5.侵入者
エマーリエは天蓋付きの寝台の中、深夜に何者かにのしかかられたような重みで目が覚めた。それは夢ではなくて現実だった。
夜着の上から身体をまさぐられて戦慄する。
「だ、誰っ?!」
「私だ。サーディスだよ、エマーリエ」
まさか、サーディス殿下がこんなことをする筈はない。しかし声は確かに彼に似ていた。
エマーリエは直感的にこの男はサーディスではないと感じた。
「あなたは殿下ではありませんね、サーディス様なら、先ぶれを寄越す筈です!」
ではこの男は一体誰なのか?
夜着の中に男の手が無遠慮に侵入して来る。咄嗟にやめてと叫びながら頭突きをした。
「うっ······!」
それでもエマーリエの上から退こうとしない男に向かって、もう一度力を込めて頭突きをお見舞いした。
エマーリエは攻撃魔法が使えない。防御魔法は使えるには使えるが後が大変になるので極力使用しないようにして来た。
頭突きの痛みに堪えながら即座に起き上がると、庭先に出るための入口を足早に目指した。
エマーリエが廊下側に逃げなかったのは、護衛らが既にこの侵入者に制圧されてしまっているかもしれないと判断したからだ。
ダンフォースがこの部屋にかけた結界を破って侵入していること自体、尋常ではない。
この部屋自体は二階にあるのだが、バルコニーから直接階段で外に出られる造りになっているため、防衛上、結界を常に施している。
それが破られたことはダンフォースも察知して駆けつけてくれる筈だ。それまで時間稼ぎをしないとならない。
エマーリエはわざと部屋にある物を落としたり倒して、少しでも周囲に異変を知らせようとした。
震える手で施錠を外し、裸足で階段をかけ下り庭に出ると、真っ暗闇の中を全力で走った。
こちらのドアが施錠されてあったということは、あの男はやはり廊下側のドアから堂々と入って来たということなのだろう。
足の裏に砂利が当たって痛いとか言っている場合ではない。
とにかく逃げなくては。早くどこかに隠れなければ。
『万が一離宮で火災等が発生しましたら、とりあえず東屋へ避難を』
ダンフォースに以前そのように言われていたのをエマーリエは思い出した。東屋のある方へ行けば、なんとか隠れる場所が見つかるかもしれない。
そうすればダンフォースが自分を見つけてくれるだろう。
自分の騎士を信じるしかない。
エマーリエが走っているせいなのか、木々から羽音を立てて鳥が飛び立っていく。
グェとかギエェと、美しくない声で鳥が鳴いている。
自分が走る音と呼吸の音の他に、別の人間の走っている足音もしている。
背後から追いかけて来るのは寝込みを襲って来たあの男だろうか。
それとも私に向けられた刺客?
「嫌よそんなの、絶対に嫌!」
東屋を目指し走り続けていると、前方から提灯のような灯りが揺れて見えて来た。
それが味方のものなのかどうかもわからない。
でも、背後から追って来る者には死んでも捕まりたくない。
東屋にいる人影が立ち上がった気配がした。
「エマーリエ様!?」
前方から私を呼ぶ声はサーディス殿下のようだった。
(······サーディス様?こんな時間にどうしてここに?)
チラリと振り返ると、背後で「待て」と叫ぶ声がする。それもまたサーディス殿下の声なのだ。
これは幻聴? いや、違う。信じがたいが、現実なのだ。
困惑が止まらない中、前から近寄ってくるサーディス殿下の顔をはっきり確認できる距離までになった。
やはり自分が知っているサーディス殿下はこの人のような気がする。
殿下の護衛騎士が前に出て、警戒から剣を構えた音がした。
エマーリエは走り疲れて限界だったために、サーディス殿下達の前で立ち止まった。
息が切れて荒い呼吸のために言葉がすぐに出てこない。
背後から来た者も減速して立ち止まった。
サーディスは提灯をずいと掲げるとエマーリエの後から来た男に声をかけた。
「兄上、こんな夜分にどうされたのですか?」
エマーリエは驚愕した。
灯りに照らされて見えて来たのは、サーディスと全く同じ顔の男だったからだ。まるで双子のような姿を目にして絶句した。
(そんな······、 この国の王子は殿下一人の筈では)
「やあ、弟よ、折角だから俺にも新しい妃の味見をさせてもらおうと思ってな」
「兄上っ、なんということを!」
「フッ、まさか脱兎の如く逃げるとは、なかなかやるじゃないか、頭突きの礼もしないとな」
サーディスの兄らしき男は悪びれずに不敵な笑みを浮かべている。
殿下とは対照的な、粗暴で不快極まりない男だ。
それでも、 王族に頭突きをするのは不敬に当たる。しかも既に二度も食らわせていた。
エマーリエは頭突きでもダメなら急所蹴りをさらに加えようとしていた。
もしあの部屋に剣があったなら、彼に剣を向けてしまっていたかもしれない······。
殿下に兄弟がいたことを知らなかったとはいえ、これはかなり不味い状況なのではないだろうか?
最悪処刑の対象にされてしまうかもしれない。そうなってしまったら国同士の同盟関係はどうなってしまうの?
身を守るためとはいえ、自分がしてしまったことにエマーリエは愕然とした。
「姫!」
ダンフォースが転移魔法で目の前に現れると、即座にマントでエマーリエの夜着のままの身体を覆ってくれた。
エマーリエは彼が転移魔法を使ったのをはじめて目にした。それだけ自国がいかに安全だったかを思い知った。
こんな無力な自分だからこそ、ダンフォースのような護衛が自分について来るのは当然だと気がついた。
「サーディス殿下、どういうことかご説明下さいますか?」
ダンフォースは怒気を孕んだ視線を二人の男に向けた。黄金の瞳が闇夜の獣のように光った。
「お前がこいつの護衛か? 結界まで張って、転移魔法まで使えるのか」
近隣諸国で転移魔法を使えるのは、王族か王宮魔導師と相場が決まっている。
「今夜はもう遅い、説明はまた明日改めてさせていただく」
掠れ声でサーディスは返答した。
「承知致しました」
ダンフォースは黙礼するとエマーリエを抱きかかえ、再び転移魔法で瞬時に王太子兄弟の前から去った。
「······お願いダンフォース、あの部屋には当分戻りたくない」
エマーリエの着衣が乱れていたことから、襲われそうになったことは明らかだった。
自分が張っていたエマーリエの部屋の結界を破って寝込みを襲う王族がいたことに、ダンフォースは歯噛みした。
「どうしよう、私、殿下の兄君に頭突きを食らわせてしまったわ」
「正当防衛です、問題ありません。姫様がご無事でありさえすればよろしいのです」
エマーリエは今になって恐怖と怒りが込み上げて来た。
「······私、これからどうなるの?」
ショックと疲労で思考が追いつかない。
「今は余計なことは何も考えずに、身体を休めることだけに集中してください」
ダンフォースが魔法を発動し、エマーリエを深い眠りに誘った。
「ダン······フォー······」
騎士というよりも、これではまるで魔導師みたいだとエマーリエは眠り落ちる寸前にそう思った。