇ、って話ですわ!」
「しかも、才能なしの約立たず! どうしようもないな!」
『ワハハハハハハッ!!!!!!!』
大勢の前で笑いものにされる。俺の人生の中で半分を占めているのではないかというくらい。そういう記憶は残っている。といかありふれた光景だった。その中で気付いた。真ん中にいる身なりのいい少年だけは笑っていなかった。逆に何か煮えたぎる怒りのようなものを感じた。それは俺に対して向けられているようだった。
「ええい、やめんか! オレはこの男に対して怒りしか感じておらぬ! それが貴様らにはわからんのか!」
「もし訳ありません、若様!」
「失礼いたしました! お許しを!」
「こんなゴミのような男を、あ奴は何故、弟子にしたのか!」
俺の感じた通りだった。俺に怒りが向けられていたのだ。俺が師父の弟子であることに対して、憤りを感じている? 俺の何が、師父の何が気に入らないのだろう? 少年の手元を見ると、鞘に入れられた豪奢な作りの剣があることに気付いた。彼も剣技を……? まだ若いとはいえ、少々重そうな剣を普通に手にしているあたり、それなりの使い手であることは間違いなさそうだ。
「俺が何故、怒っているのかわかるか?」
「いや……わからない…ですけど?」
彼の正体もハッキリしないのにわかるはずなどなかった。初対面の相手が何をしていたとか言われても答えられない。相手は明らかに自分の事を知っていて当たり前、という前提で話しているような気がする。だが、俺の事などお構いなしに怒りをぶつけようとしている。
「俺はあの男に勝てなかった! 剣技において天才である、このオレが! 事実上の剣覇と言われるあの男を倒せなかったのだ! 剣覇にふさわしいのは宗家の血筋である、オレだというのに!」
彼も師父に戦いを挑んだのか?、剣覇の座をかけて? 俺も何度か目にしたことがある。師父に対して勝負を挑んだ人間を数多く見てきた。その大半は剣技の使い手で、剣覇の座を巡って勝負を挑んできていた。剣覇の座につきたいのならばパイフゥを倒すべし、という暗黙の了解が梁山泊の内部で囁かれていたからとされる。
師父は剣覇ではない。宗家や他のおえらいさん連中から何度も打診されていたそうだが、全て断っていたらしい。これは本人が言っていたのではなく、レンファさんから聞いた話だ。理由はわからないが、頑なに拒んでいるという話だ。一説によれば、師父は外部から訪れた人間だから遠慮して辞退しているのだとも言われていた。真相はわからない。本人はそのことについて何も話そうとしないのだから。
「そのような男が貴様のようなゴミを弟子にしているのだというのなら……オレは最大限に利用してやる! 貴様を叩きのめすことで腹いせとさせてもらう!」
――――ここまで思い出して気付いたことがある。ティンロンは昔、剣を使っていた? 少なくとも刀ではなかったような気がする。間違いない。あの時見たのは直剣だった。反りの入った刀ではなかったはず……。