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最後の手紙~夏、あなたと私~

作者: 斎藤 こよみ

拝啓、私が愛した唯一のあなたへ


幼いころからあなたが好きでした。

ふ、と落とすように、静かに笑うあなたの笑顔が好きでした。

静寂を愛するあなたの心が好きでした。


初めて会ったのはオレノール領のサレアにある湖の畔でしたね。

夏の休暇に父と、妹と共にやってきた私は、一人、湖の畔にある大きな木の下で読書をしておりました。

今でも読んでいた本の題名、あの日頬を撫でた優しい風、鮮やかな緑が目の前に浮かんできます。

突然吹いた風に帽子が攫われ飛んで行った先は、湖に遊びに来た、あなたの足元でした。

あの時、帽子を手に近づいてきたあなたのまっすぐな藤色の瞳が美しく煌めいていた事はよく覚えております。


それからというもの、夏になるたびにサレアへ遊びに行き、妹と、あなたと、あなたの友人と共に過ごしたのは私にとって輝かしくも懐かしい思い出の一つです。


何度目の夏でしたでしょうか。あなたからの想いを受け取ったのは。

普段は無口なあなたが常になく饒舌で、明らかに何か隠しているような様子で、今でも思い返しては、小さく笑みが漏れてしまうほどです。

真っ直ぐな藤色にこめられた熱に、驚いて走り去ってしまったあの時の私を許してください。

とても、そう、とてもうれしかったのです。あなたも私と同じ気持ちでいてくれたのだと、これからも同じ気持ちで夏だけでなく、他の季節も同じ時間を過ごせるのだと思っていました。


そしてそれからすぐのこと。

私は……王太子の婚約者として名が挙がってしまい、あなたへの返事もできぬまま、サレアへ行くこともできなくなってしまいました。

あの時、私があなたへの想いを、口にしていたなら。そこにどんな未来があったのでしょう。


新芽が芽吹く季節には、色とりどりの花に囲まれ、二人で花畑を駆け。

葉が青々と色づく季節には、爽やかな風の中、二人で木陰で休んで。

実りの季節には、虫の演奏で二人でワルツを踊り。

静かな休息の季節には、静寂に満ちた白銀の世界で二人で眠って。

そんな時間をあなたと、二人で過ごせたら良かったと、心から思うのです。


王太子殿下の婚約者として過ごすようになってからも、あなたと過ごした時間を忘れられず、あなたを思う時間が増えていきました。

王太子殿下は決して悪い人ではなく、むしろ優しく快活な方でした。

忘れられない人が、忘れたくない人がいる、と。そう不敬にも申し上げてしまった私に、あの方はそれでもかまわない、と笑ってくださいました。

それから季節は移ろい、サレアにも、家にも帰れずに3年の時が経ちました。

あなたと過ごしたあの夏が恋しい。

時折吹く柔らかな風に包まれ、あなたと共に駆け抜けたあの草原。


王太子殿下は過分なほどに私に心を尽くしてくださいました。

それでも、私の王太子殿下への気持ちは変わらず、熱く焦がれるような想いはいまだあなたへと向けられておりました。


宝物に触れるかのような優しいあなたの手を覚えています。

耳に心地よい、優しいあなたの声を覚えています。

駆け寄った私を危なげなく受け止めてくれたあなたのぬくもりさえ。

薄れることなく、今もなお(まばゆ)いままの、思い出たち。


あなたからの連絡もなく、私から連絡することもできないまま、私は成人を迎え、ついに王太子妃として公的にお披露目をすることになりました。


あなたと過ごした夏が来て、私はサレアへ想いを馳せていました。

今頃何をしているのだろう。

私があなたを想うように、あなたも私を想ってくれているのだろうか。


けれど私は王太子妃になってもまだ、恋に恋する愚かな世間知らずの小娘でした。

王太子殿下と参加した夜会。親切なご令嬢からあなたの結婚を耳にしました。

衝撃を受けつつも、頭の片隅では当然だろうと諦観する私がいました。


あなたへの気持ちを言葉にして返すことができなかった私がいつまでもあなたに想ってもらえているなど、どうして勘違いできたのでしょう。


王太子殿下はきっとこのことを知っていらしたのでしょう。

けれど、あの方は優しい人だから。私に言えなかったのでしょう。

いつまでも幼いころの初恋をひきずる私は、どこまでも愚かで、王太子殿下にどれだけ守られていたのかを理解しました。

真に私を慈しんでくださった、この方に心から尽くそう。そう、その時は思っていたのです。


王太子妃となり、慌ただしくも充実した日々を送っていました。

そしてサレアへ想いを馳せる暇さえなくなった頃―――。

国王陛下が崩御されたのです。死因は、いえ、ここでは関係のない話でしたね。

長年仲睦まじく寄り添った夫君が亡くなり、憔悴された皇后陛下は退位を決意なされ、王太子殿下、即位なされました。

皇后となった私はより一層忙しくなり、国内外を慌ただしく駆け回り―――。

1年が過ぎるころ国王陛下の子を身籠っていることが分かりました。

そして出産を迎え、陛下にそっくりな男の子が誕生しました。

それからの日々はあっという間で、我が子に愛情を注ぎ、皇族らしからぬ育て方をしました。

よく笑って、甘えて、元気に、賢く、そして健やかな子に育ちました。

私は陛下との間に3人の子をもうけ、全員に愛情をもって育て、全員が良い子に育ちました。

国のため、民のために辣腕をふるい。

私や、陛下が退位したとしても、立派に国を治めてくれるでしょう。


そんなあわただしい日々の合間に。ふとした瞬間に、どれだけの年月を経ようとも、いまだ色褪せないあのサレアでの夏を思い出します。

今ではもう声も、顔も、温もりもすべてが遠ざかって、しまっているけれど。

それでも陛下は、あの方は時折どこか遠くを見る私を優しく見守ってくださりました。


懐かしい。懐かしいと思ってしまっている私が、少しだけ悲しいけれど。

それでも変わらず私の心に在り続ける、サレアの湖の畔。


―――幸せでした。幸せに生きました。

あなたがいなくても、私は幸せだったわ。後悔もしなかった。



太陽の光を受けてキラキラと輝く髪が風になびいて。

熱を帯びた藤色の瞳。

あなたが、ふと落としたように笑う。


嗚呼。サレアの夏。湖の畔。

湖面の反射がとてもまぶしい。

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