2 帰れないんです!
ストーカー予備軍を避けるように、午後は大人しく過ごし、放課後は本気を出して逃げてみた。
本当に部活がなくてよかったと心から思う。
本日は両親とも(勿論姉も)泊りがけの仕事で不在だし、ちょっとぐらい遅くなっても誰も何も言われない。
寄り道をすることに決めた。
何となく家にいるのも嫌だった。
学校最寄りの駅周辺の店を適当にぶらつき、スポーツ用品店に向かうことにした。
筋トレ用のジャージが欲しい。
テナントビル1階にあるスポーツ用品店ではちょうどトレーニングウエアのバーゲン中だった。
でも、今日は持ち合わせがないから下見だけ。
店内のいたるところに「ウエア10%オフセール」というポップが貼られていて購買意欲が高まる。
悩みに悩んで二つまで候補を絞った。
本当は両方買いたいぐらいどちらにするかは選びがたい。
他も見ていこうと、移動してみることにした。
最近流行りのアウトドアコーナーに到着。
キャンプ飯が流行っているっぽいけど、料理ほとんどしない私にも作れるのか?と調理器具を中心に見てみることにする。
やっぱ外で食べるカップラーメンが最強でしょ! とシングルバーナー一つでソロキャンする自分を想像しておかしくなった。
家にいるのと何ら変わりがない。
目線を上げると、にやにやした自分が窓ガラスに映っていることに気付く。
恥ずかしい。何やってんだろう。
ごまかすようにその窓から外を伺えば、向かいの家の庭先から伸びる枝がふと目に入った。
何の意図もなく枝先を見やれば先端に白い花をつけている。
椿のようにも見えるが、時期が違う。
ちょっと形も違うかもしれない。
何よりも一輪だけしか咲いていないのも無性に気になる。
ちょっとだけ外に出てみることにした。
店から外に出ると、外はもう薄暗く人通りの少ない裏通りはなんだか気味が悪いように感じられた。
しかし、先ほどの花が気になる気持ちが強く、躊躇わず足を進めることにする。
塀の上に伸びた白い花を目指し、真っ直ぐに進む。
真下にたどり着き――
―――と
「あれ?」
ぐるっと視界が回った。
頭上にあったはずの花が足元にある。
「え?」
何これ?と口に出す前にもう半回転。
眩暈?と首を傾げている間にもどんどんぐるぐると回転し、その勢いは激しくなっていった。
目が回りそうになりながらもなぜか私は必死で白い花に手を伸ばしていた。
すると、花だけ回転している世界からぷつりと切り離され、私の手の中に落ちてくる。
こんな激しい目眩を起こすなんて、ヤバいのかもな。
死ぬの? かな、死ぬのはイヤだな。
怖いな。
手の中の花を握りつぶさないように気をつけながら、しかし離さない様にしっかりと握り締めながら、ぎゅっと目を閉じた。
深い闇――手元を照らす、白い花。
不思議と怖いと思う気持ちは沸いてこなかった。
◇◆
「……っん」
自分の喉で鳴らされた音で目が覚めた。
背中に堅い床の感触。
そして、ぼんやりとぼやける視界にあるのは、おそらく天井。
白い石みたいなつるつるとした素材なのは、はっきりしない視界でもわかる。
「ここ、どこ……」
声が枯れてる。ガラガラだー……。
ぼんやりと考える。
喉、渇いたなー。
ん、なんかすごく声、響いた気がするんだけど……?
ホールにいるみたいな反響音? どこ? 思い当たる場所がない。
やたらとボーっとしてしまっているのは、あまりの気持ちの悪さに思考力が低下しているのだろうなと、判断を下した。
何なの、これ?
「お気づきになられましたか?」
あどけない、女の子?の声だろう。
呼びかけられる。
「気持ち、悪い」
あまり物を考えられるような状態ではなかったので、それだけ洩らし、私の意識はまた混濁した。
次の目覚めは穏やかだった。――比較的。
一瞬、やばい、遅刻!? と焦ったが、すぐに見慣れぬ天井にここが家ではないことを思い出した。
知らない場所だった。
つやつやした天井の材質は、石、だろうか。
やたらと高い。吹き抜けか何かってくらい天井が高い。
そして、なんだかいいにおいがした。ほんの僅かだけれど、コロンや芳香剤のにおいとは違うような。
視線を動かすと、枕元に花瓶に一輪の白い花が生けてあるのが目に映る。
香りの元はこれか。
ボタンに似ているけど、花びらがちょっと厚めで、おしべが長め。
さっき私が気になった花みたいに見えるけど。
しかし、あれは木の枝に咲いていたが、これは一輪の花である。
にしても、というか、ともあれ、なのか? つまり私は花にみとれて、貧血かなんかを起こして倒れてしまったところを誰かに介抱してもらった、と考えるのが妥当?
