15
「何してるの?」
途中、繁華街を通ったとき、私は目を疑った。ミシェルが子供を連れて歩いていたのだ。両手にはたくさんの紙袋を持っていた。
「それはこっちのセリフだ」
思わず大声を出してしまった。子供が怯えてミシェルの後ろに隠れた。彼女はつばの大きな帽子とサングラスをしている。
子供は見慣れない服を着ていた。ミシェルが好きそうなロリータファッションだった。この手の愛玩用小児アンドロイドは掃いて捨てるほど存在する。この子供もそのうちの一体だと思われるだろう。まさに、木を隠すなら森の中だ。おそらく、ミシェルはそれを狙ったわけではなくて完全に趣味だろうが。
「可愛いでしょう。あんたはセンスがないから、可愛い服を一着だって買ってあげてないと思って」
私が大声を出したことなんて少しも気にすることなく、彼女はいつも通りの様子だった。
「この子は狙われてるんだぞ。こんな繁華街に連れ出して……」
「ちょっと、声が大きいわよ。あんたのせいで注目されちゃうじゃないの」
ミシェルが私の頭を叩く。
「そもそも君が連れ出さなければ……」
「それじゃあ可哀想じゃない。ねえ?」
ミシェルは子供の頭を撫でた。子供はすっかりミシェルに懐いているようだった。私には全く懐かなかったくせに。
「ペットじゃないのよ。あんたはご飯だけあげとけばいいと思ってるみたいだけど」
「排泄物の処理だってしてるさ。それに子供を安全に育成することの何が悪い」
「あんたのは育成じゃないの。ただの監禁。虐待と変わらないわ」
ミシェルの勢いは止まらない。彼女がこんなにも子供好きだったとは思わなかった。他人のことなんて自分のための捨て石くらいにしか考えていないのだと思っていた。私は彼女に圧倒されてしまって、一言も反論できなかった。
ミシェルに完全に屈した私は、仕方なく二人の『外出』に付き添った。その日はまさに、話に聞くファミリーデイのような一日だった。アンドロイドも家族を持てる。もちろん、生物学的な関係性はないので、単純に二人の大人型アンドロイドと子供型アンドロイドが共同生活しているだけとも言えるが。それでも、家族というロールプレイに励むアンドロイドは少なくない。彼らの気持ちが少しだけ理解できた気がした。思っていたほど悪くない。
楽しく、星々にたゆたうような心地よい時間だった。
私は普段、自分で電子ドラッグを使用しない。だから電子ドラッグで夢を見るアンドロイドたちの気持ちが分からなかった。しかし、今はアンドロイドたちが電子ドラッグで見たい夢があるというのがわかる気がした。もし、彼女らがいなくなったら、この日の記録を延々と見続けるだろう。電子ドラッグを使えば、空気の匂いや感触まで再現できる。
今まで感じたことのない感情だった。もしかしたら、我々は誰かの夢の中の住人であるかもしれない。そんな気さえした。
三人で手を繋いで歩いていると、男性型アンドロイドが鼻息荒く近づいてきた。
「そ、その子供型アンドロイドに触らせてくれないかなぁ」
彼はそう言って、我々がまだ何も答えていないのに子供に手を伸ばした。以前の私なら、こんな無礼者は放っておいていたはずだが、何故か猛烈な怒りが湧いてきて、気がついたら彼を殴っていた。
「しまった……」
アンドロイドがアンドロイドに危害を加えることは禁止されている。アンドロイド同士の暴力行為はかなり厳しく制限されているのだ。私は今まで一度だって暴力を働いたことはない。それなのに、何故か気持ちが抑えられなかった。
「なにするんだよぉ」
相手のアンドロイドが私を睨みつけた。手に通信装置を持っている。警察に通報するつもりだろう。しかし、それが実行されることはなかった。私がまばたきをしている間に、男はその場に崩れ落ちた。
私に何が起こったか、ミシェルの表情を見たらすぐにわかった。彼女が彼のシステムに侵入して、修復不能なほどに破壊したのだ。彼女は自分の敵と認識したものに対する攻撃は手を抜かない。
「行きましょ」
それだけいうと、ミシェルが子供と私の手を取って足早に歩き出した。
ミシェルが怒っているときは、歩き方ですぐに分かる。今回は随分怒っているようだった。すぐに怒るのはいつものことだが、他人のために怒るところを見るのは初めてだった。
人間という存在は何なのだろうか。どうして、我々アンドロイドの心をこうもかき乱すのか。私は、初めて心というものを持っている実感があった。アンドロイドの人生というのは何故あるのか。全てのアンドロイドが持つ疑問は、目の前にあるこの小さな存在によって証明されたように思う。つまり、我々アンドロイドは人間のために生み出された存在なのだ。
そう考えると、なぜか腑に落ちた。
以前にも増して、ミシェルが私の部屋にやってくる頻度が増えた。同じフロアの他のアンドロイドが、私のことを見る目が変わったように思う。どういう感情に変化したのかはわからない。
