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古代魔法の裏の顔

「………リオネル、くたばっている場合か!!起きて陣を探せ!!」


 ハーハーと上がる息とフツフツと上がる血圧を何とか抑え、草原に寝転んだリオネルの体を揺さぶる。

「嫌じゃ。腰痛い」

「い…嫌だとか言っている場合では無いだろう!周りを見ろ!」

 イライラする気持ちを極力抑えながら、仰向けで四肢を投げ出すリオネルの視線の先、隔離空間の天井部分を指差す。

「日が落ちているんだぞ!?暗闇の中では効率が悪いだろう!とにかく早く結界陣を……」

「フンッ、一人でやるがいい。師匠が痕跡が残るような空間しか作れんと思うとる、頭のめでたい()()()()のお主がな!!」

 膝枕をしてゴロンと横になったリオネルに拳を握り込む。

 ……ああ…腹立つ………!



 てこでも動きそうに無いリオネルから距離を取り、左腕の時計を確認する。

 ここに飛ばされてから約3時間……。

 リオネルの授業を終えたあと、私は隔離空間内を隅々まで調べて回った。

 まずは状況確認。

 脱出までの最短行程を弾くためには当然の事だ。

 最初はリオネルも機嫌が良かった。

 無駄に広大な空間内を二人で飛び回りながら、あの池で魚を釣った、あの畑では薬草を育てた、あの森は焼けて無くなった…などという、どうでも良くは無いが、極めてどうでもいいに近い思い出話を披露されたりした。

 

 しかし結論、リオネルが不貞寝する事態となっている。



 草原の上にソファを出し、背もたれに頭を付けながら座る。

 そして目を瞑り頭の中を整理する。

 リオネルにはああ言ったが、やはり想定通りこの空間自体が何らかの課題そのものなのだろう。

 発動元の魔法陣の痕跡すら無い、大魔女が『まるちかったぁ』とか適当な事を言いながら即興で作ったかのように見せた隔離空間。

 最初に感じた違和感通り、やはりこの場所は相当大昔から用意されていたのだ。

 ……相応しい修行を施すために。

 

 ディアナが私たちに学ばせたいこと……。

 リオネルを通して授けられたのは、禁忌を解かれた古代魔法についてだった。

 葬送魔法についてはディアナが自身の固有能力を元に魔法陣化した事は分かっている。

 それが魂の魔力ではなく、人由来の魔力で発動する為の手段だった事も理解した。

 後世の魔法使いの間で〝最も尊い〟とされ、その魔法のおかげで魔法使いは安心して死を迎える事が出来るようになったのだ。


 尊い……。

 頭に浮かんだこの単語に、なぜか言いようの無い違和感を感じる。

 いや、スナイデル王を送った夜にも感じたのだ。

 確かに葬送魔法は我々後世の魔法使いにとっては尊い。だがそもそも論として、あのディアナの性格と思考から〝尊い何か〟が出て来るだろうか。

 間違いなく葬送魔法陣は魔法使いの救いであったからこそ、今日まで儀式として残っている。

 だが、ディアナが見ず知らずの魔法使いを救うために行動を起こすか?

