3 どんな形であれど出発は出発
つまり、自分のことすらどうにもできない私が、この縁もゆかりもない異世界の救世主になって世界を変えろってこと?
先ほどの少女とは違うやはり白い装束の女性に細々としたことを説明されながら、とりあえずそういうことなんだと理解した。
さっきの少女がこの神殿(やっぱり宗教だった)に与えられた力である他の世界への扉を開く術を使うことができて? 私の世界とこの世界をつなげたところ現れたのは私だった?
あの子、なんだか天然っぽい感じだと思っていたのに、なんていうかこの神殿において凄い力を持っている? よくわからないけど。
いくつか理解を諦めれば状況は把握できた。
「つまり具体的に何をすればいーんですか?」
とりあえず自分の置かれた状況の説明が一通り終わったところで聞いてみる。
「巡礼をしていただきたいと思います」
「巡礼?」
悪魔とか化け物とか、そういう類を倒せみたいなことを言われるのを想像していたので正直拍子抜けした。
「はい。6つの聖地を巡り、神様の元へ向かっていただきたいと」
「聖地?」
「ええ、各地にある神様の力が満ちている土地です。神様への供物――献上品が奉られております。
救世主さまはそれらを手にして神様の元へと向かっていただきます。
救世主さまが神様に謁見されることで神様が目覚め世界は安定すると伝承には残されております」
伝承か。言い伝えのようなものだろう。きっと。
神様への謁見というのは初詣のようなものかな。
もっと神秘的なものではあるのだろうけれど。
しかし、神なんて目に見えないものに会うなんて本当に可能なんだろうか?
「とにかくその6つの供物?ってのを集めればいいんですね?」
「ええ、それぞれの聖地には連絡を出しておきますので手間になるようなことはございません。各地にはわたくしがご案内いたしましょう」
ちゃんと道案内もしてくださるのか。
先刻から少しも表情を変えることなく淡々と話す彼女は、多分私より年上だろうと見当をつける。
20前後ぐらいかな、美人だけど無表情が怖い。
そんなこの人を見やってほんの少しだけど憂鬱になった。
そりゃ道案内は助かるけど、まるで監視されているような。恐らくこの人にはそんなつもりはないのだろうが、雰囲気がさー。
「ありがとうございます」
とりあえずお礼を口にする。
好意なのだろうから無下にはできない。
「では本日は旅支度をしたらすぐにでもお休みくださいませ。明日早朝には出発致します」
「はい」
このまま出発ではないことに少しだけほっとする。
色々ありすぎて疲れていたからこのまま追い出されなくてよかった。
ゲームによくいる小銭と木の棒だけ持たせて「魔王を倒してこい」と無茶振りかます偉い人とは違って人情はあるみたい。
「旅支度は別の者お伺いします。申し送れておりましたが、わたくしシェリーと申します。何卒宜しくお願いいたします」
「あ、私こそ、宜しくお願いします」
「それではわたくしは失礼いたします、救世主様」
シェリーさんはそっけなく言い放つと、席を立ちそのまま部屋を出て行った。
一人残される。
「名前すら聞いてくれないとか……」
こっちの世界では私の名前などどうでもいいのかもしれない。
つまらないことだけど、少し落ち込んでしまった。
シェリーさんが退出して数分後、違う女性が私の居る部屋にやってきて白装束(みんなが着ているの)を旅装束にと渡されかけたが、やんわりとお断りした。
なんだか動きにくそうだったからだ。
とはいえ、私も制服である。
長袖ブラウスにベスト着用という軽装。鞄も通学用のそのまま学校指定の通学バッグ。
中には教科書とノート類、あとはスマホとハンカチとティッシュとかそんな感じ。
とても旅にはそぐわない。
唯一武器にできそうな竹刀は普段から学校に置きっぱなし。
あっても邪魔でしかないか。
そんな状態だったんで、スカートはそのままで、上着だけちょっと厚手の動きやすそうなのを用意してもらい、ウエストポーチのような袋と安全靴のような底が厚い靴を貸してもらった。
神官たちが清めた布で作られたマントを受け取って準備万端である。
マントってあたりがファンタジー要素が強い気がする。
私の勝手なイメージ的に。
借りたものを含め試着して鏡を見てみれば、ファンタジー映画に出てくる冒険者か旅人っぽくてテンションが上がった。
そして、マントって防寒具なんだなとしみじみ思ってしまった。
装備するのとしないのとでは全然体感温度が違う。
つけていると温かい。
石造りの建造物って寒いんだな。
服装をずいぶんと時間をかけて決め、白装束の集団が部屋から出て行きようやく一人になったときには、窓から見える風景はすっかり夜のものとなっていた。
暗い。
月とか街灯みたいなものは見えない。
世界が違ってもちゃんと夜はあるわけね。まあ、そりゃそうか。
ベッドに腰を下ろし、借りたウエストポーチのような荷物袋にスマホとハンカチを移しながら胸中でぼやく。
ちなみにスマホは圏外だった。
異世界だから、かな?
