ブラックID
「あっれ〜!本当に60階のボタンがある!!聞いて無いんだけど!!」
「だーから言ったでしょ。人を二度も魔物扱いするとか大概にしろ」
ゼインと雇用〝仮〟契約を交わした翌日、私はヤツの指示通り8時半にここ、ガーディアン・ビルへとやって来た。
始業は9時からだというのに、初日は色々と伝達事項があるから早く来いだとさ。
そして昨日と同じようにエレベーターで60階に上がったら、やっぱり昨日と同じように3バカトリオに捕縛されかけた。
「ったく、おたくの社長どうなってんの?引継ぎとかちゃんとしてるわけ?」
「あー…いや、普段はかなり仕事には厳しいんだけどね。時々秘密主義というか……」
アホか。
人に馬鹿馬鹿言う前に己を省みろって話だ。
「こんな簡単な隠蔽魔法、むしろ見つけてくれって言ってるようなもんでしょうが。可愛い魔法少女じゃなくて本物の魔物が来たらどうすんのよ」
今日からしばらく仕事を教えてくれることになったのは、信号トリオを残念にしてしまった金髪のニールである。
エレベーターに60階行きのボタンがあることを信じようとしないこの男とともに、一緒に玄関ホールまで降りて来たわけだ。
「ちょっ!しー!その話はまた後で!…ヒソ…ここ、普通の人間しかいないからさ」
ニールの囁きに辺りを見渡せば、なるほど確かにここは普通の人間が働きに来る、いたって普通の商業ビルである。
まぁそんな事は昨日から分かりきっていたが。
「ええと、そうそう、社長からディアナちゃんのID預かってるんだった」
「アイディー……?」
「……社員証」
ああ、社員証!それならそうと言え。それぐらい聞いたことある。
ポンっと手渡されたのは、何ともご丁寧に顔写真まで入った板カード。
昨日の今日でどうやって作った。ついでにこの写真……いつ撮った。
永遠の美少女の写真はタブーだってわかんないのか、あの男は。後で文句言わねば。
「それ、首から下げといてね。カードの縁の色で入れるフロア違うから」
ニールが板カードを指差して言う。
「ふーん。ちなみにこの黒縁のカードではどこに入れるわけ?」
「んー?全部」
「ぜんぶ……」
チラッとニールの首からぶら下げられた社員証を見れば、私と同じように黒い縁取りがされている。
全部ってどういうことだろう。
「さ、ディアナちゃん行くよ!そのカードであそこのゲート潜れるから」
「あ、うん」
……ディアナ〝ちゃん〟?
さっきは流したけど、私にちゃん付け……。
ニール、貴様出来る男だな?褒めて遣わす。
ニールが示したゲートとは、昨日私が予想した通り社員専用の入り口だった。
入館ゲート…システム?とかいうもので、ここを潜ると出勤と退勤が記録されるらしい。
……はなはだ面倒である。
「じゃあ次ね。ゲート潜ったら社員専用のエレベーターでそれぞれのオフィスに行くんだけど、僕らはちょっと特殊なんだよね」
「ふーん……」
出勤一つでこれ以上面倒な手順はごめん被りたいのだが。
「さっきの質問にも繋がるんだけど、とりあえずエレベーターで行けるのは59階までなんだ。はい乗って!」
押し込められるように社員専用エレベーターに乗り込むと、中には先客がいる。
人間の男……社員証の色は赤。
じーーっと彼の挙動を見ていると、30階で降りていった。
「赤のIDは30階用?」
「正解!正確には共用部と26階から30階で…ええと、あ、着いたね。ここが59階」
何を言っているのか分からないニールと降り立った先は何の変哲もない内廊下。
「この壁の向こう側は展望フロアだよ。高いとこ平気?」
「問題無し」
このビル上空を小一時間飛び回ったんだっつーの。
「そっか。実はさー、昨日ディアナちゃんここで人事面接の予定だったんだ。僕が社長に内緒で求人出したんだよね」
「………………。」
詐欺求人の犯人はコイツか。
さっき褒めたの取り消す。
59階をスタスタ歩くニールの後ろをトコトコ歩きながら彼の話を聞く。
「この廊下の突き当たりに、セキュリティレベルSのドアがある。ブラックIDでしか開かないんだけど……」
そう言ってニールが手招きをする。
「ドアの前に立ってみて」
「ああ、うん」
廊下の突き当たり、スモークガラスでできたドアの前に立つ。
するとどこからともなく機械が喋り出した。
『No.106289…ディアナ・セルウィン…カイジョウ……』
声の途切れとともにシュッと開くドア。中に一歩踏み込むと再びシュッとドアが閉じた。
おお…!なんと賢い機械だ!
正直に感心していると、またドアが開いてニールが入ってきた。
「オーケー、IDの登録は良さそうだね。なんせ40年ぶりの新規登録だからさー、ちゃんと動くか心配だったんだ」
「は?40年ぶり?」
隣に立ったニールを見上げる。
「そ、40年ぶり。昨日の黄色みの強い茶髪の彼覚えてる?」
ああ、信号トリオ2の……
「ショーンっていうんだけど、彼が入社して以来ブラックIDの発行は無し。もう限界なんだよね、正直」
限界……?つまり相当仕事がキツいという事か。
「……限界へと繋がる道は歩きたく無いんだけど」
セキュリティレベルSのドアのこちら側にポツンとある、上階への階段の前で立ち止まる。
「ええっ!?そんな事言わずに……あ、大丈夫大丈夫。歩く必要無いよ!一歩だけ前に進んで?」
「は?」
訝しく思いながら一歩進んだ瞬間だった。
突然階段が動き出す。
「ぬ……ぬわーーー!!?」
「あははははは!人感センサー式エスカレーターだよ!まさかエスカレーター知らなかった?」
知っとるわ!
乗った事無いだけだ!
騙されるようにして辿り着いたのは、昨日床を散々引き摺られた60階。
エスカレーターがフロア直結とは……。昨日はゼインの背中ばっかり見てて気づかなかった。
ニールがクルっと振り向く。
そしてニコニコ笑顔でこう言った。
「ようこそ、ディアナちゃん!待ち望んだ5人目の仲間。ガーディアンはいいところだよ」
……もうすでにそうは思えないのだが。