2.オルフェとルーラ
国境に差し掛かると、ダンフォースは一旦馬車を停め、変装用のカツラと衣類を取り出し手早く着替えた。
「姫様もどうぞ」
「私も? なぜ?」
「あなたは注目の的ですから」
エマーリエがネルダーラムに嫁ぐことは周辺諸国にも情報が流れている。無事に嫁ぐまで何が起きるかわからないのだ。
差し出された衣服を侍女達が受け取った。
異国の商人風の衣服とターバンを着用して微笑むダンフォースに思わず見惚れてしまった。
彼は元傭兵という割りには貴族の礼服も、騎士服も平民の服でも何でも着こなしてしまう。今のような服装で脚を組んでゆったり寛ぐ姿は、富豪や王族のようにも思える不思議な人だ。
『亡国の騎士』という異名まであるのに、エマーリエはなぜか彼から血生臭い印象を受けたことが一度もなかった。
オルタランのような小国では治安も良く、物騒な事件もほぼ起きず、エマーリエら王族が誘拐や襲撃されるような事態にもなったことはない。これまでの護衛達がそれだけ優秀だったということかもしれないけれど、噂通りの彼の実力を目にする機会がほぼなかったのだ。
国内の御前試合、対戦型の魔術大会などの行事的な場でしか彼の最強ぶりを見たことはない。
彼がエマーリエの傍にいるだけで威嚇という防衛になっているのかもしれなかったが、魔術を操ること無く剣を振らずにいることは彼にとって宝の持ち腐れにならないか、本領発揮ができないのではないか、それだけが気がかりだった。
藍色の短髪と金色の瞳の彼は、今は褐色の長髪のカツラを被りつけ髭までつけており、「オルフェとお呼びください」と挨拶する彼はまるで異国の商人だ。
「これでいいかしら?」
「よくお似合いです」
商人の娘風の服は軽やかで動き易い。地毛の薄紫の髪には複雑に編み込まれた褐色の髪のカツラを、顔の半分にベールを被ってしまえば、確かに私も別人かもしれない。
王族ではなくても私と同じ青紫の瞳の人はいるから目立つこともない。
侍女達もそれぞれに着替えていた。
「ネルダーラムの王都まではこれで通します、姫様はそれまでルーラと名乗ってください」
「大伯母様の名前ね、わかったわ。じゃあ、オルフェというのは?」
「私の義兄の名です」
「素敵な名前ね」
エマーリエはオルフェという名の響きをとても気に入った。
エルネストという名も悪くはないが、エルネストよりも彼にはオルフェという名前の方が似合うような気がするからだ。
「今後はお互いその名前で」
「御意に!」
ルーラという名をもらった姫は、いたずらっぽく微笑んだ。
国境を越えてしばらくすると、様々な市が立ち並び賑わっているのが見えてきた。エマーリエ達は休憩も兼ねて少しだけ散策することにした。
「ルーラ様、参りましょう」
「ええ、よろしくオルフェ」
心なしかダンフォースがいつになくにこやかでいるのが、これも演技だとしたら流石だと思った。
護衛としてあらゆる場面に臨機応変に対応しなければならないからだ。
私も王太子妃となるならば、演技も含む対応力はもっと身につけたい。
生まれて16年、そんな演技をそれ程する機会もなく来れた自分の環境が、いかに恵まれていたかを痛感する。
これからは実戦で身につけるしかない。
ダンフォースと連れ立って歩いていると、店先に並ぶ石が、日光を浴びて一瞬虹色に光ったのが見えた。
エマーリエは吸い寄せられるように近寄っていくと、光っていたのは菊石という名の渦巻き状の貝の化石だった。
滑らかに磨かれた表面が日の光で虹を放っていた。
なんて綺麗なのだろうと感嘆していると、そのすぐ横に花のような姿の石が目に入った。
「これは鱗が集まってできているの?」
思わず手に取って眺めていると
「それは砂漠の薔薇ですね」
ダンフォースがすぐに回答する。
「薔薇の花の化石?」
「本物の花ではなくて、結晶が薔薇の花のような形状で固まった石です」
「まあ、何でもよく知っているのね!」
彼が数多の国を放浪していたとか言う噂もあながち嘘ではないのかもしれないとエマーリエは思った。
「黄色いものと赤いものがありますが、どちらになさいますか?」
エマーリエが二つを見比べて真剣に悩んでいると、店主にこれとこれをと赤と黄色両方の砂漠の薔薇を速攻で購入するダンフォースがいた。
「いいの?」
「菊石はどれになさいますか?」
エマーリエがどれにしようかと思っていると
「別嬪さんにはオマケにしてあげるから、好きなやつを持って行っていいよ」
店主にそう言われて、小ぶりだけれど光線の加減で幾重にも輝くものを選んだ。
「毎度あり!」
店主から渡された、厚手の天鵞絨の布に包まれた化石達をそっと胸に抱き締めた。
「ありがとうオルフェ、大切にするわ」
思いがけない買い物にエマーリエは満面の笑みを浮かべて礼を伝えると、彼は今まで見せたことのない程の優しげな表情を見せた。
良い香りにつられて砂糖衣の上に砕いたピスタチオがちりばめられた露店の焼き菓子を試しに買って見た。
「?!」
砂糖衣よりも生地自体が超絶甘い、許容範囲を越えるダダ甘さに閉口した。
糖蜜が滴るほど生地に染み込んでいた。
エマーリエは今までこれ程甘いものを食べたことはない。
美味しいとか不味いよりも、とにかく甘い、甘さしか感じない甘くどさに思わず眉間に皺を寄せるエマーリエを見て、ダンフォースは肩を震わせ笑いを堪えている。
「あなたも半分食べて」
「かしこまりました」
彼はエマーリエの手から半分ではなく残りの全部を引き取って頬張った。
「熱砂の国では甘さの強いものが好まれるのです」
エマーリエはミントの効いたお茶を手渡されて、ようやく口の中の甘ったるさを中和できた。
エマーリエは自分の世間知らずさに嫌気がさしてしまった。嫁ぐ前にもっと色々なものを見てまわりたかったと今更ながら後悔していた。
馬車に戻り、気がつかないうちに浮かない顔をしてしまっていたのか
「どうかなさいましたか?」
侍女が声をかけて来た。
自分が何も知らなさ過ぎて嫌になると打ち明けると
「姫様はまだまだこれからでございますよ。これから様々なことを沢山見聞なされば良いのです」
「知らないということは、まだそれだけ伸び代があるということですから、それはとても楽しみなことですよ」
侍女と騎士になだめられて少しホッとするエマーリエだった。