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ゼインの病

「いやー、渡りに船ってこういう時に使うんだろうね」

 期初会議が終わり、普段の静けさを取り戻した60階でニールがしみじみと呟く。

「ほう、本当にお前は洒落のきいた事を言うのだな」

「あ、ようやく分かるようになった?ここまで長かったねぇ……」

 ぼんやりと宙を見つめるニールに首を傾げる。

「そこに何かあるのか?まさかこの部屋の壁や天井も記憶を……」

 言葉の途中でニールが苦虫を噛んだような顔になる。

「ゼインが作った謎物質が記憶なんか持つわけ無いでしょ!だいたい苦痛と苦難に満ちた思い出なんか見たくも無いし!!」

 ……じゃあボケッとした顔で何を見ていたのだとは言うまい。


「まあそれよりも……ありがとね、ゼイン」

 会議机に軽く腰掛けながらニールが言う。

「感謝……されるような事があったか?」

 ショーンが送って来た先ほどの会議の議事録をタブレット上で確認しながら応える。

「骨の使い道……考えてくれてたんでしょ?どう落とし所を作るんだろうって思ってたんだけど……」

「………………。」


 さすが私の右腕なだけあって、ニールはこの一件のスタート地点を忘れてはいなかった。

 そう、ホリ・タイガにまつわる諸問題を解決するために本当に成さねばならないこと。それはナナハラの政治の中枢に影響力を持つことだ。

 彼からの〝お願い〟を確実に叶えるためにもあの国には何か大きな恩を売らなければならないのだが、今一つ決め手に欠けていた。


「骨はナナハラとの交渉の材料になる。上手く行けばあの国を表からも裏からも攻略できるだろう。……よもやここに来てガーディアンの創業時に舞い戻るとは思わなかったが」

 言えばニールがニヤリと口端を上げる。

「ナナハラだけぇ?これきっかけに世界中の海に展開する気でしょ!」

 私もニヤリとし返す。

「きっかけは()()だけでは無いが、まあそういう事だ」

 マカールの話があろうが無かろうが、ニールの能力を付加した魔力感知衛星が映した映像を見た時から攻略の糸口は海だと思っていた。

 だから不漁という分かりやすい決め手が出て来た事は、まさに渡りに船だったのだ。

 


「んじゃま、仕事の方は置いといて……」

 ニールがチラッと私を見る。

「…………何だ。見るなら堂々と見ろ」

 ニールの視線の意味が嫌というほど理解出来ているため、私は手の平を差し出す。

「……おっけ。体の調子は?」

 ニールが会議机の隣の席に座り、弟子取りの儀式の要領で私の魔力を確認しだす。

「体……は悪くないと思う。魔力の方はどうだ」

「うーん……あと一歩でベンタブラックってとこだね」

「ベンタ……ややこしいな」

 ……まあ、要するに物凄く黒いという事だろう。

 

 会議机に両肘を乗せ、手の平に頭を突っ伏す。

 実は私は物心ついて以来初めて、自分の魔力に恐怖心を覚えていた。

 きっかけはそう、紛れもなくあの日だ。

 

 あの日散々リオネルと言い争いをしたあと、私たちは隔離空間から『朝帰り』をした。

 私たちが帰るのを待ち構えていたかのように、夜更かししたのであろう双子がやたらテンション高くディアナとショーンが城にいない事を報告に来たのだ。

 堂々と夜遊びするなど二人には厳罰を下さねばならないと、私は直ぐにディアナの指輪を追跡した。


 古ぼけた集合住宅の一室を窓から覗いた時、目に飛び込んで来たのは思い出したくも無い光景だった。

 裸でホリ・タイガの腕の中に収まるディアナと、二人の間に収まるショーンの魔力を帯びた猫。

 あの時、脳の中の何かが切れた。

 何か…そう、思考というものが完全に停止したのだ。


 思考を失った自分の行動を知ったのは、時計が記録した映像によってだった。

 あの時の私は呪文を唱える事もなく、淡々とディアナとショーンを手元に引き寄せ、やはり一切の呪文を発する事なく、ホリ・タイガの記憶を奪った。

 自分の現状の能力は、記憶魔法を無詠唱で使える所まで到達してはいない。

 だが意識を取り戻した自分の中にホリ・タイガが二匹の猫を拾ってからの記憶がある事から、私は間違い無く記憶魔法を使ったのだ。


 しかしそれだけだったのならば、自分に不審を抱きはしても恐怖までは感じなかっただろう。

 問題はその後だ。

 私は思考も記憶も無いまま城に戻っていた。

 そして……城を氷漬けにしたのだ。

 ロマン・フラメシュの魔法使い人生の集大成とも言えるあの巨大な水晶の城を、一切の呪文も魔法陣も用いず、氷漬けに。

 

