1 日常とコンプレックスと
「今日もばっちり普通!」
昼休みが始まったばかりの女子トイレの中、洗面台の前に一人、私は 自己暗示をかけるように鏡に映った自分自身に唱えていた。
「大丈夫、目立ってない」
傍から見ればこれ以上なく怪しい人物だと思う。一応トイレの個室には誰もいないことは確認済みである。
髪はきちんと整えて一つ結びにしているし、スカートの長さも膝がしっかり隠れている。制服の乱れなし。ごく普通の女子高生だ。
準備は万端。それじゃあ、行こうか学食へ。
「優絵」
学食へ向かっている途中で呼び止められ、足を止めて振り替えればお馴染みの顔があった。
「良くん」
「主将」
名前を呼ぶとかぶせるように訂正してくる。
「りょ――」
「主将」
ぶれない。
同じ剣道部の1学年上の先輩だが、同じ区画にすむ幼馴染みだ。
かつ、私が小さいころから通っている剣道道場の館長の孫でもあるのでいわば兄弟子でもある。
先輩後輩というより家族のように気安い間柄だ。
昨年の夏に、三年生が引退して主将に就任してから、私相手にやたらと主将風をふかせるようになった。
もう高校3年生なんだからそんなことで威張ってないで落ち着けよと内心思っている。
指摘はできないけど。
「石津、シュショウ?」
食堂に急流がごとくなだれこむ人波のなかで足を止めていたためか、辺りから向けられたいくつかの視線に気づき少し慌てる。
「進路妨害してるんで!」
注目されることは避けたい。
廊下の端へと良くんを誘導しながら一緒に移動し、もういちどこの幼馴染みを見やる。
こんなところで話かけてくんなよという気持ちを視線に込めて。
「で、シュショウ、何のご用でしょうか?」
「うむ、今日第二体育館が清掃作業で使えないんで部活休み。
各自で筋トレと自主練よろ」
「それをわざわざ今この場で呼び止めて伝える必要ある!?」
昼休みの席争奪戦は時間との戦い。
誇張なく死活問題だ。
思わず棘のある言葉を漏らせば、良くんは溢れんばかりの笑顔で答えてくださった。
「もちろん嫌がらせだ、幼馴染みくん」
「効果テキメン過ぎ! もう行くからね!」
「ははは、飢えろ~、飢えろ~」
まるで呪いのような笑い声を振り払うように食堂への波に再び紛れ込む。
時間は少しロスしたけど一巡目には間に合いそう。競歩のような速度で食堂に滑り込み辺りを見回せば、まだいくつか席は空いている。食べ終わった人の席をひたすら待つハイエナ行為は避けられそう。
とりあえずは一安心。
よかったよかった、と、一人分座れそうなスペースへ素早く移動し、近くに座っている人に空きを確認して座席をキープすることに成功した。
やった、良くんの呪いには打ち勝った。
浮かれ気分を表に出さないように気を付けながら、食券の券売機前に移動する
部活が休みだったらそんなにガッツリ食べなくても問題がない。
ならばここは月見うどん一択だ。
卵が入っているだけなのに、心が躍る一品。
大好き!
ただ部活があるときはうどんだけだと帰り道でエネルギー切れが確実なので、部活が休みでかつ食堂利用と条件が重ならないと食べられない。
今日は、うどん♪ 月見♪ 月見♪ 月見うどーん♪
上機嫌で作詞作曲:片山優絵な歌を脳内にて奏でながら食券を購入し、麺類受け取り口へと軽やかな足取りで進んだ。
いつもの無愛想な学食のおばちゃんに食券を渡して待つ。
ふと、意識したつもりはなかったが、食堂中央に吊り下げられているテレビを見てしまう。
校内で唯一テレビを見ることができる場所。
それを目当てに食堂に来ている生徒もいるらしい。
今は見慣れた消臭スプレーのCMが流れている。
何気なく一瞥して、沸き上がった嫌な予感に背筋がすっと冷たくなった。
あれ、今日って、何月何日だっけ?
近くの壁にかかっているカレンダーを見て確認する。
6月も半ば。少しずつ暑くなりかけている今日このごろ。
あれ、今日ってもしかして……?
