打診
気まずい。
なぜ応接室に彼と二人で残されたのかは分からないが、非常に気まずい空気が流れている。
そもそも彼…ホリ・タイガとは、ディアナを迎えに行った給食センターの医務室で交わした会話以上の付き合いは無い。
……こちらが一方的に彼を調べているだけで。
「あ…の、今日は本当にご迷惑をおかけしました」
「いや……」
そして開口一番、私はどうして彼に詫びられているのだろう。
私に迷惑をかけたのはディアナだが。
「ご不快に思われたでしょう?その…どこの馬の骨とも分からない男がいきなり……あー…ええと婚約者の家に来て、騒がしくしてしまって……」
こ……んやく……人間の中では私とディアナはそういう…まあ、すでに否定も出来ない状況なのだが。
ローテーブルを挟んで、そこそこ大きめのソファの対面に座るホリ・タイガを真正面から見る。
本気で申し訳無さそうに縮こまっているのだろうが、普通にデカい。
「あー……いや、粗方の話は聞いている。何でもディアナにストーカーが付き纏っている件を心配してくれた……と」
忘れかけていたが、事の始まりは三千年以上ディアナに纏わり付いているあの変態魔女だった。
餌をぶら下げてここに突撃して来るのを留めたが、人間まで巻き込む事になるなど迷惑の度が過ぎる。
いや、巻き込んだのはディアナだが!
「……ええ。だからアタシ勘違いしちゃって……」
ホリ・タイガが一つ息を吐く。
「……社長に一つ、謝罪しなければならない事があるんです」
謝られるような事をされた記憶は一切無いのだが、とりあえずその場の流れに任せる。
「アタシ……あの子が社長にないがしろにされてるんだとばかり思ってて……」
「蔑ろ?」
彼がスッと目を伏せる。
「あの子からストーカーの話を聞いた時、アタシ真っ先に社長に相談したのか聞いたんです。そしたらどうにも相談できる雰囲気じゃ無さそうな感じだったから、てっきり社長とあの子は形だけの関係なんだと思って……」
「………………は?」
思わず自分の口から出た間の抜けた声よりも、耳に届いた言葉が真実過ぎて固まる。
形だけどころか、ディアナ本人が全くその事を知らない関係だ。
彼が顔を上げる。
「あの子の名前……ディアナ・アーデンじゃないですか」
「あ、ああ」
「国の名前を姓に持つって、普通に考えたら相当に古い家……というよりも、それなりに力のある家の出身だと思うんです」
「まあ……そうだな」
古いどころかディアナ自身がこの島の開拓者だ。
「だからアタシ、社長とあの子は家の都合で婚約させられてて…その、社長はあの子に興味が無いもんだと……」
「!」
ここでようやく彼の言わんとする事が頭の中で明確になった。
「君は私とディアナがいわゆる政略結婚の間柄だと思ったというわけだな」
そう言えば彼が今度こそ本当に縮こまった。
「申し訳無い話です……。来て早々に間違ってたって気づいたんですけど……」
「いや、確かに外から見ればそうとしか取れないだろう。歳…もかなり離れている」
向こうが万に近い桁数で上だ。
「あ、いえ、社長があの子を大事にされてることはよく分かりましたから。ご子息との関係も良さそうだし、何よりもミスター・サーマンのような凄腕の護衛を付けてらっしゃるんですもの」
「まあ……うむ」
ミスター・サーマンより、ディアナの方が絶対に強い。
ここでふと、年若い彼が政略結婚などという古臭い制度に思い至った理由について考える。
そしてようやく私が知りたかった話が切り出せる事に気づいた。
「ホリ君、君の故郷では今もそういった婚姻は普通なのか?」
尋ねれば、彼の顔がキョトンとする。
「君の故郷というより、君の生家……と聞くべきかな」
この言葉でホリ・タイガの切れ長の目がまん丸になる。
「え…あの、アタシの家……ご存知なのですか?」
「こう見えて意外と嫉妬深いのだ。ディアナが毎日毎日君の話ばかりするから調べさせてもらった」
途端にホリ・タイガが大きな体でバッと立ち上がる。
「嫉妬ぉぉぉ!?待って待って!違うから!アタシそういうんじゃ……!!」
目の前に立たれると、さらにデカい。声もデカい。
だがなぜだろう、彼には警戒心が湧かない。
人間の前に立つ時は、必ずどこかしら気を張っているものなのだが……。
「ああ……なるほど。ディアナが君に懐いた理由がようやく分かった。君はこの国の古語が上手いな」
「古語……?え、アタシ古語喋ってるんですか?」
間違いなく、喋っている。
ガシガシと頭を掻きながら、彼が再び座り直す。
そして一頻り何かを考えたあと、ホリ・タイガが真正面を向いた。
「ええと、社長」
頷き、続きを促す。
「……全部ご存知みたいなので、無礼は承知で一生に一度のお願いをさせてもらえないでしょうか」
「願い?」
バンッとローテーブルが叩かれる。
「ナナハラの連中がネオ・アーデンに現れたら、社長の権力で追い払って頂きたいんです!!」
「は?」
追い払う……?
他国の人間を?