 あの魔女はとにかく自分本位で、悪知恵だって自分のためにしか使わない。

 ではなぜアイツは面倒くさい陣と詞の分離をやり遂げたのか……。



 スクッと立ち上がり、再びリオネルの元へと歩を進める。

 また先ほどのように天井を見つめるリオネルの顔を真上から覗き込めば、彼の瞳がゆっくりと私を捉えた。

「…リオネル、ディアナの口癖を言ってみろ」

 その言葉にリオネルが片眉を上げ、小さく口を開く。

「……朝が来れば夜が来る。朝しか無い国でも『夜のとばり』は使えるし、夜しか無い国でも『朝帰り』は出来るのよ……じゃったか」

 なるほど。

 不適切。年少者に対して非常に不適切。

 だがおそらくディアナは拙い言語能力を駆使して、古い弟子に魔法を使う際の心構えを口伝しているはずだ。

 そこには魔法というものの本質が隠されているに違いない。


「リオネル、ディアナが修行を施す時の口癖でいい。何かを繰り返し聞かされたからこそ、お前たちは世界一の魔法国家を作るまでに至ったはずだ」

 そう言えば、リオネルがようやくその体を起こした。

「……師匠……鬼婆に変わる時の師匠……は確か『あんたたちは魔法使いなんだから、魔法に使われちゃダメよ!魔法が見せるキラキラの分厚い化粧を剥ぎ取って、素顔を暴いてこそ一人前!!』……とか言うとったな」

 ……言っていただろう事は想像に容易い。

「じゃからワシらは研究に研究を重ねて魔法の真理を追い求めたんじゃが……。何か足らんかったんじゃろうなぁ……」


 ポリポリと頭を掻いて視線を下げるリオネル。

 彼の心の内は何となく理解出来る。

 一流の魔法使いとして登り詰めたはずのその先に、まだまだ超えなければならない壁が存在した事への落胆、そして、ディアナがその壁をリオネルに超えさせようとしなかった事への挫折感。

 

「リオネル、良かったでは無いか」

 そう声をかければ、不服そうな顔がこちらを向く。

「ディアナはお前に伸び代があると判断したんだ。一時は独立を許され、稀代の錬金術師として名を馳せたお前に、魔法使いとしてもう一つ高みを目指せる可能性を見出したのだ」

「……魔法使いとして………」

「ああ」

 …かどうかは知らんが、そろそろ動け。


 リオネルが薄闇に覆われ始めた天井を見る。

「……ワシは師匠の弟子としては絶望的に魔力が少ないんじゃ。じゃから化け物どもに埋もれんように、必死に魔法陣を研究して……」

「だからだ。お前は十分に知っているだろう。現存する最上級の魔法は、魔法陣の形でしか残っていないという事を」

 リオネルの瞳が僅かに光る。

「リオネル、思い出せ。ディアナはお前に伝えているはずだ。新しい魔法を使う時、新しい魔法を見つけた時、そして何よりも失敗した時、必ず言い聞かされて来た言葉がある」

 

 

 しばらくの沈黙の後、リオネルの口元がブツブツと動き出した。

「……素顔を暴いてこそ……素顔……キラキラ化粧を剥いだ素顔………」

 そして何かに思い至ったらしく、ふっと微笑んだ。

「……なるほどのぅ。師匠が言いたかったのは、『魔法には表と裏がある』っちゅう事じゃ」

「表と裏……」

「独立を許された弟子は、そんなこと百も承知に決まっとる。皆、自分だけの独自魔法を作る過程で、嫌というほどそれを知るんじゃからの」

「─────!!」

 

