ギリアムとお仕事
「姉さん、そこで正拳突きが来るっす!」
「ぐ、ぐえぇぇぇっっ!!」
「もっと!もっと『くの字』に!!」
「ぐ……ぐげぇぇぇぇ………!!」
「はい、カーーーット!!」
ギリアムがカチコーンッと白黒の木の板を打ち鳴らしたと同時に、ヨロヨロとその場に尻餅をつく。
本当は膝から崩れ落ちたかったのだが、今の私には膝がない。
「いやー、さすが姉さんっす。大女優顔負けの演技力で……フッ」
含み笑いを隠しきれていないギリアムをギロリとにら…もうにも、今の私には眉毛もまぶたも無い。
「いやほんと、魔法は経験と……プッ」
手で口元を覆うギリアムに向けて拳を握り込もうにも手すら無く、代わりにやたらと多い足に力を入れ全身に怒りをみなぎらせれば、ボンレスハムのような体がプルプルと小刻みに揺れる。
世界最強の名をほしいままにする大魔女である私は、その類稀なる変身魔法の技術を活かして、華々しく〝しーえむデビュー〟とかいうものを果たす事になった。
……かーなり、不本意な形で。
「………ギリアム?」
だだっ広いスタジオとかいう場所で、四角い電話を顔前で構えるギリアムを呼ぶ。
ちなみにアレは動画をテレビに飛ばせる電話らしい。
「呼んだっすか?あ、そういやどうやって喋ってるんすか?口無いのに」
「………私くらいになるとねぇ………無詠唱で音声魔法を使うぐらい朝飯前なわけ」
「………無詠唱で音声……。究極の矛盾っすね」
「……………………。」
四角い電話ごしに喋るギリアムに腹の中がグツグツし出す。
「……ギリアム?」
「あ、姉さん、次は回し蹴りで吹っ飛ぶシーンすよ。飛翔魔法よろしくっす」
「…………じゃない」
「は?」
「……そうじゃないでしょっつってんのーー!!」
ドバッと魔力を放出し、自分でかけた変身魔法を解く。
「な ん で!!なんで私がきっしょく悪いウネウネ生物なのよ!!おかしいでしょ!?」
髪を逆立てて暴風を巻き起こせば、ギリアムがようやく四角い電話を顔から離し、ススッと一歩後ずさる。
「い、いや姉さん、何もおかしくないんすよ!あれはただのウネウネじゃなくて宇宙最強の生物なんすよ!!」
「はあっ!?」
「マイナス200度だろうが灼熱だろうが宇宙空間だろうが生き延びられる、姉さんにこそ相応しい…」
「宇宙最強にブサイクな生物の間違いでしょ!!」
「え、あー……な、名前は可愛い……」
クマムシのどこが可愛い名前じゃぼけぇ!!
暴風でグチャグチャになったスタジオを、ブツブツ言いながら片付けるギリアムを空中から見下ろす。
「……だいたい姉さんが悪いんだろが……」
私に悪いところなんかあるわけ無い、と心の中で呟く。
「……素っ裸で男と寝てる場面見られといて……」
見られた記憶なんか無い、と心の中で呟く。
「……この程度で済んで良かったと思えんのかねぇ…」
思うわけ無いだろうが、と心の中で呟く。
「………はぁ。ゼインさんかわいそすぎ……」
そこだ。
話はもう一週間も前に遡る。
ショーンに変身魔法の修行をつけながら見事にホリーダの家に侵入した私は、世界ちやんぴよんの筋肉を堪能しながらその時を待っていた。
そう、ホリーダの記憶を覗く、その時を。
ホリーダが寝静まるのをじっと待っていたのだ。筋肉の上で。
スヤスヤと寝息が聞こえて来たのを頃合に、変身魔法を解いたところまでは上手くいっていた。
だが、ちやんぴよんは強かった。
いつの間にかガシッと腕で固められていた頭が、いかんせんどうにもこうにも抜けなかった。
次に目に光が入って来た時、なぜか私は城にいた。
……その日以来、なぜかゼインは私と一切口をきかなくなったのだ。
何となくナナハラに行く気になれず、私は城でおとなしく双子の面倒を見たりした。
浪人生とかいう困った身分の双子に勉強を教えていたら、腹黒な字で『余計なことをするな』と書かれた手紙が届いた。
あまりにも生意気な態度を腹に据えかねて、トリオだけじゃなくリオネルとトラヴィスにも言いつけたのだが、全員が口を揃えてこう言った。
『ゼイン(さん)(様)がかわいそう』だと。
意味不明すぎて双子に辞書を借りて言葉を調べた。
結論、ゼインがかわいそうな訳が無い。
だが師匠として一皮剥けた私はこうも思った。
記憶には無いが、私が何かをしたのだろうと。
エルヴィラのような事になってはいけないと、思いつく限りの歩み寄りを行った。
