8.エマーリエ
サーディス王太子がネルダーラムの新国王に即位して半年、エマーリエらは母国オルタランへ帰還した。
エマーリエがネルダーラムに滞在したのは、結婚したのではなくて留学していたことにするための方便で、その方が双方の建前として都合が良かったからだった。
実際半年間遊学させてもらえたお陰でエマーリエは少しだとしても見聞を広めることが叶えられた。
ジャスティンの処刑を請け負ったことは結果的にネルダーラム王室へ大きな貸しを作ったことになり、政略結婚以上の強力な同盟関係を結ぶことに成功した。その功績を鑑みて、国王はダンフォースにエマーリエを妻として下賜することを決めた。
自国に「亡国の騎士」を引き止めておく狙いもあったが、ダンフォースが亡国の王子オルフェードであることも既に把握していたためだ。
ダンフォースは侯爵位を賜り、魔導騎士団の騎士として生涯王国へ尽くすことを誓った。
エマーリエはダンフォースに連れられて、ダンフォース侯爵領にある別荘近くの森を訪れていた。初夏の森は清々しい香りを放っている。
かつては魔獣が出ることで有名な森だったが、侯爵家の魔力で今は抑えられている。
「あの花嫁衣裳が無駄にならなくて本当によかったわ」
サーディスとの婚礼用に国を上げて用意したものは式を省かれてしまったために着る機会を失ってしまい、あのドレスは二度と日の目は見ないと思っていたからだ。
政略結婚でも、妻子持ちのお飾りの妻よりも、心から信頼できる自分の騎士に嫁ぐ方が断然いい。
自分がもうじき姫ではなくなることが、肩の荷が下りた気がしてエマーリエは気分が良かった。
ダンフォースのためにあのドレスを身に纏えるならばエマーリエにとっては本望だ。
ネルダーラムから帰国するまでの9ヶ月で小柄だった背はいちどきに伸び、年頃の娘らしい体型になった17歳のエマーリエに合わせてドレスは調整が必要になった。
これ以上エマーリエが成長してしまうとこのドレスを着れなくなるのを心配した王妃が、帰国して間もないにも関わらず二人の結婚を「今を逃すと着れなくなります」と急がせた。
「母が急かしてごめんなさい。あなたは私が妻で本当に構わないの? 」
「下賜されるのがあなたではなかったら、決してお受けしませんでした」
「どうして?」
「あなたが私の、緑の繭の主だからです」
ダンフォースは胸ポケットから取り出した緑色の石のような塊をエマーリエに手渡した。
「これは何の石? 翡翠ではないわね?」
「見覚えはありませんか? あなたが昔、この森で魔獣避けに作った卵の残骸です」
「えっ?」
「あなたはここで、火竜もどきの幼獣に追いかけられて、防御魔法で緑の繭のような卵を作ったのですが、その中に閉じ込められていました」
ダンフォースはにさらに続けた。
「殻がなかなか破けなくて困っていらしたので、私が魔法でほんの少し切れ目を入れておいたのです」
エマーリエはようやくその記憶にたどり着いたのか、目を見開いて両手でバッと口を塞いだ。
「そうだったの!? 自力で開けたと思っていたのに」
「四苦八苦しながら殻を脱いでいましたね、転んだりしながら」
「ま、まさか全部見ていたの?」
「あまりにも衝撃的でしたので、目が釘付けでした」
ダンフォースは、金色に輝く瞳を細めて楽しげに笑った。
「できれば、またあれを見せていただきたいものです」
期待を込めた眼差しでエマーリエをじっと見つめている。
あの日の緑の繭がなぜ緑色だったのかは、エマーリエの魔力が緑の魔法だからだと、とうに理解している。
「あの時以来あまり試していないのよ、出られなくなると困るから。ネルダーラムでもそうなってしまったし······」
実はエマーリエは他にも子ども時代にやらかしていて、 兄達にもあの魔法はもう使うなと言われていた。中から出られずに卵のまま誰かに連れ去られでもしたらどうするんだと。
「あれはもはや芸術品、いえ、家宝です」
「すこぶる残念な防御魔法よ。万年失敗続きの手品師みたいでしょ?」
エマーリエは赤面した。
「あなたの防御魔法はかなり改良が必要です。頭突き以外の護身術も身につけていただかないと」
「もうっ、意地悪ね!」
「ははっ。ですが、子どもの頃にあなたが作った緑の繭に私は救われたのです。私が今あるのはあなたのお陰です」
ダンフォースはエマーリエの手の甲にそっと口づけた。
「二人きりでいる時は、オルフェードと呼ばせてね」
「もちろんです、エマ」
養父と執事が二人の到着を待ちわびている別荘へ向けて、馬車は再び走り出した。