シェラザード
6万着の服を出す修行をやり終えた私は、太陽が昇り切る前に60階を出た。
ニュースもたまには見てみるものである。あれほどシャッキリ目が覚めるとは思わなかった。
まぁとにかくめでたい。
弟子の慶事は一番に祝ってやらねばと、こっそりゼインの家に忍び込み、邸を飾り付け、最後にこれでもかと花火を打ち上げる。
そして柔らかい魔力に包まれたリオネルの元へと向かい、彼の緑色の瞳に話しかける。
……あんたさぁ、恋人の一人ぐらい出来たことあるわよね?手ぐらい繋いだことあるわよね?
そうね、分かった分かった。若返ったんだからこれから楽しんだらいいわ。
だから……次の国では何か見つけて帰って来るから。
小さな誓いを胸にトラベル世界地図を広げると、そのままシェラザードへと転移した。
降り立ったのはどこかの屋根。
着いて早々目についたのは、辺り一面に降り積もった雪。
時差がどれほどかはわからないが、薄暗い世界にぼんやりと光る街灯が真っ白な雪を照らしていて、なかなか幻想的な国である。
そして道を行く人々は皆厚手のコートを着込んでいる。
服を出せるようになった私に怖いものなど無い。
似たような背格好の女を見つけ、その人間が着ているコートをそっくりそのまま再現する。
完璧……!完璧だわ……!!
手にはトランク。完璧な旅人である。
「ええと、確かこの国では魔獣が出たのよね。20年前か…。猪型魔獣108頭……けっこうな数じゃない。ええと秘密裏に駆除、周囲の土壌汚染が進んでいたため土の入れ替えと浄化魔法処理」
ふむふむ。ゼインが戦い慣れてたのは、要するにこういう魔獣を討伐してたからってわけか。
魔獣討伐はよくある仕事だったと言えばそうだが、大魔女自ら乗り出さずとも、それを生業にする者達がいた。彼らにとってみれば売り物の仕入れみたいなものである。
まぁヤツもまた、ただ働きはしていないだろうが。
「とりあえず、魔獣が出たって場所に行こうかしらね……って地図読めないって何度言ったら分かるんだ!ったくあの弟子は……」
一つ溜息をついたあと、まばらな人間に紛れ、私は雪道を歩き出した。
「ニールさん、どういうことっすか?ゼインさんにそんな素振りありましたっけ?」
「んー………無い。ここ数十年無い」
60階、いつものように出勤して来た3人が何やらコソコソと話している。
「僕…ゼインさんは女の人に興味ないのかと思ってました」
「「ショーン、流石にそれは無い」」
そう、私の目の前で。
「お前ら……そういう話は本人のいない所でしろ……!!」
ゆらゆらと魔力を放出しながら言えば、皆が私のデスクの方をクルリと振り返る。
「あ、ゼインおめでと〜!」
「おめでとさんっす」
「ええっ、おめでたいんですか!?」
「………アホか」
話題の中身はわかっている。
夕べの件と、今朝の件だ。
「今回はやられた。情報戦で後手に回ったのは久しぶりだ」
天井を見上げながら声を出せば、3人がデスクを取り囲む。
「ゼインやけに冷静だね。もっと慌てふためいて取り乱して泣きついてくるかと思ったんだけど」
「そっすね。正直つまらないっすね」
「………どれだけ娯楽に飢えてるんだ。別に大した問題では無い。犯罪の噂が出た訳ではないからな」
そう、そこは大した問題では無い。
過去何度となく人間の女相手の下らない噂が出たことはある。
時にこちらから噂をバラ撒いて、死んだことになっているショーンの架空の母親を仕立て上げて来た。
今回問題があるとすれば、見覚えの無いあの女の精神状態が普通では無い事だ。
まるで何かによって操られているような……。
精神魔法……にしては臨機応変に喋っていたし、何より解除出来なかった。
一体何が……
「…ゼインさん、本当にリリアナさんとは何でもないんですか?」
「は?」
ふと視線を下げれば、ショーンがやけに深刻な顔をしている。
「何も無い相手といきなり噂になったりするんですか?僕、知らずに邪魔してたなら……」
「!」
立ち上がって全力で否定しようとした時だった。
「ショーン、無いよ。あの子とゼインに接点は一切無かった」
「そうだ。ゼインさんの趣味はかなり偏ってるから、ああいう王道な感じは違う」
……庇われてるのか貶されてるのか。
「…よかった。じゃあディアナさんにも伝えなきゃですね」
「ディ……なぜあの魔女に……」
「え、だって今日家に横断幕かけてありましたよ?」
「は?」
横断幕?
……日も上がらないうちから、どこかの魔女に爆破テロを仕掛けられた記憶はあるが。
「『祝⭐︎卒業』って書いてありましたけど。結婚したら弟子は卒業なんですかね?」
「!!」
ニールが薄く微笑みながら言葉を発する。
「……手遅れかもよ」
「…は?」
「無いんだよね〜……トランク」
「は!?」
「代わりにこのフロアには………」
「「「大量の服が………」」」
それは知っている。見れば分かる。
ディアナ…出て行った…?
指輪はそのままで弟子は卒業?
どういう………
いや、こうしている場合では無い。卒業などあり得ない。あの魔女との差が開く一方ではないか。
「ギリアム!社員の内偵だ!おそらく産業スパイがいる!」
「うす!」
「ショーン、メディアを抑えろ!誤報を拡散したら潰すと言え!」
「は〜い!」
「ニール、見せたいものがある。来い!」
「はいは〜い!」
作戦テーブルへと急ぐ私の後ろで、3人がコソコソと「ナイス、ショーン」とか「演技派〜」とか「絶対卒業式の飾り付けしたと思うんですよね」などと話していた事など気づきもせず、私の頭の中は昨夜感じた違和感を猛スピードで再生していた。
「で?僕に見せたいものって何?」
ギリアムとショーンが持ち場へと向かったのを見届けて、ニールが口を開く。
「人間かどうか確認して欲しい」
言いながら腕に巻いた端末を操作して、昨夜のパーティーの様子をスクリーンに映し出す。
「やっだ〜、盗撮ぅ?やーらし〜」
「いや、堂々と撮った」
「……あっそ」
スクリーンに映るのは、リリアナ・プロイスラー。
あまりの支離滅裂っぷりに正直言って気持ちが悪かったが、失神魔法をかけずに耐え切った。
「ニュース配信で見るより美人だね」
ニールが言う。
「そうかもしれん。たいていの人間の女は同じ顔に見えるが、彼女は周りと区別がつく」
「わぁお!…ってからかってあげたいけどねぇ……多分意味違うよね」
「そうだな。私は彼女から僅かだが魔力の名残を感じる」
「……僕の目にも薄く映ってるよ。だけど人間である事は間違いない。眼鏡をかけても消えないし、彼女自身の魔力の色は無い」
やはりニールの見立ても同じか。
なぜなんだ?なぜ……
そこまで考えた時に当然のように隣から声がする。
「虫ケラにはそんな事も分からぬのか、愚か者め」
「…え…?わっ!クラーレットさんっっ!!」
気づいたニールが椅子から飛び降りて後ずさる。
「クラーレット…来ていたのか」
こちらから掛けた声を完璧に無視して、我が道を行く魔女が、ポソリと呟いた。
「この女……魔に魅入られておるわ」と。