 城で待機していたギリアムとリオネルによって正気に戻された私の腕の中には、ディアナと猫のショーンがいた。

 小さな呼吸を繰り返す温かいショーンと、血の気を失い、冷え切って蒼白になったディアナが。

 示す事実は一つだけ。

 ……無意識下での私の魔力は、ディアナを殺す可能性がある。

 


「ゼイン、気持ちは痛いほど分かるけどさ、やっぱりディアナちゃんに相談した方がいいよ」

 ニールが私の隣に座る。

「……何をどう相談しろというのだ。どうやらお前を殺す準備が出来てしまったらしい。ちゃんと遺言を書いておけ、とでも?」

「…うーん……」

 そんなわけにはいかないだろう。

 ディアナが望むのは寿命を全うした後の安らかな死だ。

 だからこの二週間必死に魔力を抑え込む努力をした。

 ディアナと顔を合わさず、距離を取り、時計の魔力制御のレベルを一段上げて今日という日に臨んだのだ。


「……完全無欠の五芒星は白か黒だと教わった。だとすれば黒に近づくのは喜ばしい事のはずだろう?」

 手の平を見つめながら独り言を聞かせるようにニールに問う。

「それと引き換えに自我を失うなど……まるで殺戮兵器化するようなものだ」

 人らしさなど一度も積極的に求めた事は無いが、僅かに自分に存在する()()は、決して失ってはならないのだという事は理解している。

 だから怖い。

 今起きている現象が〝魔そのもの〟へと変化する過程なのだとしたら、私はこれから……


「ゼイン、それは違う」

 耳に届いた言葉に、ゆっくりと顔を上げる。

 すると躊躇いがちに口を開こうとするニールと目が合った。

「ゼインはさぁ、何というか……病気なんだよ」

 たった今違和感のある単語が出て来たニールの口元をぼんやり見る。

 びょうき………?

 びょ……ああ、病気か。病気……。

「……はっ!?わた…しは病に冒されているのか…?」

 体の芯が冷え切った感覚にも関わらず血液が沸騰しそうになり、突然意識を失った挙句に魔力を暴発させるこの症状が……病。

「──何という事だ!!」

 両手で頭を抱えたせいで髪がグシャグシャになる。だがそんな事は気にしていられない。

 よもや私が病を得るとは思わなかった。この事態が予見できたならば、医療魔法を極めておいたのに……!!


 しかしここで一つの疑問が浮かぶ。

「ニール、病とは通常自分を殺すものだろう。なぜ私の病がディアナだけを殺すのだ。感染したら千才超えの老婆にだけ発症する病なのか?」

 真剣に問えば、ニールの顔からスンッと表情が抜ける。

「……ゼインはいつから馬鹿真面目じゃなくて真面目な馬鹿になったのさ」

 ………は?

「とにかく、ゼインは古代から存在する不治の病なんだよ!」

「!!」

「殺戮兵器じゃなくて、むしろまともな男になってんの!わかった!?」

 不治の病という響きがショック過ぎてよく分からなかった。



「ゼイン、何度も言うけど僕は子どもの頃からすごく目が良かったんだ」

 いつの間にか机の上に用意された甘そうな紅茶を飲みながらニールが話し出す。

「ああ」

「だけど目に映すだけで、それらにどんな違いがあるのかを知ったのはつい最近。もっと言えば目に映す事に抵抗が無くなったのだってここ数年の事だ」

「……そうだな」

 私だってニールの目にどれほどのものが映っているのかを明確に知ったのはつい最近だ。

「だから僕が伝えてあげられるのは一つだけ。ゼインはさ、最近純度99.965%の黒になったけど、一年前は98%ぐらいだった」

「………は?」

「正直に言えば、出会った頃は85%ぐらいで、ショーンを引き取ってからが90%ぐらい」

 

