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子供は変わらず私を見上げている。その圧力に耐えきれず、私は諦めて彼女を部屋の中に入れた。シャワーで汚れを落としてやる。肌の質感なんかはアンドロイドの人工皮膚と変わらない気がした。それよりも、ずっと汚れていて悪臭がした。人間は老廃物を肌から排出するらしいが、そのせいだろうか。アンドロイド用のソープしか持っていないが、大丈夫だろう。肌の組成は違うだろうが、非常に弱い界面活性剤である。肌を痛めるどころか、洗浄力が足りないくらいだと考える。それでも、見た目は綺麗になった。髪の毛も同じソープで洗って、中和剤を塗布した。人間の毛髪は化学的に中性である必要があるらしい。
洗ってから彼女の体を見ると、やはり少しアンドロイドとは違った。私は標準的な男性型アンドロイドで不必要な改造を施していないが、人間の生殖器に当たる部分には何もつけていない。セックスの時は、自分の意思でそこからケーブルを取り出して、女性型アンドロイドの生殖器に当たる部分へ接続する。もちろん、人間かぶれのアンドロイドたちは、人間型の生殖器をつけたりしているものもいる。だが、彼女はアンドロイドとは違った。これが人間なのか。
体を洗い終えた後、彼女を浴槽に入れている間に、子供服の型紙をダウンロードして、被服スキルをインストールした。そして、有り合わせの布で新しい服を作ってやった。電子ドラッグを作るよりも難しい。少し不格好になってしまった服をハンガーにかけると、私は彼女を風呂から上がらせた。オープンネットワークをサーチすると、子供を一人で風呂に入れると溺れることがあるらしい。彼女が溺れなくてよかった。
髪の毛を乾かしてやると、人工毛髪とは違う感触がした。どれだけ熱を与えても癒着したりせずに、滑らかな手触りのままである。毛髪という有機物に感動した。
改めてみてみても、先ほどのようにこの子から目を離せなくなることはなかった。なぜか、人間だと思わされることもない。先ほどはどうかしていたのだ。きっと、この子はアンドロイドだ。
そう思った瞬間、彼女の腹が鳴った。
私は驚いて距離をとった。爆発でもするのかと思ったからだ。
冷静になって、人間の腹が鳴る現象をネットワークからサーチした。食べ物が必要らしい。
生体スキャンを掛けてみる。彼女の体の構成要素は明らかにアンドロイドとは違った。人間の生体にほぼ一致する。
認めよう。やはりこの子供は人間だ。
改めて、私は彼女をマジマジと見つめた。彼女がここにいると言うことは、少なくともこの年まで育てたアンドロイドがいると言うことだ。そいつは今どうしている。このアパートにはいないだろう。私は全員のIDを把握している。違法な手段で得た情報だが。
どうやら、人間はかなり頻繁に有機物を食べないと死んでしまうらしい。不便な生態である。
人間の食べ物なんて、一般に流通していない。アンドロイドには有機物を摂取することなんて必要ないからだ。
再び、彼女の腹が鳴る。彼女の悲しそうな顔を見ると、気持ちが焦ってきた。早く、その音を消してやらなければならない気がした。
食べ物について、少しだけ思い当たる節があった。最近の人間かぶれの若いアンドロイドは、人間の真似をして有機物を食べているとラジオで聞いた。私は動画コンテンツよりもラジオの音声コンテンツの方が好きだった。
いや、そんなことよりーー食べ物についてだ。人間かぶれのアンドロイドたちは、本物の有機物を体内に取り入れるブームがあった。彼らは驚いたことに水をエネルギーに変換するユニットを、人間の内臓を模倣したバイオマスユニットに改造している。その内臓ユニットは有機分解をしてエネルギー変換するシステムだ。しかし、聞いたところによると、すこぶる変換効率が悪いらしい。本当に人間のようだ。無駄の極地である。それでもバイオマスユニットは人気の改造の一つである。
その食べ物を手に入れれば彼女に食べさせることができると思った。
部屋のインターフォンが鳴った。インターフォンのカメラを無線でつなぐ。
「ああ……」
私はため息をついた。
思ったよりも早く、ガラの悪そうなアンドロイドが訪問してきたからだ。
「はい」
私は努めて無感情に応対する。
「この辺で、子供のアンドロイドを見かけなかったか」
やけにしわがれた声だ。スピーカが割れているのだろうか。彼らは旧時代映画のマフィア然とした風貌をしている。マフィアでさえ人間文化にかぶれるのが好きなのだ。かなり古い人間の映画に出てくるマフィアの格好だ。それを知っている私も私だが。黒いスーツに黒いハットを被ったシルバーヘアの男を真ん中に、両サイドに黒づくめの男が一人ずつ立っている。二人共、やけにごついサングラスをかけている。
「いや、見ていないな」