……結果が巨大クマムシである。
新会社のハンソクヒ削減に貢献しろと、ギリアム経由で伝えられた仕事がこれである。
「……ったく、テレビの中に入れるって言うから引き受けたのに……」
まあゼインの機嫌の悪さや腹黒で詐欺師なところは日常茶飯事だし、ほっといても向こうから献上品を持って頭を下げに来るだろう。
だからその前に、今目の前にある問題を把握しておかねばならない。
「ギリアム」
せっせと重そうな機材を起こしている彼に呼びかける。
「……今度は何すか?」
チラッと顔だけを向けるギリアムの背後にフヨフヨと降り立つ。
「あんた体の調子どうなの?」
聞けばギリアムが体ごと振り返る。
「あー……どう…なんすかね。実は今日仕事終わったら姉さんに聞こうと思ってた事があって……」
やっぱりな、と思う。
というか、ギリアムと二人だけで仕事をする状況など、アイツがあえて作り出したに違いないのだから。
「おっけ、何でも聞いてちょうだい」
「いや、仕事が終わったら、すよ」
「終わったじゃない。私もう働かないし」
「…………………。」
「コレなんすけど……」
グチャグチャのままのスタジオの真ん中に座り込みながら、ギリアムが自分の髪をひとつまみする。
「いい赤毛よねぇ。私もそういうガツンとした赤系の、できればピンクの髪が良かったわ」
「いや、ピンクはヤバ……ってそうじゃなくて、かれこれ一週間ぐらい髪が伸びて無いんすよ。ゼインさんとニールさんに相談したら、姉さんに最終判定もらえって…」
「ふむ……?」
そう言えばギリアムは部屋で大雨を降らせたあの日以来、切っても切っても髪が伸びて来る状態なんだった。
「ギリアム、手を出してごらんなさい」
「あ、はいっす」
言えばギリアムがパッと左手を差し出す。
「時計外して」
「うす」
ギリアムが時計を外した瞬間、普通なら起こるはずの現象が起こらなかった。
空気中に漂うはずのものが現れない。
「………ふうむ」
呟きながらギリアムの魔力の流れを見る。
「……なるほど、そういうことね」
ギリアムの左手を解放する。
「ギリアム、あんたは今完璧に魔力と竜の力が吊り合ってる状態だわ」
言えばギリアムがパッと顔を上げる。
「マ、マジすか!?そうかなとは思ってたんすけど……」
「マジマジ。天秤の両皿に全く同じ量で魔力と竜の力が乗ってる状態」
ギリアムが少しだけ瞳を潤ませて、ホッとした顔をした。
「……俺、これでようやく次の段階に進めるんすね」
握り締められたギリアムの拳をポンポンと叩く。
「その通り。ここからは魔力量を元に戻していかなきゃならない。……面倒だろうけど、子ども時代のやり直し的な時間を過ごすことになる」
ギリアムがこくりと頷き、そして真剣な顔をする。
「姉さん、俺もやった方がいい見習いの修行があるっすかね?」
「は?」
「ええと、ショーンがやってるみたいに、俺も毎日のルーティンワーク的なものを……」
いかん、突然耳が悪くなったようだ。
ギリアムの口から出て来る言葉のどれもこれもに覚えが無い。
ギリアムが小首を傾げる。
「ショーンに見習いの修行やらせてるっすよね……?」
「……私がショーンに……」
「え、だってゼインさんがショーンは由緒正しい見習い魔法使いの修行中だって……」
困惑気味のギリアムの顔を見て、私の脳内に水晶の城でのショーンの暮らしっぷりが流れ出した。
朝はショーンに起こしてもらう。
そしてショーンが豆から挽いたコーヒーを飲む。もちろんお湯もショーンが魔力で水から沸かす。
食べ物関係はオスロニアから届くが、食卓はショーンが整える。
仕事から帰ったら城中がピカピカしている。ショーンが新時代のお掃除魔法を身につけたのだ。
いや、違う。お掃除ロボットの具現化に成功したのだ。
広い水晶の城を、薄っぺらい円盤形の彼らが隊列を組んで走り回っている。
そして極め付けは………
「ショーンはあの巨大な風呂沸かせるようになったじゃないすか。最初は『風呂がぬるいっ!』って姉さんがガミガミ叱ってたすけど、今じゃ地獄風呂並みの温度になってるっすよね」
「……………………。」
これはおそらくマズいことになっている。
知らず知らずのうちに金持ち社長の息子で宝箱に入れて育てられた生粋の御曹司をこき使っている。
全然修行なんてつけていない。
ただひたすらこき使っている……!