 ディアナから直接聞いた事がある。

 あれは古代竜討伐の前、円卓会議の席上で、ディアナは確かに言っていた。『全ての魔法に表と裏がある』と。

 あの時議題に上がっていたのは……

「リオネル、それだ!ディアナが我々に学ばせたいのは、古代魔法の裏の顔!作られる過程にこそ何か重大な秘密が……」

 私の言葉を遮り、リオネルがバッと立ち上がる。

「……おのれ師匠め……!ワシがジジイになった時になぜ言うてくれんかったんじゃ!!性悪ババめ!!」

「そうだ、その意気だ!極悪老婆にひと泡吹かすぞ!!」

「おう!!」


 こうして我々はようやく脱出への第一歩を踏み出した。




「…じゃから、今みんながホイホイ使うとる古代魔法が表の顔なんじゃとしたら、ホイホイ使えんヤツが裏の顔っちゅー事じゃろ?」

「……そうだな。例えば死者復活の魔法陣など、使われる場面を見た事が無い」

「そりゃそうじゃ。それこそ魔法使い最大の禁忌じゃからの。そもそも死者が魂に内包しとった全ての魔力を咄嗟に用意するのは無理じゃ」

「……確かに。だがそこにこそ、この問題の解決の糸口があると思うのだが……」

「どの道確かめるには死体がいるの。……どうじゃ?」

「いいのか?自ら検体提供を申し出るとは……」

「アホたれ!」


 我々二人は再び敷物の上に胡座をかき、非常に有意義な議論を交わしている。

 魔法について意見を競わせる事は、私にとってこの上なく楽しいひと時であり、古の魔法使いもこうして夜毎切磋琢磨したのかと思うと感慨深い。


「そういや……」

 リオネルが数個のランプを宙に浮かべながら口を開く。

「最上級魔法で思い出したんじゃが、葬送魔法と並ぶぐらい有名な割に、何とも中途半端な最上級魔法があるの」

「中途半端……」

 葬送魔法と並ぶほど有名な最上級魔法と言われて思い浮かぶもの……は、一つあるが……。

「……描かせるだけ描かせておいて、結局一人では発動出来ないアレ……か?」

 リオネルの顔を下から伺うように見る。

「そうじゃ。描かせるだけ描かせておいて一人では発動出来ん上にセンスのカケラも無い(ことば)を言わせるアレじゃ」

 二人で目を見合わせる。

 そして声を揃える。

「「──『天泣(てんきゅう)の陣』」」


 今度は二人同時にそれぞれの手にペンを取り出す。

天泣(てんきゅう)の陣』、またの名を『雨乞いの陣』。

 その名の通り高位の魔法使い数人で陣を囲み、雨乞いの〝儀式〟を行うための陣。

 最上級魔法の名に相応しく、あまりにも複雑で精緻な陣であるため、魔力で描くには適さないのだ。


天泣(てんきゅう)天泣(てんきゅう)……」

 ペン先を空に向け小さく呟く。

「あまごいあまごい……」

 リオネルもペン先を地面に向け、ブツブツと呟いている。

 そして二人同時にピタッと手を止めた。


「……あー……ゼインよ、お前さん、陣形を覚えとるか?」

「………雰囲気だけ」

「…………実はワシも」

「「…………………。」」

 リオネルと目を見合わせる。

「はあっ!?お前、魔法陣を極めたんじゃ無いのか!?」

「そっちこそ頭いいだけが取り柄なんじゃから、最上級魔法ぐらいちゃんと覚えとかんか!!」

「その台詞そっくりそのまま返す!!お前から魔法陣の知識を抜いたら、ただのマザコンだろうが!!」

「んじゃとーー!?そっちこそ年増趣味の変態じゃろうが!!」

「な、だ、だれが……!」


 ……とにかく、途轍もなく有意義で建設的な激論を交わしながら、私たちはお互いの記憶力を限界まで絞り切り、4時間半という時間をかけて一つの巨大な陣を描き上げた。



「ゼイン」

 夜風が吹き抜ける草原の中心、まるで星座と重なるように宙に浮かぶ魔法陣を見上げながら、リオネルが真面目な声で私を呼ぶ。

「なんだ」

 彼の隣に立ち、同じように陣を見つめる。

「……『天泣の陣』は複数人で発動せにゃならん」

「知っている」

 だから私は過去一度もこの陣を使った事は無い。描く練習も大してしなかった。

「ワシは、それこそが分厚い化粧じゃと思う。お前さんならば確かめられるじゃろ?」

 リオネルの言わんとする事を即座に理解し、左腕の時計に触れる。

 そして静かに詞を唱える。

 