素っ気なく答える。シルバーヘアの男はカメラを睨めつけたまま、たっぷり3分ほどそこにとどまって、それから無言で部屋の前から離れた。すぐに隣の部屋のインターフォンが鳴る音がする。
今、外に出るのは厄介だ。彼らと鉢合わせしたくない。早くどこかへ行ってくれないかと願った。しかし、願いとは裏腹に、隣の部屋の住人とマフィアたちが言い争いを始めた。
勘弁してくれーー。
振り返ると、不安そうな子供の顔があった。
「大丈夫」
声を出さず、口の形でそう言った。果たして彼女に伝わったかどうかはわからないが、彼女はギュッと握った手を解いた。代わりに私の手を掴んだ。温かかった。
子供のアンドロイドなどと言っているが、マフィアは彼女を探しているに違いない。彼女がどこの何者であるかはわからないが、かなり危険な存在であるということだけはわかる。何せ、世界で唯一の生き残りの人間なのだから。
覚悟していたよりも、ずっと警戒が必要なようだ。こんなにすぐ、マフィアが部屋を訪ねてくるとは思っても見なかった。早くても明日くらいだろうとたかを括っていた。できるだけ早く彼女を手放さなければ、私が生き続けられる保証はない。
再びインターフォンが鳴った。まさか、バレたのだろうか。
インターフォンのカメラに接続する。部屋の前に立っていたのは、友人のミシェルだった。
私はホッと吐息をついたと同時に、彼女にも子供の存在がバレてはいけないと思い直した。
私は慌てて子供をクローゼットに押し込んだ。子供は特に抵抗することなくそこに収まってくれた。体が小さいので、妙にしっくりくる。
「何よ、出るのが遅いじゃない」
玄関を開けると、ミシェルが不機嫌な顔をしていた。隣の様子を伺うと、マフィアたちがこちらを見ていたので、ミシェルを部屋に招き入れた後、すぐに扉を閉め、鍵を三つかけ、チェーンをつけた。彼らが本気を出せば、こんなもの時間稼ぎにもならないだろうが、幸運なことに彼らが私を疑っている様子はなかった。
「なあに、あれ」
ミシェルは腕を組んで、不満そうに外を親指で示した。豊満な胸が揺れた。
「さあ、子供のアンドロイドを探してるんだって」
「幼児性愛者用の玩具アンドロイドでも逃げ出したのかしら」
ミシェルの語気が強い。彼女はその手の異常性愛者に厳しい。絶対的な自信のある強い女の象徴みたいな性格だからだろう。見た目に隙はなく、刃物のように鋭い見た目をしている。黒髪のボブヘアを綺麗にセットしていて、濃い化粧をしている。エナメルのミニスカートから覗くアミタイツは、細い足によくマッチしていて、マゾヒストからのウケが良い。
「今日は何か約束をしていたっけ?」
さっさとリビングのソファに腰を落ち着けた彼女のために、ストレージボックスから水を取り出した。彼女のために入れてある、カクテルと呼ばれるソーダ水だ。
「なあに、約束をしてなくっちゃ、ここに来てはいけないの?」
ミシェルが私を鋭く睨みつける。
「そんなことないよ」
あの目に見つめられたら、どんな男だってイチコロだ。
「あんたって顔はいいのに、本当につまらない男よね」
カクテルの栓を開けると、プシュ、と炭酸の逃げ出す音がした。グラスに注いでミシェルの前に置くと、彼女はさっと取り上げて飲み干した。
私は彼女に弱い。色恋というものを詳しくは知らないけれど、確かに彼女に惹かれていた。だから、彼女のわがままには従ってしまう。
「子供といえば」
私がグラスにカクテルを注ごうとすると、彼女が私の手からボトルを奪い取ってラッパ飲みした。彼女の形の良い唇が瓶に吸い付き、エロティシズムを感じる。
「あなた知ってる? あのマフィアたちが探してるのはアンドロイドじゃなくて、本当は人間の子供らしいわよ」
「人間だって?」
私は鼻で笑う。
「もうずっと前に滅んだはずだ、でしょ。そういうと思ったわ」
彼女は大袈裟に私の喋り方の真似をするような仕草をした。
「それが、生きてたってのよ」
「まさか」
体温が上昇するのを感じる。私は動揺しているらしい。
ミシェルは賞金稼ぎのクラッカーだ。おおよそモラルといった概念にかけていて、躊躇なく他人を害することができる。そして、何よりもマネーを愛している。彼女は、マネーを稼ぐためなら私だってためらいなく殺すだろう。そういう女だ。それに、私の情報の仕入れ先は主に彼女である。なぜなら、彼女はあらゆるネットワークに侵入することができるからだ。どんなに堅牢なファイアウォールがあっても、彼女の前ではサーカスの火の輪くぐり程度なものだ。
「それに、今更人間なんて捕まえて何をしようっていうんだ。たった一人いたところで繁殖させることなんてできないだろう?」
「さあね。目的なんてどうでもいいわ。その人間に、かなり高額の懸賞金がかけられているって話」
「君らしいね」
私の言葉に満足したのか、彼女はニヤリと笑った。
