ただ働きはしない
偉そうに空中にロッキングチェアを出して、ゆらゆらと揺られながら教科書を読み耽るディアナが視界の端に映る。
その姿を見ながら、つくづく行動が老婆だな、と思う。
あの朝のディアナの様子が変だったことに思い至ったのは、オスロニアへの出張の途中だった。
私の記憶では有名なストレス発散法であるストレッチとマッサージの2点セットをこなしただけで、特筆すべき事は何も無かった。
とにかく本物の老婆の凝り固まった関節と筋をほぐすのは相当苦労した。
竜討伐の詫びも込めて私自ら肩を揉んでやったというのに、痛い痛いと文句ばかり言っていた。体内魔力操作はどうした。
そしてその後はひたすら喋り続けるディアナのおそらく五千年分ぐらいの思い出話に根気よく付き合い、おそらく万の桁に近い私の兄弟子にあたるであろう人物たちの話を意識を朦朧とさせながら聞き、気がつけば暗殺者に額を狙われていた。
暗殺者の正体は挙動不審なディアナだったが。
あの女、今度は何に脳を取っ散らかせているのか……。
「ゼイン、オスロニアからの調査要請はどの段階で出させる?」
ニールの声に、ハッと現実に戻る。
「そうだな……調査に向かうのは人間だ。過去の例を見るに、海底火山噴火後の調査は二次被害が出るのを避けてからになる」
「そうですね。噴煙が収まり、地震活動の収束を待って……となると、3、4年といったところでしょうか」
トラヴィスの言葉に頷く。
『少し遅すぎる気がします。それでなくても予兆が無かったと騒がれてますし、まずは海底探査ロボを向かわせて、人間向けの印象操作を完了させた方がいいと思います』
画面越しのショーンの発言に、彼の成長を感じる。指示に従うだけでは無く、自ら意見を述べる。
そしてその意見がどんどん魔法使いらしくなっていく。
「ショーンの発言にも一理ある。船舶事故の遠因は、この海底火山とそこに眠るおたからだと結論付ける。人間に早く見せた方がいい」
「おっけ。それじゃあ社内向けにそれとなく探査機器の在庫確保を指示しておく」
ニールの言葉に頷き、問題はここからだと思う。
竜の討伐地をオスロニアの実効支配海域に定めたのは、あそこが世界で一番人間の手から遠い場所だからだ。
クラーレットが徹底的に国を閉じていたおかげで、監視がしやすい貿易船以外に海域に近づく他国船はおらず、興味本意で火山を見に行く自国民は存在しない。
ついでに潜水艦が近づくのを防ぐための海底火山騒動でもある。
つまりは、宇宙空間を漂う偵察衛星と、上空を飛ぶ航空機向けの外観さえ取り繕えば、後はこちらの都合でいかようにも対応できるというわけだ。
陸地と海底を繋ぐための魔法陣には当たりを付けている。そう難しくは無い土魔法の陣だ。
それを浮島状態の陸地の裏側と海底から同時発動させるだけ。
だが早期に仕上げるとなると、深海でそれをやり遂げられる人物の当てが一人しかいない。
魔法の技量も魔力量にも文句の付け所が無いのだが、その理由を理解させるのが非常に難しい人物。
ふとギリアムの方を見れば、顔を伏せて肩を小刻みに震わせている。
その様子を見て、全員が声を抑えて話し出す。
「……ギリアム、ディアナちゃん何か言ってるの?」
「クク……ヤバいっす。想像の上行くセリフのオンパレードで、腹筋がヤバいっす」
トラヴィスがチラッとディアナの方を見る。
「……ディアナ様は教科書音読派なのですね……」
「「「ブッッ!!」」
トラヴィスの真面目なボケがクリティカルヒットする。
『ディアナさん、何て仰ってるんですか?』
空気を読んだショーンが、画面越しにチャット機能でメッセージを送って来る。
『はぁ〜現代人は海にも線引いてんのねぇ。どうやってんのか知らないけどご苦労なことだわ。どうせ魔女には無視されんのに』
タカタカとギリアムが打ち返した文字に皆の肩が震え出す。
気持ちは分かるが、笑っていられる状況では無い。
この場所に新しく大地が出来る事の意味を、誰がどうやってディアナに理解させるのだ。
「ディアナ、何か分かったか?」
そろそろ教科書を渡して30分が経つ頃、期待値低めに聞いてみた。
「ん〜……陸地から一定の距離の海は領海で、そしてそこから続くはいたなんとか…… 」
ロッキングチェアから漏れる声が大きくなる。
ふむ、そこまでは行き着いたか。
「よし!かんっぺきに分かった!」
叫んでディアナが降りて来る。
……そこに行き着いただけで何かが分かるほど世の中甘くないだろう。
「へ、へえ、ディアナちゃん賢いね!それで?何で僕らは陸地を作ったんだろ」
ニール、お前は優しいな。顔と声音だけは。
ディアナが自信満々な顔で会議机に近づいて来る。
「面白いじゃない!これは世界地図を使った陣取りゲームってことよ!」
