ゼインの戸惑い
「ご無沙汰してます。プロイスラー会長。お変わりないようで何よりです」
「いやいやエヴァンズ殿こそ。聞いてますぞ?相変わらずガーディアンは絶好調ですなぁ」
社長業の中でもトップ3に入る苦痛は、人間との会合…特に大して意味を感じないパーティーである。
ディアナほどでは無いが、外で酒を飲むのはリスクが高い。
口に運ぶふりをして、片っ端から消すという無駄な魔力の消費も伴う。
そして何よりも供される食事……。
だが今日はその苦痛を顔に出すわけには行かない。
「何をおっしゃる。世界最大の食品製造業プロイスラーの足元にも及びませんよ。さすが見事なパーティーだ」
「何のなんの。久々の新商品の発売記念で張り切りましたわい!」
…そう、今日のパーティーの主催者は、世界的食品製造業プロイスラーグループの会長だからだ。
そしてこの場には、ネオ・アーデンで食品業界に携わる人間のほとんどが集っている。
私がこの場にいる理由など一つだけ。
オスロニア産の食物を任せるのにふさわしい人間の品定めだ。
プロイスラー会長の話に適当に相槌を打ちながら、耳に魔力を集中する。
「…確かそちらは世界中に製造拠点をお持ちでしたね。やはり現地の住民のニーズに合わせた配合を……」
「いやいや、そんな高コストな対応はなかなか…。開発費も馬鹿になりませんからなあ…」
「製造原価は右肩上がり。なかなか価格転嫁は難しく…」
飛び交う名刺に、水面化での情報戦。
盗み聞きしながら考える。
…なるほど確かにそうだな。
個別対応ほどコストが嵩むものは無い。まぁそこをやってこその他社との差別化であり、競争力が高まるというものだろうが。
しかし毎日数千億食以上を製造する業界としては効率化こそ命だろう。
ふぅむ………。
「…わっはっは!そうは言ってもそろそろ後添いも必要では?」
急速に目の前の男に意識が戻る。
…何の話をしていた?
「…プロイスラーは、ガーディアンの……いや、エヴァンズ殿の公私ともにパートナーになる用意がある」
今までとは打って変わって狡猾そうな表情へと変わるプロイスラー会長。
「…何の話を……」
相手の言葉が頭に入り切れないまま舞台は動きだす。
「リリアナ!」
プロイスラー会長が叫んだと同時にパーティー会場の人波が割れる。
「…お呼びでしょうか、お爺さま」
まるで海の底をゆったりと歩くように現れたのは、頭の先から足元まで、どこかのお気楽な居眠り社員とそっくりな色味を持つ人間の女だった。
『近い未来、食品業界には大きな波が来る。とてつもなく大きな波が。その際にはぜひパートナーとして我がグループを選んで頂きたい』
去り際に残された百戦錬磨の古狸の台詞が耳に残る。
…さすがは世界的大企業のトップ。何かに勘づいたか、もしくはハッタリか……。
情報が漏れた可能性はほぼ無いと言える。
なぜならば〝まだ何も起こっていない〟からだ。
現状はあくまでも、ディアナとクラーレットの間で交わされた口約束しか存在しない。
試しに言ってみただけだった。〝誓約〟というのは何個ぐらいできるのかと。破ったらどうなるのかと。
するとクラーレットが睨みつけるように吐き出した。
『この若輩者めが。見ておれ、我らのような古き魔女に限りなど無いわ』
そして二人の魔女の間には、オスロニアの譲渡の誓約が成立した。
…違えると、血が沸騰して死に至る呪いが発動するという、とんでもない誓約が。
しかしこのことを知る人間がいない以上、目の前に立ったこの女の役割は何なのだろう。
祝いの席に黒服で現れた、リリアナと呼ばれたこの女の……。
「エヴァンズ様、お久しぶりでございます。リリアナ・プロイスラーでございます」
女が綺麗な所作で挨拶をする。
久しぶり……。
「失礼だが、どこかでお会いしただろうか」
余程の特徴が無いと一目で人間の顔を記憶することは難しい。だがプロイスラーを名乗る人間を私の脳が除外した可能性は限りなく少ない。
「嫌ですわ。お食事に誘って頂いたではないですか」
「食事……」
それは無いと言い切れる。
ニールたち3人の前ですら滅多に食事をしないのに、人間の女を食事に誘うなどあり得ない。
過去に行動観察の実験対象にした女だろうか。
しかしこの女はどう見ても20代そこそこ。ショーンを引き取ってからはつまらない事に時間を割いている暇は……
「先日は中央区のレストラン、カタランゼ、その前は駅前のラ・ロラリエ、その前は伝統料理のミンカ…」
「は…?」
「フフフ……」
冷たい汗が背中に流れるのを感じる。
レストランの名前には心あたりがある。あるどころでは無い。ディアナと行った。魔法…主に3人に施す修行について相談する時に。魔力操作の訓練に料理をさせろという無理難題を吹っ掛けられ……いや、後回しだ。
ミンカは私にとって特別な場所だ。
私がディアナの弟子になった場所でもあり、ニール達3人が私の弟子だと知った場所でもある。
そうでなくてもあの店にはオスロニア産の食材を優先的に卸す代わりに、昔ながらの調理技術を絶対に廃らせるなと厳命してある。
会員制で秘密厳守。
この女……何を言っている?
思わず人間を相手に緊急事態に備え端末を操作する。
「祖父も喜んでおりますの。エヴァンズ様ならば何も問題ないと。…わたくしをお側に置いてくださいませ」
今度こそ全身に警戒が走る。
頭のおかしな魔女は二人知っている。だけどあの二人のおかしさの理由は理解できるし対処も可能。
そして悟る。
今自分に不足する能力を。
…頭のおかしな人間の女はどうすればいいのだろう。
鈍く光る彼女の瞳を見ながら、私の頭の中は膨大な魔法書を凄い速さでめくっていた。