 何と返せば良いのか分からず黙りこくる私に、ニールが肩をすくめる。

「ディアナちゃんと出会ってからのゼインの魂の魔力の変化は、僕らと過ごした数百年より遥かに大きいってことだよ」

「……!」

 ニールが指先で宙に五芒星を描く。

「ゼインが言ってただろ?5番目の属性は修行で強化出来るようなものじゃ無いって」

 宙に浮かぶ少し歪な五芒星を見ながら頷く。

「修行で強化出来ないものが超スピードで強くなってるんだ。だから結局この件は、そのきっかけであるディアナちゃんじゃなきゃ解決できない」


 魂の魔力の変化……。

 以前ショーンの発達について聞いた際ディアナが言っていた。

『魂の魔力は変質する』と。

 あの時は聖魔法を失った事による属性バランスの変化の事だと思ったのだが、ディアナはこうも言っていた。

『足りないものを補うの。その子の魂が求めるものを与えるの。魂の魔力が、なるべく均一な五芒星になるように』

 ……魂が求めるもの………か。


「………ニール」

 俯きながらニールを呼ぶ。

「なに?」

「あー……その…」

 病の中身は明確に理解したのだが、口に出す事が苦痛過ぎて唇を噛む。

「なんだよ。ほら気色悪く照れてないで言いなよ。()()()()()()の僕が答えてあげるからさ」

 バッと顔を上げれば、見慣れた半月状の目が私を見ている。なぜかクッキーらしきものを食べながら。

「……症状は抑えられるのか?」

 小さく呟けばすかさずニールが返す。

「まあねぇ。初めて罹る時が一番しんどいけど、その後は……」



「………いえいえ、二度目も三度目もしんどいものですよ?」

 ニールの言葉の続きを待っていると、背後で小さな声がした。

 瞬間的にニールと二人バッと後ろを振り返る。

 そしてその場に立つ人物に目を見開く。

「マ…マ、マカール……!?」

「あ、はい。わたくしマカールでございます」

 大量の汗…いや、涙……とにかく顔中をタオルで拭いながらマカールが立っている。

「お、おま、おまえ、いつからここに……」

「ええと……、ずっと…と申しますか、いえ、あの……最初から……」

 マカールの台詞にフラッと血の気が引く。


「えーー!?ぜっぜん気づかなかった!マカールさん影魔法の才能あるんじゃないの!?さすが双子の父親!!」

 ニール……褒め称えているところ水を差すようだが、違う。マカールにはほとんど魔力が無いのだ。

 時計のせいで最早存在すらも認識出来ないほど影が薄くなっているのだ……!!

「ゼインさんから居残りを命じられましたので、こうして茶など出しつつ待機しておったのですが……」

 机の上の謎の紅茶とクッキーの正体に愕然としていると、マカールがスススススと近寄って来て跪く。

「いかんせん私、過去に会社を潰した実績がありますので、計算はちょっと苦手……などと言って申し訳ございませんっ!でも苦手なんですっ!」

 どうでもいい。

 どうでもいいから筒抜けだった会話を記憶から抹消してもらいたい。



「でーすーがーっっ!!」

 突然眼前で立ち上がった巨体に、ニールと二人でのけぞる。

「不肖マカール・グラーニン、その道に関してはプロ級でございます!!必ずやゼインさんのお役に立てるはずです!」

「「………………。」」

 半目でニールに思念を飛ばす。

『記憶……消していいか?』

『う〜ん……聞くだけ聞いてからにしたら?』

『耐え難いのだが』

『いやいや、思いがけないその道のプロの話が出て来るかもじゃん』

 出るわけ無いだろうが!

 ほぼ人間で、50年程度しか生きていない、ショーンより若造のこの男から!

 だいたいその道とは何だ!!


 ……と三度ほど脳内で思ったのだが、万が一の可能性を考慮してマカールと向き合う。

「あー……マカール、その、何だ、私が置かれている状況に何か知恵でも……」

 マカールが自信満々な顔で頷く。

「お任せください!私も一度カリーナに大失恋しておりますから!」

 ……こいつの頭の中では、私が失恋…とかいう聞くに耐えない〝その道〟を歩んでいる事になっているのか……?

 この私が………?

 

 グラグラと腹の底から湧き上がって来る魔力に拳を握り込んでいると、隣でニールがバッと立ち上がる。

「ちょ、ちょーっと待って、マカールさん!ええと、まだそうと決まったわけじゃなくてね!?そうかもしれないけど、まだ未知数というか何というか……ああっ!ゼイン落ち着いて!!」

 あわや純度99.999%の黒になるのでは無いかと思った瞬間、次のマカールの言葉で一気に感情が冷える。

「あ、言葉の選び方を間違えました。アーデン語は難しいですねぇ。実は私とカリーナは一度別れてるんです」


「「…………は?」」

 ニールと二人で目を見開きながらマカールを凝視する。

「……ええと、ですから、最初の結婚は10年で夫婦関係を解消するに至った……で伝わりますか?」

 伝わりますか……?

「「はあっ!?」」

 夫婦関係を解消?

 グラーニン夫妻が?は?


「あ、もしかして……!」

 ニールが何かに思い至ったのか口を開く。

「カリーナさん、自分だけが歳を取らない事を隠し切れなくなったんじゃ……」

 マカールがなるほどといった顔をする。

「ははあ……今となってはそういった理由もあったかもしれません。ですが……そうですね、あまり人様に聞かせるような話でも無いので、今からお話しする事はお二人の胸の中に留めておいて下さい」

 

 いつになく真剣な顔をするマカールに、ニールと二人で頷き返した。


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