雇用契約
「……本当にここに住んでるのか」
「うるさい。話しかけるな。てか帰れ!」
なんだっていけ好かない男をうら若き乙女の部屋に上げねばならんのだ。
玄関前で一悶着あった結果、隣の住人に通報されかけた私は、ほんとにほんとーに嫌々ながら、この黒男を部屋に上げる羽目になった。
…こいつ……しつこい。
「お前のどこが若いのだ」
黒男が不愉快そうに片眉を上げる。
「!!」
…こいつ、私の思念…読んだ?
「何だ?別に普通のことだろう?」
「ふっ、普通!?一体いつの間に……あー!!ほっぺたつねった時!!油断した!!」
魔法使いと対峙したのなんて久しぶり過ぎて忘れていたが、相手の体に触れて魔力の波長を掴めば、思考を読み合う事が可能になる。
だけどそれはよっぽど心許した間柄でない限り通常はタブー中のタブーだ。
このボケ……乙女の柔肌を無遠慮に触りおって……!
「いや、だからお前のどこが……」
「黙れ」
相手はマナー知らずの若輩者。ついでに超失礼。
言い聞かせるのも無駄に体力を使うだけ。こうなれば無視である。
無視すると決めた以上、たんたんとやるべき事をやる。
私が指をパチンと鳴らすと、狭苦しい部屋に押し込められていた荷物がいっぺんに動きだす。
命を得たかのように口を大きく開いたトランクケースが、ありとあらゆる物を飲み込んでいく。
「……便利なものだな」
その様子を見ていた黒男がポツリと感想を漏らす。
…ツッコミ待ちか?そうなのか?
だが言ってやらん。無視!
「さて…と」
荷造りは終わったことだし、あとは……。
とりあえず汗をかいた服を脱ぐ。
汗なんて100年ぶりにかいた。気持ち悪い事この上ない。
脱いだ服を宙に浮かべて魔法できれいにする間に部屋の掃除もしてしまう。
立つ鳥跡を濁さず、これ大事。
指先で部屋に清浄魔法の一つである『来た時よりも美しく』を展開する。
「うむ、完璧!」
見よ、私のこれ以上無い効率的な旅支度を!
そう思いながらくるりと振り返った時だった。
ポカンと口を開けた黒い瞳と目が合う。
「……あれ、あんたまだいたの?」
そう口にすると、黒男がバッと顔を背ける。
「よくわかんないけど、早く会社に帰りなさいよ。とりあえず元気でね」
ああ、何と慈悲深い魔女だろう。
出会った瞬間から気に入らない相手に『元気でね』などと言える魔女は私ぐらいなものだ。
「……服を着ろ」
「は?」
「服!!」
服………なんでよ。
「…馬鹿なのか?お前……馬鹿なんだな」
黒男が狭苦しい部屋の壁に向かってブツクサ言っている。
「は?違うし。お風呂入るとこだったんだし。お風呂に入る時は服を脱ぐもんだって知らないの?」
ブツクサが煩いので指先を鳴らして服を着替えながら当然の台詞を返す。
「そこを問題にしているわけでは無い。…しかしなぜ魔女が風呂に入るのだ」
「はぁ?趣味に決まってるじゃない」
「……………。」
というか私が自分の部屋でどう過ごそうが関係無いでしょうが。一体いつまで居座る気だ。
「お前が雇用契約書に署名するまでに決まっている」
無表情がこちらを振り返る。
「…読むな。私の思念を読むな!次やったらあんたの記憶消すからね!」
「……!」
おーおービビってる。
だーれがそんな面倒な魔法使うかっての。
しっかし思念を読まれるとは迂闊だった。これはいかなる場面でも圧倒的に不利……。
よし、懐柔しよう。
「ねぇ、黒男くん?」
「ゼイン」
「ゼ……」
「ゼイン・エヴァンズだ。ゼインでいい」
「あっそ。んじゃゼイン、大魔女ディアナ様のありがたいお言葉を耳の穴かっぽじってよく聞いて」
無表情黒男…ゼインが嫌そうに頷く。
「この国出るから」
「なぜ」
「聞けっつったでしょ。あのねぇ、あんたと違って私は人間の振りが苦手なの。場面に合わせて喋るのも意味不明だし、魔力以外に漂ってるって噂の空気とかいうのも読めないし、そもそも働きたくない」
「………………。」
「この国にあんた達がいるって分かっただけで十分。あとの人生は………」
そこまで言いかけた時だった。
「……死に場所を探しているのだろう?」
「!!」
こいつ…何で……
「私もそうだった」
「あんたも?」
「ああ。ディアナ・セルウィン、私と共に来い。お前に相応しい死に場所を与えてやる」
死に場所……
「……あんたにできるっていうの?」
何をしても、飲まず食わずでひたすら眠っても、病気にすらなれないのに。
「…………とりあえず、いい墓地ならすぐに紹介できる」
「……!!」
なんだコイツ、真面目くさった顔してアレレなのか?とは思った。
「…いいじゃない、それ。墓地でずっと眠れるなんて最高よ!最高級のベッドがいるわね」
「誰も眠らせるとは言っていない。髪の毛一本でも残ろうものなら即時粉砕、墓石に塗り込めて魔封じ結界で閉じ込めてやるだけの話だ」
「……………。」
なるほどね。
生意気だけどコイツは魔法使いの死に際を知っている。
……ふーん?面白いじゃない!
「貸して。署名だっけ?」
「……!」
ゼインが一瞬目を見開いて、そそくさと胸元から1枚の紙を差し出す。
それを取り上げてひょいっと宙に浮かべると、とりあえず字面を目で追ってみる。
「これどこの言語?」
「魔女ならば知っているだろう」
「……まぁね」
忘れるはずもない、懐かしいアーデンブルクの古語……。
紙を宙に浮かべたまま、魔力で名を刻む。
「はい。これでいい?」
渡した紙にゼインが目を通す。
「ディアナ……のみか?家名は……」
「秘密」
「は?」
「何よ、魔法使いの署名は魔力さえ込めれば有効でしょ。それとも最近ルールでも変わった?」
「………………。」
知らないって顔に書いてある。
でしょうよ。そもそもそんなルール無いし。
「ゼイン・エヴァンズ、とりあえずあんたのお手並み拝見させてもらう。だけどこれはあくまでも〝仮〟契約よ。言った通り、私は働きたくないの。つまんなかったら辞めるから」
「……随分と上から目線だな」
「そりゃそうでしょ。あんたどう考えても年下じゃない。年長者は敬うのが人間の文化でしょ?」
「年下……なるほど確かに一理ある。だが会社組織ではそうとも言えない」
「……は?」
先ほどまで黒かったゼインの瞳が妖しい金色に変化する。
「とりあえず仮契約で了承しよう。古の魔女よ、歓迎する。私がガーディアン代表のゼイン・エヴァンズだ」