CMが終わって、番組が再開される。
普通のトーク番組。
ゲストは、中堅所の人気女優だった。
カメラに向かってにこやかに微笑むその顔は、ドラマやバラエティでお茶の間を和ませる高感度の高い女優さんで。
名前もたいていの人は知っているだろう。
私にとっては見慣れた顔だ。ただし、テレビで、ではない。
顔が引きつっているのを自覚する。
やばい。
すっかり忘れていた。
なんでこんな日に食堂利用しようと思ったんだろう。
このままダッシュで逃げちゃおうかな、なんて考え始めたら、おばちゃんがタイミングよく月見うどんを持って戻ってきてしまう。
いつも無愛想な人なのに、今日に限っては目がきらきらしている。
目は口ほどにものを言うとは言うけれど。
「あの女優さん、あんたのお母さんなんだって?」
いきなりテレビを指差され言われしまえば、黙って頷くしかない。
気分が悪くなって、うどんのお椀を乗せたおぼんを奪い取るように受け取ると、私は早足でカウンターを離れた。
幸いなことにキープした席からはテレビが見えない。
最悪なことにテレビの音はクリアに聞こえる。
『家事はあんまり得意じゃないんです。だから母親の役ってムリじゃないかと知っている人はみんな言うんですよ』
『ちょうど、思春期の娘がいますから、気持ちも行動も共感できるんですよ』
今やっているドラマに出てくる彼女の役柄について語っている。
高校生の娘を持つ普通の母親の役。主人公の娘を叱咤激励するおちゃめで、かわいらしいお母さんの役。
無数の視線が私に向けられていると感じているのは自意識過剰ではないだろう。
痛い、痛くてたまらない。助けて。
あんなに楽しみだった月見うどんの味もわからない。
うどんは必死ですすった。
早くテレビから逃げたかった。
テレビを消してしまえたらどんなによかったか。
そう、私の母親は人気女優。
表には出てこないけれど、父はちょっと名の通った脚本家。
二つ年上の姉は母のことを隠して地下アイドルをやっている。
見事なまでに有名人を家族に持つ私は普通の高校生。
演技なんてできっこないし、文章だって上手くない。
カリスマ性だってない。
なのに、向けられる目はそんなのお構いなしで、「すごいんでしょ?」と問い掛けてくる。
実際は何にもすごくない。
私自身は普通。
どっちらかと言えば地味寄り。
だから目立たないように、見つからないように、気を付けて学校生活を送っているのに!
お母さんめ、なぜ今日に限って家族アピールしてんの!
今度顔を合わせたら抗議してやる!
「片山――」
テレビの中の母が、父との馴れ初めを語り初めて、そろそろ本格的に逃げる算段をつけはじめた私の向かいの席に聞き覚えのある声の主が腰を下ろした。
「なんだよ、1人で飯かよ。誘ってくれっていつも言ってんじゃん」
完全に逃げるタイミングを逃した。
舌打ちしたい気持ちを抑え小さくため息をつく。
もちろん目の前の奴には視線すら向けない。
「ご飯ぐらい、1人で食べられるでしょ?」
今の私は結構イライラしている。
そう冷たく言い放っても文句言わないでほしい。
「あのさ、俺の気持ち知ってんだろ? お前にとって俺はなんなの?」
はあ? 気持ち悪いんですけど。
気持ち、という言葉に含みを持たせるように言って、私の反応を待つそいつ。
人のことを「お前」呼ばわりする人をどう思うかなんて決まっている。
「ストーカー予備軍」
私の家族を知っていて、追いかけているのに下心があるのは誰が見たってバレバレ。
本音言えば話をするのも嫌。
冷たく告げて、私は席を立った。
うどんの器の乗ったトレーを手に持ち、そいつ――田島に背を向ける。
が、次の瞬間、ぐいっと腕を引っ張られた。
「ちょっと待てって」
ぞっとした。
触らないでよ! という気持ちを込めてその手を力いっぱい振り払う。
「別に真剣なお付き合じゃなくても、もっと軽い感じでどうよ?」
なんでこいつに付き合って自分を消費しなければならないのか。
どう考えても時間の無駄でしかない。
「だって、好きじゃない」
「そんなの――」
「私が田島のことを好きじゃないのもそうだけど、田島も私のこと本気で好きじゃないでしょ」
そのまま田島を一瞥もせずに移動し食器を片付けると、私は逃げるように学食を出て行った。
真剣でもないお付き合いなんて誰がするもんか。
だいたい適当に付き合ったら、結局最後に「たいしたことがない」って勝手に失望するんでしょ?
自分が卑屈すぎるんじゃないかと、どこかでわかっている。
でも、やっぱり家族と比べれば私自身はたいしたことがない。
「優絵ちゃんってたいしたことないよねえ」
って何度も言われてきた言葉だ。
そうやって失望されることが多すぎて。
失望されるたびに自分が嫌いになる。
だから必要以上の期待をかけられるのは嫌い。
期待に応えられない自分は大嫌いだ。
誰にも期待されないように地味に生きたい。
そうすればもっと楽に生きられる気がする。
だから鏡の前で自分が普通で地味だって暗示をかけている。
そうすれば、安心できるから。