やはり、彼女に子供を見せなくて正解だった。彼女が子供の存在を知ったら、すぐにでも売り飛ばすに違いない。
チラ、と寝室の方に視線をやった。彼女は大人しくしているだろうか。そういえば、腹を空かしていたのを忘れていた。食べ物も用意しなくては。それにしても彼女の元々の所有者は彼女に何を食べさせていたのだろうか。そういう情報くらい、彼女に持たせておいて欲しかった。帰りに虫が飛んでいるのを見たが、虫も有機物だし食料になり得るだろうかーー。
「ねえ、聞いてるの?」
子供のことを考えるのにリソースを集中してしまっていた。ミシェルが不機嫌そうな顔を向けている。
「ごめん、なんだって?」
「聞いてなかった?」
「うん」
頷くと、彼女は呆れたような顔をした。
「一体、何に夢中になってるんだか。ネットゲームでもしてた?」
私と彼女はネットゲームで出会った。私が活動していたサーバに彼女がやってきて大暴れしたのだ。彼女は連戦連勝、向かう所敵なしだった。それもそのはず、彼女は有名なチーターだった。つまり、不正改造をして自分だけ有利な状態でプレイしていたのだ。その彼女を、チート行為なしでやっつけたのが私である。そうしてサーバから追い出したはずの彼女が、現実で私を訪ねてきたのが始まりだった。
彼女にとって、私の情報を探ることなど簡単だった。名前や住所はもちろん、私が使っているメインバンクや口座の額、私の経歴までしっかり調べ上げていた。自分を負かした相手を、ひと目見てやろうと思ってやってきたと言った。ゲームの中では勝てても、現実の私は彼女の魅力に太刀打ちできなかった。要するに一目惚れだ。それ以来、交流が続いている。
「いいや、そうじゃないよ。ちょっと心配事があってね」
「何よ暗いわね。ああ、あんたが暗いのはいつものことね」
失礼なことを簡単に言ってのけるのが彼女だ。いつものことだから、怒りなど湧いてこない。
「オーナーのこと?」
突然言われて、なんのことかと思った。そういえば、彼女には以前、オーナーがドラッグ中毒であることを話していた。
「そうなんだ。今日もおかしくなっていてね。アンドロイドが立て続けに自殺しているだろう?」
「自殺ね。ずいぶん、人間みたいな言葉を使うのね」
彼女が笑った。機嫌が少しは上向いたのだろう。
「そうだね。最近、また人間かぶれのアンドロイドが増えてきたせいかな」
「そうね。なんでわざわざ劣等種の真似事なんてしなくちゃいけないのかしら。優越感を得られるのはわかるけど」
彼女は差別的な言葉を好んで使う。行儀が悪いと注意したことがあるが、その時は逆に言いくるめられてしまった。
「オーナーはあれを事件だっていうんだ」
「誰かが殺してまわってるってこと?」
私は肩をすくめて見せる。
「さあね。今の所、そんな痕跡はないらしいけれど」
「当たり前じゃない。あってたまるもんですか。無差別殺害なんて、人間じゃあるまいし」
ミシェルが眉間に皺を寄せて舌を出した。彼女は人間にかぶれるどころか毛嫌いしている。
「実は、私もさっき殺されそうになってね」
私の言い方が悪かったのだろう、彼女は懐疑的な目を私に向けた。
「何ですって?」
「さっき、屋上で体の制御を乗っ取られたんだ」
「クラックされたってこと?」
私は頭を振る。
「うーん、少なくとも、ネットワーク攻撃っていう感じではなかったな。あらかじめ仕込まれていたっていう感じだった」
「時限爆弾みたいに?」
「そう、時限爆弾みたいに」
まだ、胸の辺りが熱い気がする。そっと触ってみるとひんやりしていた。ミシェルにバレないようにホッと吐息をついた。
ミシェルが無言で近づいてきて、同じように私の胸に手を当てた。
「あんた、大丈夫?」
「ああ、まあ何とか生きてるよ」
「そうじゃなくて、何かプログラムにバグとか」
「君は、私がおかしくなったと言いたいのか?」
ミシェルは頷いた。
「そうよ、やっぱりおかしくなっているのよ、あんたのところのオーナーのせいよ。あいつがおかしなウイルスでも撒き散らしてるんだわ。オーナーには、早いところリストアしてもらった方がいいんじゃないの」
「スクラップになれってこと?」
「違うわ、初期化して素体を移して再設定してもらったらいいのよ」
「スクラップになるのと変わらないじゃないか」
「どこがよ、全然違うわ」
「リストアしたら、もうそれは元のオーナーじゃない」
「同じよ。記憶は同じなんだから。最悪、もしユーザーデータが消えたとしても、システムもカーネルも一緒でしょう。バックアップから戻せば良いわ」
「それはもう別人じゃないか」
私が反論すると、彼女はうんざりした顔で手を振った。
「もういいわ。埒が開かない」
カクテルをぐいと飲み干すと、彼女は立ち上がった。
「あんたのそういうところ、永遠に分かり合えないわね」
少し寂しそうに口を歪めた。
その時、寝室から物音がした。