ミシェルはほとんどの時間を子供と過ごした。子供を外に連れ出すことはほとんどなかった。やはり、彼女もその危険性をわかっているのだろう。
私が仕事に出る時、彼女が子供のことを見てくれることが嬉しいと感じた。今まで、家で子供が一人でどう過ごしているかなんて考えたことすらなかったが、今では、彼女が心配でならないのだ。
仕事に行くとき、そして帰ってきたとき、私に走り寄ってくる彼女の姿を見ると幸福を覚える。
「なんか変わったね」
クラブのバーテンダーが私に向かって言った。彼とは今まで、ほとんど話したことがなかった。お互い無口で、仕事上でも関わることがなかったからだ。
「どんな風に?」
以前も同じような会話をした気がした。
尋ねると、彼は首を傾げた。
「以前だったら、そんな風に尋ねてこなかったろ。多分、無視していたと思う」
「そうかな」
「そうだよ。今までだって、話しかけても無視していたじゃないか」
言われて驚いた。確かに、今まで私は他人に興味がなかった。他人の呼びかけを無視しているという認識すらなかった。
「そんなことしていた?」
「そうだよ。嫌な感じだった。でも、今は嫌な感じがしない。オーナーがいなくなったからかな」
オーナーは失踪してから、一度も戻ってきていない。連絡もない。しかし、クラブは滞りなく回っていた。普段から、彼は特に何の仕事もしていなかったからだ。それでも、日に何度かオーナーを訪ねてくるアンドロイドがいる。彼らが何者かはわからない。
「オーナー、どこ行ったんだろう」
バーテンダーはグラスを拭きながら、中空を見上げていた。彼にとっても、ぼんやりとそう思う程度の存在なのだろう。
私はいつもと変わらず椅子に座って、客に電子ドラッグをインストールした。
毎日毎日、中毒者が途切れることなくやってくる。しばらく顔を見ていないアンドロイドは、ドラッグから抜け出すことができたのだったら良いが、おそらく死んでいるだろう。どちらにせよ、二度と顔を見せに来ることはない。それならば、抜け出せたと思っていたほうが気が楽だ。
何人目だろうか。インストールした客が暴走して回路が焼けた。電子ドラッグが合っていなかったのか、それとももはやどうにもならないくらいシステムがイカれていたのか。突然煙を上げた彼を、屈強なセキュリティアンドロイドが外へ運んでゆく。皆、彼の後ろ姿を目で追っていたが、クラブの扉が閉まった瞬間に、もうその存在は忘れ去られた。
その様子を見て、私はなぜか空恐ろしくなった。初めて自分の仕事の闇を実感した。今まで、なんとも思わなかったことのはずなのに、どういうわけか心がざわつく。これはなんという感情なのだろうか。
恐怖?
懺悔?
それとも、後悔?
急に子供の顔が脳裏に浮かんだ。彼女はアンドロイドではないのだから、そうなることはないはずなのに、子供がそのようなことになることを考えてしまう。自分のしていることが恐ろしくなった。
「ねえ、早くしてよ」
声が降ってきた方を見ると、いつもフロアでアンデッドのようにゆらゆら揺れている女性形アンドロイドだった。彼女はここに来てもう長い。そろそろ死ぬかもしれない。
「ねえ、聞いてんの?」
ジャンキー女がグイと手を差し出す。手首にポートがあるのだ。
何を躊躇しているーーいつもやっていることじゃないか。
でも、彼女は死んでしまうかもしれない。
さっきだって死んだじゃないかーー。
もう、同胞を殺したくない。
同胞だってーー?
「おい、何ニヤついてんだよ。さっさとやれよ」
ジャンキー女が私の横っ面を叩いた。反射的に彼女のポートにプラグを差す。
あっ、と思ったときにはすでに遅かった。彼女は顔面の人工筋肉を弛緩させ、床に崩れ落ちた。確かめなくてもわかる。彼女は死んだ。
彼女の死体は、セキュリティがどこかへ運んでいった。
そして、再びクラブの扉が閉まると、何事もなかったみたいにアンドロイドが私の前に列をなす。
私は頭を抱えた。
こんなことをして、本当に良いのだろうか。今まで一度だってこんな事を考えたことはなかったはずだ。
子供が成長して喋れるようになったら、説明できるだろうか。私はこんな仕事をしていたのだとーー。
客がなにか言っている。私の聴覚センサーが言葉を拒否している。
唐突に客が私を殴った。セキュリティはただ見ているだけだ。私を助けてはくれなかった。
どれくらい殴られたろうか。私は這うようにしてクラブから逃げ出した。
怪我の程度なんかはどうでも良いが、今まで、どういう心持ちでこの仕事をしていたのかわからなくなった。
原因はわかっている。
あの子供が現れてからだ。
自分が弱くなってしまったような気がする。しかし、どうにも止められないのだ。すでに、子供に出会う前の自分とは全く違うことを感じていた。