「お、おーほほほほっ!ルーティン、ルーティンね!そうそう、ショーンには毎日の基礎修行を課してたのよ!厳しく苦しい見習い期間の後にはパッと花開くもんがねっ!?」
両手でパッと紙吹雪を散らしながら言えば、ギリアムが一瞬だけ疑わしそうな視線を向け、すぐに表情を元に戻す。
「そうっすよね?ショーンは毎日魔力制御の訓練やってるんすよね?俺もそういうのやった方がいいのか、それとも別のことやったらいいのか、一つアドバイスもらえたらと……」
……師匠譲りのバカ真面目な孫弟子だ。
よし、誤魔化せる。
「ええっと、ギリアムに毎日の魔力制御はおすすめできないわね。あんたはこれから魔力をどんどん増やさなきゃなんないでしょ?」
ギリアムがこくりと頷く。
「それにねー、いくら孫弟子とは言え、あんたの師匠の許可も得ないで課題を与えるわけにはいかないのよ」
こう言っておけば、間違いなくアイツは頭を下げて私に修行内容を相談しに来る。
…それに、第一義的にギリアムを導くのはゼインの役目だ。
「……そっすよね。でも俺……」
ギリアムが手の平を見つめながら躊躇いがちに言葉を出す。
「……ちょっと焦ってるんすよね」
「焦って……何で?」
尋ねればギリアムが視線を落とす。
「……今の俺、魔法使いとしては全くの役立たずっす。かと言って会社のためにニールさんみたいに器用に働けるわけでも無いし、ショーンみたいに頭いいわけでも無いし……」
ギリアムが視線を上げて、少し寂しげに微笑む。
「………足手まといになりたく無いんすよ」
ヤバい、なんか切なくなって来た。
鼻から水が垂れそうである。
あの3人がギリアムを足手まといなどと思うわけが無い。
思うわけ無いが、ギリアムの言っている事も何となく理解出来る。
あの子らはとにかく互いを大事にしている。常に競い合っていたアーデンブルクの生徒たちと違って、誰かを置いて先に進むという事が出来ない。
魔法使いとしての習熟度が低かったのも、結局は一番成長が遅かったショーンに合わせていたからだ。
「……分かった。今のあんたにピッタリな見習いの修行がある」
「!」
ギリアムがどことなく姿勢を正す。
「今後ゼインが与える修行のためにも、身につけておいて絶対に損は無い」
大真面目な顔でギリアムをジッと見つめる。
「見習い魔法使いの大事な修行、それは魔力操作よ」
「魔力操作……」
「そう。日常生活の中で自分の手足を使ってやってることを、全部魔力を操作してやるの。……こんな風に」
指先を振り、ギリアムが着ているシャツのボタンを全部外す。
「うおぅっ!ちょっと姉さん!!そういうとこマジで直した方がいいっすよ!?」
ギリアムがコロッと態度を変えて、私をギンッと睨め付けながら両手で胸元を押さえる。
「えー、減るもんじゃないのに」
「減るんすよ!!」
チッ、残念。
「でもね、これはすっごく難しい修行なのよ?私の昔の弟子たちはみんなローブ着てたから、誰もやったこと無い新時代の修行なんだし」
ギリアムが目をパチパチする。
「呪文を使わなくても、自分の魔力を自在に操れる…。さあ、この修行の意味は?」
ギリアムが胸元を押さえていた両手を離し、手の平をじっと見つめる。
「姉さん、もしかしてこれをやり遂げられたら俺……」
ギリアムの言葉に頷く。
「魔力で魔法陣を描けるようになる」
「─────!!」
「……その手からはきっと綺麗な魔法陣が出てくるわ。繊細で緻密なのに、決して努力の跡を見せないような……」
ゼインが描くような、魔法陣が。
ギリアムがすくっと立ち上がる。
「……善は急げ……すね」
そう言ってグチャグチャになったスタジオを眺める。
「なんとも真面目だこと。よろしい、ディアナ様が君の修行初日に付き合ってしんぜよう」
腰に手を当てながら言えば、ギリアムがニカッと歯を見せ親指を立てる。
「んじゃ姉さん機材よろしくっす」
「……は?」
「俺とりあえずボタンとめるんで」
「は?」
「やるっすよーー!!」
ギリアムが小一時間かけてゆっくりとボタンを一つとめる間に、私は散乱した機材を元の位置に戻し、割れた電球を全部修復した。
ついでに小汚いフロアにモップをかけさせられている時に気づいた。
……多分、私はギリアムの耳を誤魔化せていなかったと。