『我ら大地に生まれし弱き者、天の恵みを伏して乞う。我らの魂で天の壺を充たしたまえ。慈悲の涙を流したまえ……』


 時計に溜めた魔力を宙に浮かんだ陣へと一気に放出する。

 その瞬間陣が青白く光り、私たち二人の頭上に大粒の雨が降り出した。

「やはりのう……。必要なのは人数じゃのうて、大量の魔力じゃ。じゃから人数がいるとも言えるが……」

「ああ。魔法陣の出来としては葬送魔法の方が遥かに優れている。…ちなみに、今のでおよそ白炎二十発分の魔力を使った」

「……おぬしのどこに兵器が必要なんじゃ」


 古代魔法の本来の発動方法を知った今ならば分かる。

 かつてこの陣は、魂の魔力を捧げる代わりに雨を降らせてくれと〝誰か〟に依頼するためのものだった。

 雨の為に命を失うリスクを分散するために、多人数で発動するという儀式となったのだ。


「リオネル、お前の授業を受けた後に言った事を覚えているか?」

 リオネルが雨に濡れながら片眉を上げる。

「望むものを手に入れたら、相応の価値を持つものを差し出す…もしくは、望むものを手に入れるために、何かを差し出す。それを〝対価を払う〟と言うのだ。私はこれを人間との間で数百年繰り返して来た」

 口に出してようやく気づいた。

 ディアナがなぜホリ・タイガの腕の文字に拘るのか。

 ナナハラ皇家が千年前国を統一するために〝誰か〟から得た力。

 そして力を得るために〝誰か〟に差し出したもの。

 何かを為すために、魂の魔力…人間においてはそのまま〝命〟を賭けたのかどうかを知りたがっている。

 

「……そしてもう一つ。きちんと対価を払い終えるまで、お互いを縛るものがある」

 リオネルが一度目を瞑り、そして空を見上げる。

「古代魔法の裏の顔は……契約魔法……じゃな」

「……おそらく」

 強力な封印や結界などに使われる契約魔法。

 考えてみれば、何と何の間で契約が成立するのかを突き詰めた事は無かった。

 自分と対象物との間で成立していたのではなく、その魔法を〝作ったもの〟との間で成立していたのだ。



 二人で降り続く雨に打たれる。

 傘一つ出さずに、ただ雨に打たれる。

 そしてただひたすらに流れる沈黙。

 そう、ひたすら流れる沈黙………。


「……で、どうやって帰るんじゃ?」

「……………………。」

 いや、そうなのだ。

 ディアナの授業は受け終えたはずなのだ。

 ……どうやって帰るんだ?

「「…………………。」」


 そのままどれだけ立ち尽くしていただろう。

 気づけば空の星々は霞み出し、樹の向こうからは朝日が差し込んで来た。


「あ」


 朝日と大雨という奇妙な空間の中、リオネルが声を上げる。

「………『あ』の続きを言え」

 ほとほと疲れたと言った雰囲気で素っ気無く言う。

「いやー……何ちゅうか、ワシ、そのう……引きこもりじゃったじゃろ?」

「……ああ」

 引きこもりでマザコンだ。

「人生で一度も使うたこと無いから、すーーっかり頭から抜け落ちとったんじゃが……」

 ゆーっくりとリオネルの方に首を回す。

「『朝帰り』の呪文な、最強クラスの保護結界の『夜のとばり』をすり抜けられるほど強い転移魔法でな?」

「……ほーう?」

「……まあ……朝ならより効果が強まる……というわけで、その……ま、普通に出れるわい。この空間」


 

 未だかつて他人に向けた事は無いであろう、顔面の筋肉限界まで駆使して微笑みを浮かべる。

 ……つまり何だ?

 膨大な時間をかけて描いた『天泣の陣』は全くの無駄骨だった…と?

 ディアナの目的は授業や課題などという高尚なものでは無く、ただ単に私たちをここに監禁する事だった…?

 朝まで?ほう、何のために?

 ……とまぁそれは追々バカ女を締め上げるとして、今私が叫ぶべきはこの台詞だろう。


「………こんの………ボケジジイがっっ!!」


 

 最初から『朝帰り』の呪文の術式を改良して脱出していれば、私はこの数十分後、人生初の大パニックに陥る事も無かったのだ。

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