前のめりで眼前に迫って来るデカい体を避けるため、やや体を逸らす。
「アタシ普段は真っ向勝負でズルとか卑怯とかほんっとに大嫌いなんです!でもこればかりは社長の腕力以外の強さをお借りしないとどうにも出来なくて!」
「ま、待て!理由を言え!理由を!」
逸らしたら、逸らした分だけ詰められる。
「アタシ国に帰りたく無いんです!やっとここまで来たんです!」
「ちょ、離れ…」
「柱に括り付けられて、死んだように生きるなんて真っ平ごめんなんです!」
「離れ……」
「だから何とかこの国に置いて…」
眼前数センチまで迫ったホリ・タイガの額を人差し指で止める。
「離れろ。1ミリでも動いたら頭を吹き飛ばす」
「─────やっぱり!!」
目を輝かせるな。
何がだ!
「………話を纏める。君はナナハラ国の断絶した皇家に繋がる分家の出……という事だな?」
ホリ・タイガから対角線上に距離を取り、事前に調べてはいたが、改めて彼に吐かせた話の内容を復唱する。
「ええと…先ほども言いましたけど、それを知ったのは5年前のことなんです。突然偉そうな政治家達がやって来て、祖父の祖父の祖父ぐらいの時代に枝分かれした当時の皇帝の弟の血筋だとか何とか……」
こくりと頷いて見せる。
彼のバックボーンを調べるために取り寄せたナナハラの資料の中にもその記述があった。
5年前の新聞記事に『断絶した皇家の血筋が見つかった』と。
「ナナハラの保守勢力は国の再興のために君を担ぎ出そうとしている。君はそれを嫌がりこの国に来た……ここまでは合っているな?」
ホリ・タイガが大きな溜息を吐く。
「……ええ、おっしゃる通りです。そのための後ろ盾になってやるから、どっかの大臣の娘と結婚しろって。大昔の話持ち出されても知ったことじゃないし、その時アタシまだ18だったんですよ!?」
確かに彼の言い分は筋が通っている。
「それで父がネオ・アーデンに行ったらどうかって……」
だが彼のこの言葉に耳がピクリと動いた。
「父親が……?」
彼が頷く。
「ネオ・アーデンは人口が多いし、アタシみたいに明らかに外国人って顔してても働き口があるし……」
「いや、そこじゃない。普通に考えておかしいだろう。君はナナハラ国の将来を左右する存在だ。それを知った上で息子を国外に出すか?まるで何かから逃すように……」
私の言葉にホリ・タイガが真顔になった。
明らかに纏う空気が変わった。
「……社長は、あの子とサラスワで出会ったんですよね?」
「……ああ」
外向けにはそういう事になっている。
「サラスワには精霊がいる……こういう話をどう思われますか?」
「─────!!」
彼の質問の真意は分からない。
だがおそらく、これを否定するイコール彼との関係はここで終わる、そんな気がする。
「……精霊はいる。サラスワに精霊がいたから、私はディアナに出会えたのだ」
ディアナがサラスワを旅の終着点にしたのも、セルウィンとしてネオ・アーデンにやって来れたのも、全てはサラスワの人間の中に精霊が生きていたからだ。
仄暗かった彼の瞳に一粒だけ光が入る。
「……ナナハラにも、ガーディアンの社長を呼んでくれるような精霊がいれば良かったんですけどね」
そして皮肉気に上がる口角とともに、捲り上げられる左腕……。
「……ナナハラにいるのは〝邪神〟なんですって」
「!!」
「………千年も呪いをかけ続ける、神……」
聞き慣れた単語でも、人間の口から出て来ると変な焦りが出る。
「……ってヒドくないですか!?」
「………は?」
ホリ・タイガの目がカッと見開かれる。
「じゃあ何よ!?ホリ家は先祖代々、その邪神を崇め奉って来たとでも言いたいわけ!?」
「………は?」
「アイツらなんて言ったと思います!?『今すぐに腕の墨を消しなさい。それはナナハラ千年の呪縛だ』……とか何とか……知ったこっちゃ無いわよ!!」
「……………は?」
「アタシはホリ・タイガなの!このタトゥーは千年の歴史を持つヒヨクセンシュウ流古武術の正統な後継者の証なの!!……邪神じゃないのよ、グスッ」
……聞き取れなかったが、今重要なのはそこでは無いだろう。
ホリ・タイガの腕に彫られた文字をじっと見つめる。
ナナハラ千年の呪縛、邪神と呪い。
それを先祖代々継承して来たホリ一族。
……面白い。
人間からもたらされる話としては、数十年ぶりに面白い。
「分かった。君の〝お願い〟に全面的に協力しよう」
言えば、彼の顔がパッと明るくなる。
「だが、一つだけ君にやってもらわねばならない事がある」
「アタシに……?」
「ああ」
ホリ・タイガの両の目を見据える。
「プロになれ」
彼の目が見開かれる。
「……プロ?」
「ああ。元々そのつもりだったのだろう?そうじゃなければ永住権の申請などしないはずだ。我が国では永住権の無い人間は個人事業は営めない事になっている」
「それはその……で、でも、それ一本で食べていくためにはこれからスポンサーなんかを……」
彼の言葉を遮り、眼前に指を差し出す。
「それだ。……ホリ君、我々と専属契約を結ばないか?その契約書が、君を〝人柱〟としての人生から守ってくれる」
「─────!!」
口をポカンと開けて固まったホリ・タイガに口端を上げて見せる。
これで私の方の土台は整った。
……もう一人のプロの方は、何かを発見したのだろうか。




