表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/37

3


 私は好きで立ち寄る場所がある。自分のアパートビルディングの屋上だ。外観は痛んだコンクリートや鉄筋が見えていたり手すりが錆びていたりしているが、陽が落ちてゆくのが見える。それを眺めるのが好きなのだ。季節によって、陽が落ちる時間も違う。もっと北の方へ行けば、一日中陽が落ちないところもあるらしい。


 私は落ちゆく太陽を眺めながら、目を細める。センサーが露出を絞っているのだ。そんな人間みたいに感傷的なこと、私には似合わないと言われそうだから誰にも教えていない。私だけの毎日のルーティンである。


 風が心地良い。肌に触れる空気の温度は張り巡らされた人工感覚器によって解析される。季節で言うと、今は春である。もっとも、アンドロイドの歴史になって以来、季節なんてものの意味は薄れてしまったが。


 ここから見えるのは、ギラついたネオン管、縦横無尽に張り巡らされたケーブル、複雑に組み合った建物達。落陽後には、街は姿を変える。あらゆる言語、煌びやかな電飾、ごった返すアンドロイドやロボットたち。ロボットは、人間に似せたアンドロイドと違って、レトロメカトロニクスをあえて体現したもの達だ。外装が違うだけで、アンドロイドと中身は同じである。


 人間の時代、彼らは電力ケーブルを地下に埋め込んだようだったが、我々アンドロイドは人間よりもはるかに多くの電力が必要だ。地下に這わせられる容量を大きく超えていた。だから、架空送電線が必要だった。


 陽が落ち、夜の帳が降りた。途端に街は別の顔を見せ始める。


 どこから湧いて出たのか、多くのアンドロイドが道に現れた。中世ヨーロッパの頃のロココ調ドレスをきたものもいれば、サイバーパンクなやつもいる。サイバーパンクなアンドロイドなんて、いかにもという感じで敬遠されがちであるが、人間の模倣をするアンドロイドがいるように、ステレオタイプのアンドロイドスタイルが好きな奴もいるのだ。ここでは誰も個性を否定しない。


 アンドロイドたちのトレンドは今も昔も、人間が生きていた頃のように『人間のふり』をして、『人間に成り変わり生きる』ことだった。ようするに人間の真似事だ。わざわざ劣等種の真似をするなんて正気ではない。


 立体ディスプレイの中で、ビルと同じくらい大きな女性型アンドロイドの映像が踊っている。大音量の音楽に合わせて彼女は好き勝手に踊り狂う。クラブとは違って、彼女には品があった。彼女に向けてレーザービームが何本も照射される。彼女の周りで踊り始めるアンドロイドの集団がいた。今日は彼らが一番乗りだ。彼らの上で、無数のドローンが光り、竜の形を模して蠢いている。中国アンドロイドの縄張りだ。


 私は薄汚れた椅子に座った。この屋上は、狭いくせにやたらごちゃごちゃとものが置いてある。ここの住人は屋上をゴミ捨て場だと勘違いしているに違いない。この椅子も、元は人工皮革でも張ってあったのだろうが、今は骨組みにへばりついたウレタンだけになっている。もう何度か雨が降ればフレームだけになりそうだ。そのフレームも、そのうち錆が進行して破断するだろう。


 ここに座ると服が汚れるが、そんなことどうでもよかった。私には、この椅子と同じ、いや、この椅子ほどにも価値がないのだから。


 私はなぜ生かされているのかーー。役目が終わったのなら殺してくれれば良いのに。どうして、役目が終わってなお生かし続け、こんなところに放り出すんだ。こんな残酷なことはないではないか。


 ビルと空の隙間に足を乗せれば、私の体は地面に這いつくばってバラバラになることを知っている。本当に死にたいのならそうすれば良い。しかし、そうしないことも知っている。ありもしないきっかけを待っているのだ。


 夜の帳には星が輝く。この星の輝きはまだ人間が地上にいた頃の輝きなのだろうな、などと思いを馳せていると、突然背後で音がした。この屋上は、廃棄物を投棄するもの以外はやってこないはずである。誰かゴミを捨てに来たのかな、くらいに思っていた。


 誰かが近づいてくる気配がする。背後の階段室の外側に外灯が点いた。時間式で点灯する仕掛けである。すでに陽が落ちているので、センサー式ではない。タイマー式なのだろうが、時間設定が適切でない。


 振り返ったが、誰もいなかった。念の為、赤外線サーモグラフィモードを起動してみたが、誰もいる気配はない。


 考えすぎか。このビルは古い。何かしらの音鳴りもあるだろう。


 座っているとなぜか急に眠たくなってきた。正確には低電力モードに移行したのだ。


 なぜだろう。クラブを出たときには、エネルギーは充分だったはずだ。


 体に残ったエネルギーを調べなければーー。


 急速に私の意識はブラックアウトした。





 アンドロイドは夢をみる。これには語弊がある。プロセス的には人間と同じで、記録データの整理であるが、アンドロイドの場合は妄想は含まれない。ジャンクファイルを削除したりするときに、その記録を覗く。それを、我々アンドロイドは夢と呼ぶ。