でも、ここが本当に異世界なんて実感がなかった。
あの人たち集団で私を洗脳してるんじゃないかという懸念も消えない。
お母さんをターゲットにしてて、まずは娘から洗脳するとか。
その場合異世界舞台にする必要はないから違うかな。
だいたい流行りにのっかるなら召喚するのは「救世主様」じゃなくて「聖女様」じゃないのか。
つらつらと色々思いついたことを胸中で垂れ流して、逃げちゃおうかなーと後ろ向きな気持ちになってきた。
話を聞く限りでは世界を救ってくれる人が必要なほどこの世界が危機的状況だとは思えないし。
なんで私が救世主なんだろう。
そんな大それた人間じゃないとも思う。
もしかしたら異世界の人間なら誰でも救世主様みたいな世界観なのだろうか。
それだとしてもなんで私が?の堂々巡りは終わらない。
戻れない、と聞いたから何となく旅立つことになっていたが、こっちの世界で暮らすという選択肢もあるのか。
両親やお姉ちゃんは心配するだろうな。心配をかけるのは本意じゃないけど。
剣道部のみんなも一部を除いて好きだ。会えないのは寂しい。
良くんのことは、密かに好きだった。
でも、良くんは私のお姉ちゃんが好きなことを知っている。
そしてお姉ちゃんは良くんのこと、弟か躾の行き届いた室内犬ぐらいにしか思ってないことも。
だからそんな一方通行な想いから逃げられるのは魅力的な気がしないでもない。
なによりこちらの世界なら、両親のことを知っている人はいないし、誰も私のことを知らない。
――やめよう。やっぱ駄目。
失恋如きで家族を捨てるなんてどう考えてもおかしい。
ほら、私ってば普通の高校生だし。
そんな大変なこと要求さてれも困る。
できないことはできない、やれないことはやれない、でいいんじゃないの!
だから――大丈夫。
役目を終えれば帰れるんだから、大丈夫。
よし。
こうなれば覚悟を決める。
やろう、やってしまおう!
決めちゃえば、もう目標達成のために動くしかない……んだけど。
「はあ」
「救世主様」
深いため息を漏らすのと同時に、コンコンと扉がノックされて、部屋に少女が遠慮がちに入ってきた。
件の私を召喚したという意外とデキる少女だった。
「失礼致します。お食事をお持ちしました」
見ればその手にお盆を持っている。
「食事?」
「ええ、おなかがすいていらっしゃるのではないかと思って」
残念ながら空腹は覚えていなかった。
というか、そんなの覚えているほど余裕があるわけない。
「ありがとう」
でも、お礼は言う。
気を遣ってくれるその気持ちはとても嬉しかった。
「こちらに置きますね」
そう言って、彼女はサイドボードの上にお盆を乗せた。
お盆の上にはパンがひとつとスープの入った皿がひとつ。
「質素で申し訳ないのですが、なにぶん修行僧たちしかおりませんので」
「あ!気にしないで!ぜんぜん平気」
むしろこのぐらいの方が完食できそうで安心できた。
食べ残すのは申し訳ないし。
「ありがとうございます。冷めないうちにどうぞ」
「いただきます」
促され、ベッドの上に座ったままお盆の上からスープの皿とスプーンを手に取った。
野菜のコンソメスープみたいなそれをひと掬い口に運ぶ。
おいしい! 随分と薄味だったが甘い。
これがテレビとかでよく聞く野菜の甘さってやつだろう。
夢中でもう一掬い口に運んだ。
「で、あの?」
二口目を口にして、目の前に立ったままの少女に視線を向ける。
なんだか見つめられていると食べづらいのですが。
「いかがですか?」
「うん、おいしいです」
「よかった」
本当に嬉しそうに笑う少女だ。
つられて笑ってしまう。
「あの、救世主様、わたし、あの、わたし」
「優絵。私の名前ね、片山優絵。何か『救世主様』なんて呼ばれても自分のことじゃないみたい」
「カタヤマユエ様。なんというか神々しいお名前ですね!」
「無理やりほめる必要はないんだけど…てか、優絵でいいよ。様付けて呼ばれるのも変な感じだし」
神々しいってどうやったらそう聞こえるのだろう。
内心首をかしげる。
「わかりました。ではユエと呼ばせていただきます」
優絵のイントネーションがちょっと違ったが、指摘はしなかった。
カタカナ読みされているような違和感がある。
うまく説明できないちょっとした違い。
でも救世主様呼ばわりされるよりずっといい。
「あ! わたし、私はケッティルと申します。ケティとでも呼んで頂ければと嬉しいです」
あわてて彼女も自己紹介して、私の前で小さく一礼した。
「それで?」
目の前に立ち尽くされても居心地が悪い。
スプーン片手に問いかけると、少女――ケティと呼べばいいんだっけ? はうつむいた。
「少しお話ができたら、と思ったんです。救世――じゃなくて、ユエと」
「私と?」
「どうぞ召し上がりながらで、どうか」
「はい」
彼女の必死そうな懇願に私はうなづいて、スープ皿をお盆に戻しパンを手に取った。
お言葉に甘えてちぎって食べる。
こっちもおいしい。
「ごめんなさい!」
素朴だけれど、それがいい! とパンに舌鼓を打っている私の目の前でケティは突然頭を下げた。
「本当にごめんなさいっ!」
私に向かって謝ってくる。
「あの? 何?」
「勝手に召喚なんてしてしまってごめんなさい。さっきは興奮していて世界を救ってくださいなんて勝手なことばかり言ってしまって。ユエにはユエの世界があるというのに」
頭を下げたまま、ケティは続ける。
「本当に勝手なことばかり……押し付けてごめんなさい」
この子は、いい子なのだろう。
土下座でもしそうな勢いの彼女を見て、そう思う。
いい子過ぎて泣きたくなった。
「救世主っても、巡礼だけなんでしょ? 神様に会えたら帰れるんでしょ?」
「でも、ユエには関係のない世界なのには変わりありません。いくら神様のお力が弱っているからといっても自分たちでどうにかしなければいけないのだと思うのです」
……ん? 何かひっかかった?