「気分はいかがですか?」
唐突に声がかかる。おぼろげだが、聞き覚えのあるような声音。
あ、さっき朦朧とした中で聞いた声、じゃないかな。
いつまでも寝転がっているのも申し訳ないので、とりあえず上半身を起こした。
「あ、あまり、ムリしないで下さいね」
起き上がった私に駆け寄ってきたのは、幼さを残す女の子だった。
「? どうしました?」
にこやかな表情、丁寧な口調で首を傾げるその女の子。
私よりも、少し年下なのだろう、カラーリングとは無縁そうなつやつやした黒髪をショートカットにしていてとても可愛らしい女の子。
……なのだが、その服装が白い魔法使い? のようなローブ? そしてひらひらしたマントをはおっていたりしなかったら、の話。
疑問符が頭の中にあふれ出す。
趣味のコスプレでしょうか?
「えーと、色々と思うところはあるのですけど、とりあえず、ありがとうゴザイマス?」
お礼が疑問系なのもどうかと思ったが、頭の中は「?」がいっぱいなわけなので、申し訳ないが仕方ない。
小さく頭を下げる。
「いえっ、そんな丁寧にして下さらなくても……」
女の子は恐縮した様子だが、私なんかより彼女の方がだいぶ丁寧だと思う。
「えーと、何かちょっとは元気になったし、そろそろ帰らなきゃ」
ベッドから立ち上がると、女の子は困ったように眉をひそめ私の前に立った。
私の方がほんのちょっとだけ身長が高かった。
「帰られてしまうのですか」
「ええ、まあ、いつまでもお邪魔してちゃ悪いし」
本音を言うと、このコスプレ少女がコスプレじゃなくて、怪しい宗教だったら怖いなぁと思ったから早く逃げたいだけなんだけど。
「あなたは宗教ですか?」なんて直接聞けない。
なるべくうまく濁して帰るのが懸命だと思う。
「家族も心配――」
「あのっ!」
口実を探しながら口を開いた私の言葉に彼女は言葉を重ねてくる。
「あのですね! ちょっとだけでいいので、話を聞いていただけませんか!」
必死なセリフに、嫌な予感を覚えた。やはり宗教だろうか。身構える。
「何?」
「帰れ、ないんです。帰すことができないんです。
――あなたが、世界を救ってくださらないと」
「はい?」
やっぱ宗教だ。それもカルトっぽいやつ。
私はとっさに判断し、2、3歩後退して、ベッドに倒れ込んでしまった。
やばい、逃げられない。
「あ、大丈夫ですか?」
彼女が手を差し伸べてくるが、手を振って断りつつも慌てて自力で立ち上がる。
後方に逃げ場はない。
女の子をどうにかしなければ逃げられない。
武器になりそうなものは……と状況分析をしてしまう。
完全にパニックになっているのは自覚している。
パニックになっても仕方ない状況ではなかろうか。
何とか冷静にならなくちゃ!と焦りが焦りを呼んでしまう。
「えーと、つまり、どういうこと?」
「あなたは、伝承にある救世主様なのです!」
必死に冷静になろうとしている私に少女はずずいっと詰め寄ってくる。
だめだ、この子、電波っぽい!
説得とか無理目じゃない?
「私が、そんな大層なものなわけないでしょ?」
いやだなぁと笑うと、真剣な顔で少女は首を横に振った。
「いいえっ! 救世主の訪れを予言するというシルキアの花が、あなたがこちらにいらしたとたんに花を結びました。間違いありません」
花の名前は聞いたことがなかったけれど、彼女が一瞬だけ向けた視線からそれが枕元に飾られていた白い花だということが想像できた。
しかし、この花、私が見た時には既に咲いてなかったか? いや、あれは木に咲いていたからこれとは違う花なんだっけ?
「そんなこと言われても、世界って何? 日本? 地球全体? 脳内ワールド?」
「いえ! 説明が足りなくて申し訳ございません。
救っていただきたいのは、この世界――あなたの存在する世界とは異なる世界です」
「はぁ?」
あまりにもブっとんだ答えにめまいがして、そう返すことしかできなかった……。