このディアナの発言に、全員がギョッとした。
「私得意だったのよ。トラベル世界地図もそこからヒントを得て作ったってわけ。校庭に世界地図広げてピンの刺し合いしたじゃない。トラヴィス覚えてるでしょ?」
皆でトラヴィスをバッと見る。
「あ……そう言えば応用過程の時にクラス対抗戦を行った記憶が……ボソ…地獄のような」
「そうそう!ピンを刺した国に強制的に転移させられて、その国の魔法使いに見つからずに帰って来れたら陣地獲得ってね!面白かったわよねー。投獄された子なんかもいてさ」
「「「……………。」」」
「でも各地の黒衣の魔女にはちゃんと付け届けってヤツやっといたの!『うちの生徒に手出したら私が直接迎えに行く』って書いて。デキる校長よね、私って!」
「「「……………。」」」
碌でも無い。とにかく碌でも無い。
「え、私なんか間違ったこと言った?」
ディアナがキョトンとする。
「あ、ああいや、核心を突かれるとは思っていなかった。その通りだ。我々がやっているのは現代版の陣取りゲームのようなものだ。海底火山の隆起により、オスロニアには領土が増える。そしてそこからさらに支配海域が増えるのだ」
皆がこくこくと頷く。
「だが国境線の変更を各国に認めさせるには相当の時間がかかる。人間のペースに合わせて待機するなどあり得ん。……という訳で、今回は分かりやすく目先の利益を取りに行く」
ただ働きなどするか。例えそれが竜相手でも。
「そうそう。僕たち魔法使いでしょ?人知られずにやった仕事の見返りは、ちゃーんと人から貰わなきゃ!」
ニールがパチリと片目をつぶる。
「見返りねぇ……」
ディアナが呟く。
『そうですよ、ディアナさん!宝探しです!』
「ショーン違う。姉さん、海底遺跡の発掘っす」
「ギリアムも違う!海底資源の発掘!ったく口を滑らさないでよ?あ、ディアナちゃん、リオネルさんの金貨はちゃんと有効活用するから安心して?」
「ええ。ディアナ様があくせく労働する状況など私が許しません。不労所得を得る仕組みを構築しますので、今しばらくお時間を」
皆が言い終わり、ディアナに手を振りながらどこかに……というか多分家に帰った。
ごく自然に残りの仕事を放棄して帰った。
ディアナが数度目をパチパチしたあと、私の方を振り返る。
「あんたって……世紀の大詐欺師なんじゃないの?」
詐欺師……。
なるほど。面と向かって言われたのは初めてだが、人間からしてみれば確かに似たようなものかもしれん。
「ま、ある意味師匠の教えがいいからな」
「は?なんのこと……」
ディアナの耳元で囁く。
「……竜の亡骸はどこに消えたのだろうな?」
「!!」
驚愕の表情で私を凝視するディアナに、薄く微笑みながら言う。
「秘密を守る対価……さてさて、何を払ってもらおうか」
両手の拳を握り締めてブルブル肩を震わせるディアナに背を向け、そして腹の中でほくそ笑む。
これで深海での作業員は確保した。
「あ、分かった。最高級の竜の素材でこの間の夜の件はチャラにしてくれるってことね!」
背中に受けた声でピタリと足を止める。
「……は?」
振り返れば、なぜかディアナが『シメシメ、これで解決』的な顔をしている。
何かは分からないが、妙に腹立つ。
「ま、一応反省してる。弟子に手を出すとか若気の至りじゃ済まないというか……」
この部屋のどこに若者がいる。
いや、そうではなくて、弟子に手を……はあっ!?何がどう脳内で処理されればそんな結論が……なるほど、これは面白い事になって来た。
「……ああ、あの件か。よく覚えていたな」
「覚え……いや、何か夢見ただけかもしれないと思ったんだけど、起きたら体中がミシミシしてたし、その割にスッキリしてたというか……」
それこそがストレッチとマッサージの効果だ。そしてお前はどんな夢を見た。
「それにお風呂にだって服着て入るあんたが半裸で……ああっっ!私って何て魔女なの!自分の記憶力が鮮やかすぎて憎い……!!」
半裸………ああ、なるほど。
よし、全ては繋がった。
結論、やっぱりディアナは馬鹿だ。
というか記憶力がヤバいどころの話では無い。
「分かった。全ては水に流そう。私は優しいからな。今回はスーツの弁償代だけで勘弁してやる」
「え?」
キョトンとするディアナにニッコリと微笑む。
「よかったな。あの時お前が汚い涙と化粧と鼻水でグシャグシャにしたスーツが、月給三か月分程度の価値しかなくて」
「は?……は?」
ポカンとしているディアナに背を向け、笑いを堪えながら自席に向かう。
ディアナ、覚悟しておけ。
舌先三寸の半端な詐欺師と私は違う。
世界を煙に巻き、己の欲望に忠実に動き、そしてそれを必ず本当にする。
……実現までの道のりを縮めたのはお前だからな。




