5
ミシェルの首が音の方向に向かって回った。
「何か聞こえた?」
どうやって誤魔化そうかーーいっそのこと、彼女に相談してみるのはどうだろう。
「いや、気のせいじゃないかな」
「気のせいじゃないわ」
ミシェルは私の方など一瞥もせずに、音がした方へ向かった。
まずい。彼女を止めなければ。
「寝室は散らかっているんだ。入室は遠慮してもらえないかな」
「あたしは気にならないわ」
「君が気にしなくたって、私が気になる」
止めようとした手を振り払われた。
私は寝室の前に先回りした。
「私にだってプライバシーってものがある」
「あら、いいのよ。あんたが誰とセックスしようがあたしには係わりのないことだから」
「だったら」
「でも、あたし、気になることは確かめてみなくちゃ気が済まない性質なの」
私たちが押し問答をしていると、外の廊下から大きな音がした。
「マフィアの奴ら、好き勝手してる」
苦々しい。マフィアはどこだって好きに壊したり暴力を振るったりする。警察はマフィアと癒着しているので、彼らの行動を抑制するものは誰もいないのだ。
「きっと、マフィアの欲しいものを誰かが隠し持っていたんだろう。一旦外に逃げよう」
私が促すと、彼女は素直に従った。彼女もマフィアを毛嫌いしているからだ。普段、マフィアからの依頼を受けることが多い彼女は、マフィアのことを熟知している。だからこそ、毛嫌いしているし、トラブルに巻き込まれないよう細心の注意をしているのだ。
私たちはソッと玄関の外を伺う。サングラスをしたマフィアが誰かと殴り合いの喧嘩をしていた。
「こっちはダメだ。窓の方から外に出よう」
窓を開けると、すぐ非常階段があった。階段は途中で終わっていたが、ハシゴを下までおろせば地上まで行くことができた。
地上に降りると、彼女はすぐにタクシーを捕まえた。タクシーに乗り込む直前、こちらを振り返って「私、まだ納得していないから」と言ってから乗り込んだ。
私は彼女の乗ったタクシーを見送ると、その後に来たタクシーを引き留めた。
「どこか、人間が食べていたような有機物を帰る場所はあるかい?」
タクシーは無人運転だが、対話型AIが搭載されている。AIは彼らのネットワークを探索した後「登録されていません」とだけ答えた。
さて、困った。誰かに尋ねてみるべきだろう。しかし、私には友人と呼べるものは少ない。
少し考えて、オーナーに連絡した。意識がはっきりしていることを願う。
「もしもし、オーナーですか」
連絡すると、オーナーはすぐに応答した。先ほどよりも意識がはっきりしているようだ。
「人間向けの有機物を売っているところを知っていますか」
「なんだ、観葉植物でも置くのか」
オーナーはケラケラ笑った。
「違います。食べ物を探しているんです」
「お前、人間かぶれが嫌いじゃなかったか」
「嫌いではないです。興味がなかっただけで。今は興味があるから知りたいんです」
「へえ」
オーナーが訝しげに唸る。あごひげを触るシャリシャリという音がスピーカー越しに聞こえた。
「心当たりがないわけではないな。場所を送るから行ってみろ」
「助かります」
すぐに何かの座標が送られてきた。それをタクシーのAIに転送する。
タクシーは静かに動き出した。
「人間の食べ物と言えばよぉ、草だよな」
オーナーは話を続ける。私としてはもう通信を切りたいのだが、今日の彼は饒舌だった。
「人間は草を食べてたんですか」
「そうみたいだぞ。草を食って草を吸っていたらしい」
オーナーの下品な笑い声が聞こえる。
「草を食べるだけなら、よくある草食動物ですが。吸うとなると変な生き物ですね」
「肉も食うらしいが、肉は吸わないのかね」
「どうやって吸うんですか」
オーナーが大笑いする。彼はつまらない冗談が好きだった。
「人間はそのほかに何を食べていたんですかね」
子供に食べさせるものをまるで想像できない。もっと情報が必要だった。
「そのほかにねえ。お前、ずいぶん積極的に人間のことを知りたがるじゃねえか」
ドキッとした。何か勘付かれただろうか。
「まあ、そういう時期ってのはあるよなあ。俺も人間のことを調べた時期があったよ」
オーナーは勝手に何かを解釈してくれたようだ。
「肉と植物なら何でも食うって聞いたぞ」
「肉と植物……」
全く想像ができなかった。アンドロイドと人間は、姿形は似ていても全く別物なのだと改めて実感した。
タクシーの外の風景が、窓パネルに映し出される。窓のように見えるが、実際はただのディスプレイパネルだ。同じような形のタクシーが並走している。あの車内に乗っているアンドロイドも、私の乗っているこのタクシーをみているのだろうか。
色とりどりの電飾が街を包んでいる。どのビルにも電飾が派手に取り付けられ、立体広告が中空を踊っている。ネットゲームの宣伝だろう、ドラゴンが空に映し出されている。最近はそんなにネットゲームにもログインしていない。ミシェルは以前と同じようにやっているらしい。たまに誘いが来るが、気分が乗らない。
「おい、聞いてるか」
オーナーの声で我に返った。
「聞いてますよ」
このやりとり、先ほどもミシェルとしたばかりだ。屋上で体の制御が効かなくなってから、なんだか思考がファジーになっている。
「まあとにかく、有機物を食べるんだろう。人間は」
「虫はどうですか。タンパク質も豊富だし、人間の体の組成に合っていると思いますが」
「冗談だろ」
オーナーが笑った。
「冗談ではありません」
私は努めて冷静に答えた。
「それが冗談じゃなかったら、お前の知識不足だ。確かに、虫は人間の組成に合っているが、人間の組成に反する寄生虫がいるんだ。そこらへんにいる虫なんて捕まえて食べてみろ。お前の脳が寄生虫に乗っ取られるぞ」
いつも私にやり込められているので、珍しくやり返すことができてオーナーは嬉しそうだ。
「あいにく、私に搭載されているのは、脳髄ではなく複合型ロジックボードです。チップは無機物なので寄生虫に乗っ取られることはありません」
オーナーが舌打ちをする音が聞こえた。
「お前は顔がいいのに面白くないな」
通信が一方的に切られた。結果的に、彼の長話が中断されることになってよかった。
それにしても危ないところだった。人間に虫を食べさせてはいけないなんて、思いもよらなかった。思いついた時は名案だと思ったのだが。確かに私の知識不足だ。今まで、人間というものに興味がなかったせいだ。
よりによって、どうして私のところになんて来るのだ。私は唐突に憤りを覚えた。なぜなら、アンドロイドの中には人間にかぶれた奴らがたくさんいるからだ。そいつらのところへ行けばよかったんだ。
そこまで考えて、ふと冷静になった。人間かぶれのアンドロイドがあの子を捕まえたら、きっとあの子供は無事では済まないだろう。四肢を剥ぎ取って、脳髄も内臓も取り出して自分に移植したがるだろう。そういった意味では、私のところにきたあの子は、正解なのかもしれない。
それにーーもしかしたら、私が生きる意味を、彼女は教えてくれるかもしれない。