 人間はフィクションコンテンツのように、自由な夢を見るらしい。私はそれが羨ましいと思う。


 3、2、1……カウントダウンが聞こえた。


 目を開けた瞬間、ドクン、と全身が脈動したような激しい衝撃を覚えた。胸のジェネレータの周辺が急激に熱くなってくるのがわかる。視界いっぱいに緊急警報が表示される。


 体の制御が効かない。神経が完全に遮断されているのがわかる。何者かの攻撃かと思って、腰につけた電子銃を抜こうとしたが手に力が入らず、だらりと垂れ下がった。


 ここはビルの屋上だ。何か、夢を見ていた気がするが忘れてしまった。遡ろうとしても、記録が削除されている。


 私の体が意に反して椅子から立ち上がった。記録を遡っているような余裕はなかった。何者かの明確な意志を感じる。そうしている間にも、ジェネレータはどんどん熱くなってゆく。


 足が自然と建物の縁へ進む。動きは滑らかだ。完全に、この体の神経を掌握されたらしい。


 不思議と、私の頭はクリアだった。なるほど。最近アンドロイドが相次いで死んでいるのはこのせいか。一体、なんのプログラムが悪さをしているのかはわからないが、体の制御システムを乗っ取られているというのとも違う。ログを精査してみても、ネットワーク越しに何かをインジェクションされた記録はない。つまり、物理的な接触によって書き換えられたのだ。


 一体、いつーー?


 今、夢を見ている間に、インジェクションされたのか。先ほど、急に省電力モードになったのも、何者かによるものに違いない。


 誰かの夢のようなものが眼底に投射された。


 晴れた空の下。


 遊園地。


 花吹雪。


 とんでゆく風船。


 アリの巣に流し込まれる水。


 不思議と怖くはなかった。電子ドラッグに浮かされている者たちは、こんな気分なんだろうか。恐怖などは一切感じず、気分が高揚していた。眼下には遥か下方に地面が見える。あと半歩踏み込めば空への旅が始まるだろう。頭の中にベートーヴェンが流れた。


 私は目を閉じた。ベートーヴェンがノイズのように私の頭を掻き乱す。何も考えられなくなった。。


 そして、私は空中に足をーー。


 その時、背後からグイと腕を引っ張られた。私の体は簡単に後ろへ倒れこむ。見上げると、綺麗な色の瞳をした子供が立っていた。その目を見た瞬間、この子は人間だと思った。なぜそう思ったのかはわからない。そんな目の色をしたアンドロイドなんてほかにもいるはずだ。しかし、確かに私は確信したのだ。その瞬間、体の制御を取り戻した。頭の中のベートーヴェンも消えた。


 一体、今、私は何をしようとしていた?


 今更、体がゾワゾワした。人工皮膚に鳥肌がたつ。そんな機能は必要ないのに。


 子供は私から離れて椅子に腰掛けた。そこに膝を抱えて座ったまま、じっと私を見た。


 立ち上がって近づくと、子供は膝から赤い血を流していた。これが血というものか。私は顔を近づけて、不躾なほど観察してしまった。我々も身体中を張り巡らす冷却パイプや血液がわりのエネルギー供給液が流れている。多くは透明だが、傾奇者は人間の血液に似せて赤く着色しているものもいる。だが、本物の血はそれらとは一線を画すほど鮮やかだった。


 彼女は電子デバイスを一つも身につけていなかった。今時、そんなアンドロイドは一人だっていやしない。それも、彼女を人間と思わせる理由だったのかもしれない。


 年のころは三歳から五歳くらいだろうか。骨格から女性である蓋然性は90%である。白髪に近い金髪の女の子だ。


「君は……どうしてこんなところに」


 子供は答えなかった。もう一度尋ねてみたが、彼女はやはり答えなかった。耳が聞こえないのだろうか。それとも言語が理解できないのか。


 私はハッとした。何故、私はこの子が人間だと思ったのだろう。人間なんて、とうの昔に滅んだはずなのに。存在するはずがないのだ。きっと、人間の子供が好きな変態が作った、新型のアンドロイドに違いない。こんなに綺麗なアンドロイドを所有できるのだ。並大抵の金持ちではないはずだ。


 危うきに近寄らず。私は早々にその場を立ち去ることにした。この子供型アンドロイドのせいでトラブルに巻き込まれるのはごめんだ。


 そう、トラブルに巻き込まれるのはごめんだーーそう思っているはずなのに、私は彼女から目を離せない。


 どうして目が離せないんだ。また意識をクラックされたのか。システムを簡易スキャンしてみても、その形跡はみられない。


 私がスキャンを試みている隙に、女の子は私の目の前に立った。じっと私を見上げている。


 髪の毛も肌も汚れていて、ボロ切れみたいなワンピースに素足という格好だった。アンドロイドの人工皮膚はこんな風に汚れないし、裸足で歩いても足が赤くなったりしない。


 ああ、なんて愛おしいんだーー。


 なんだって?


 私は今、何を考えた?


 ああ、その瞳、頬、唇、手の形、私が守ってやらなければ。


 私は頭を振る。一体、何を考えている。


 思考が自分のものとは思えない。


 私は振り切るように階段室へ向かった。


 それにしてもーー。先ほど、体が何者かに乗っ取られたような状態になったのはなんだったのだろう。なんらかの明確な意思を感じたが、システムに侵入された形跡は無い。詳しく調べてみなければわからないが。


 私は自分の部屋へ戻って、扉を開けた。左手に違和感があり、みてみると、何故か子供と手を繋いでいた。


 なんてことだ。


 私はひどく混乱した。まるで誘拐犯のようだ。アンドロイドの誘拐も大罪である。それが、人間の子供を誘拐したとしたら、どれだけの罪になるだろうか。いや、人間の子供のはずがない。私は何を考えている。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