神様の力が弱っている? そんな説明さっきなかったような。
「でも神様のお力がなければこの世界がその形を保つことはできません。
わたしたちの使う力はすべて神様のお力のもの。力の源の違う異世界の救世主さまに頼らざるをえませんでした」
何か、ちょっと話が違う、ような?
「ですが、それはユエにとってはいい迷惑ですよね」
「ケティ、ちょっと、顔上げて」
「いいえっ! とてもとても…」
「いいから!」
パンもサイドボードの上に戻すと、私は半ば強引にケティの肩をつかみ顔を覗き込んだ。
「ユエ…」
「どういうこと? シェリーさんの話を聞く限りそんなこと一言も言ってなかったような気がするんだけど」
半泣き状態のケティはただ目を伏せて私の目を見るのを避けているようだった。
「ごめんなさい」
そんな私の手を振り解き、再度詫びるとケティは部屋から飛び出していってしまった。
怒りはなかったが、えもいわれぬモヤモヤ感ばかりが残ってしまった。
どうしようもないので食事を済ませ、そのまま横になった。
食べてすぐに寝ると牛になるよ優絵、と子どものころ散々お父さんに言われたことをふと思い出して、急に家族に会いたくなってしまった。
じわりとまなじりに滲んだ涙に気づかぬふりをして足を抱え込むようにベッドの上で丸まった。
自衛のためだった。
「ユエ!」
ばたんと、ドアが壁にぶち当たる音で私は目を覚ました。
あのまま寝てしまっていたようだ。
何事かと起き上がり、寝ぼけまぶたをこする。
あまり朝に弱くないというのはこういう時困らなくて良い。
部屋に転がりこんできたのはケティだった。
「ユエ! 出発です!」
切羽詰った物言いをする彼女の様子に、素早く用意を整えた。
ていうか服も変えずに寝てしまったので袋とマントぐらいの準備だったが。
下ろしていた髪は高い位置で一つに括る。
「シェリーさんは?」
「予定が変わったんです」
力強く言うわりには目が泳ぎまくっている。
嘘がつけないのだと思う。
私の母は女優なので本当に巧妙に嘘をつく。
そういう母を持ったせいかある程度嘘を見破るコツは掴めていたが、そういうノウハウを必要としないほど明確すぎる。
本当にこの子は実直すぎるぐらいだ。
「と、いうわけでいきましょう!」
「出発には異存はないですが、ケティ、それは窓ですよ」
さあ、と窓を示す彼女に冷静に突っ込むとケティは大きく首を横に振って見せた。
「旅立ちは窓から出て行くのが慣わしなんですよ」
やはり目が泳いでる。
「嘘つけ」
「じゃあ、伝承でそうなってます」
「じゃあって、適当っぽいなぁ」
「なら! どういえばいいんですか?」
悲しそうに目を伏せるケティに、小さく息を漏らしてしまった。
「正直に言えばよいかと」
「神官長さまには反対されていたのですが、やはりわたしが案内をしたいと、思いまして」
本当のことを口にすると、ケティの目はまっすぐに私の目を見る。
「わたしが無理やりユエを召喚してしまったのです。最後まで見届けたいし、ユエの力になりたい。ユエを守らせていただきたいってそう思いまして」
言いたいことはよくわかった。
ケティらしい決心だと思った。
「でも」
「もう決めました」
私の言葉をさえぎる様に言って、ケティは少し微笑んだ。
何を言っても無駄、という感じだ。
「わたしのしたことは自分で責任を取りたいんです」
昨晩言ってた勝手、って奴だろうか。
正直なところ、私的にはぜんぜん気にしてなかったりするのだが。
ただ、この世界のことを正確に教えてくれなかったシェリーさんに対しては不信感がある。
シェリーさんに比べればこの素直なケティならば信頼できるし、安心して旅立てると思うけど。
「さあ、早く行きましょう。ユエ。シェリーさまが来てしまう前に」
ホントに勝手を貫くつもりのケティは言いながらも布団からシーツをはぎとると二枚のシーツを使ってロープみたいなのを作りはじめた。
まったく。
「ケティ、手伝う。何すればいい?」
「そちらのシーツをとってください」
はいはい。
こうして、私の救世主としての第一歩はシーツのロープで伝って降りて始まったのであった。