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翌日

「ねえ、あんた聞いた?海底火山の話」

「聞いたわよー。うちの旦那輸出業やってるでしょ?しばらく船が迂回路を通るとかなんとか……」

「ああやって大地ができるなんて不思議よねぇ」


 

 魔法使いが竜の討伐で疲れ果てていても、人間にはとんと関わりのないことだ。

 だが今日の給食センターはひと味違っていた。

 普段は黙々と作業をしている女たちが、頻繁に手を止めてはお喋りに興じている。


 そう、竜との激闘からわずか数時間、私は久しぶりに見習い修行に来ていた。

 眠りこける皆を置いて、ヨタヨタと歩いてやって来たのだ。

 ……半分嘘である。

 歩いている風に見せかけて、5センチぐらい浮いて来た。

 まるで何も無かったように訪れる日常。

 その日常を、私は一人噛み締めていた。



「……はあ〜……。っとに休んでる間に筋肉どっか行っちゃったわよ。なんでこの皿こんなに……重いのよ!!」

 日常と奥歯を噛み締めつつ、つけおき洗い中の皿が詰まったカゴを水槽から取り出す。

「…ったくボタン押す順番も分かんなくなったわよブツブツブツブツ……」

 愚痴を吐きながらせっせとカゴを機械に運んでいると、背後に大きな影が立った。


「……ディアナ・アーデン………」

 バッと振り返れば、そこには鬼の形相のホリーダがいる。

「あ、ホリーダ久しぶり。ええと…大丈夫!まだ何も失敗してな……」

「あんた……ちょっとこっちに来なさい!!」

「はっ!?」

 ホリーダが私を肩に担ぐ。

「はあっ!?」

「暴れるんじゃないの!ったくどこまで馬鹿なのよ!!」

「はあ〜〜!?」

 訳もわからないまま担がれて、私はせっかく来た職場を後にしたのだった。



「ほんとにアンタは何考えてんのよ!久々にちゃっかり出勤して来たと思ったら、堂々と出勤して来るんじゃないわよ!!」

 ドサッと変なニオイのする部屋の椅子の上に座らされ、ホリーダの鬼の形相の原因を考える……が、どうにも理不尽に怒られている気がする。

「あーし!足首!出しなさい!!」

「あしくび……」

 呟きながら自分の足首に目を落とす。

「────!!」

「何やったらこんなことになんの!?アンタ流行り病で寝込んでたんじゃないの!?」

 いや、確かに現代社会でもありふれている呪いのせいで休んでいたのだが。

「……ていうか、痛くないわけ?」

 

 ホリーダのこの質問はもっともだろう。

 給食着の裾から出ている私の足首は、これでもか!というほどドス黒く変色していたのだ。

「……折れちゃあいないわね……」

 ブツブツ言いながらホリーダが部屋の中をウロウロし、引き出しから何かを取り出して持って来た。

「応急処置しとくわ。後でちゃんと医者に見せるのよ」

 そして以前ギリアムとショーンがやってくれたように、スーッと冷んやりとした馬鹿につける……違う、しっぷうをあて、丁寧に包帯を巻いていく。

「ホリーダ上手いわねぇ。どっかで習ったの?」

 聞けば彼女が片眉を上げ、溜息をつく。

「……まあね。こっちが本業みたいなもんよ。それよりあんた、何したの?」

「あー………」


 ようやくこのドス黒さの原因に思い至った。

 蹴ったのだ。竜の牙を。原始魔法〝怒り〟を込めた右足で、ゼインを食べようとした竜の牙を蹴ったのだ。

「……竜」

「………竜?」

「じゃなくて車!!車にぶつけたの!!木を運ぶヤツ!竜の頭だけみたいな車!!」

 頑張って言い訳してみたが、ホリーダの顔がみるみる赤くなる。

「……だぁかぁらぁ……言ったでしょうが!道路の真ん中に立つなって!!脳みそ入ってんの!?」

「あ……う……多分」

「迎え呼ぶから待ってなさい!」

 おデコをツンとつついて、ホリーダはどこかへ行ってしまった。

 

 ……嫌ぁな予感がする。

 なんかヤバい気がする。

 カッチリなアイツとかエレガントなアイツが激怒している絵面が浮かぶ。




「──ディアナ!!」「ディアナ様っっ!!」

 ……やはりか。

 待つことしばらく、部屋のドアがビシャーンと開き、先ほど頭に浮かべたアイツとかアイツの声が響き渡った。

「お……まえは……なぜ勝手に仕事に出た!!どれだけ探したと思っている!!」「ディアナ様!どうして何も告げずに出かけられたのです!!」

 カツカツカツカツと足音が近づいて来る。

 振り返って二人の方を見れば、視界の端でホリーダが『そうていがい』と口を動かしていた。

 


 なぜか頭上で人間っぽい会話が始まる。

「とにかく知らせてくれて助かった。まさかディアナが………怪我を押してまで仕事に来ていたとは」

 ゼインがチラッと私の足首を見て、機転のきいたことを言っている。

「ええ、本当に……。後ほど御礼の品をお届けします」

 トラヴィスは何を言っている。

「社長、それからサーマン…さん?御礼なんてとんでもない。むしろ昼まで怪我に気づいてやれなくて、指導担当として申し訳なかったと思ってるんですよ」

 ホリーダが恐縮しながら喋っている。

「いや、本当に助かった。……ところで、君がディアナの指導を……?」

「ええ」

 ゼインが固まる。

 そして私の方を見る。え、なんで?

「ホリ…くんが?直接?」

「え?ええ。指導力不足で申し訳ない限りで……」

 ………ホリークン?

 あーゼイン、それだめなヤツだわ。

 社長なんだから社員の名前はちゃんと覚えなきゃ。

 あんたがアホ扱いする私だって弟子の名前は全員覚えてるっつーの!

 



 とりあえず乗せられたトラヴィスが運転する車の中は、なぜか微妙な空気が流れている。

 怒られると思っていたのに、二人とも何も言わない。

「……ディアナ、お前は今魔力がある状態だな?」

 一緒に後ろの席に座っているゼインがボケている。

「は?見れば分かるでしょ。アレクシアの魔力がカスカスだったから、起こさない方がいいと思って」

 リオネルに支えられるアレクシアなど、非常事態が起きていたに決まっている。

「……そうか。……あー……いい指導担当のようだな、彼女は……」

「あ、わかるー?ちょっと口煩いんだけどね。年下のくせにお姉さんぶっちゃって可愛いくない?ブツクサブツクサ言いながら世話焼いてくれちゃって」

「………………本気か」

 ゼインが珍獣を見るような目で見ている。

「何がよ」


 どうにもトンチンカンなゼインが真顔になり、運転席のトラヴィスに声をかける。

「トラヴィス、ガーディアン・ビルに着けてくれ。ニールが必要だ」

「畏まりました」

 何事かを考え込んでいるゼインを横目でチラッと見る。

 黒髪をキッチリと整え、カッチリとしたスーツに身を包み、相変わらず青白い顔をした……

「あーーー!!あんた何でスーツ着てんのよ!!ま……まさか仕事に出かけたんじゃ………」

 指先をワナワナしながら叫べば、ゼインがうっすらと不吉に微笑む。

「……脳みそにかけられた呪いを解くまでは何も言うまいと思っていたのだが………」

 ……呪い?え、みんなが呪われないように竜の寿命奪ったのに?失敗したってこと……?

 いやそりゃ三千年ぶりぐらいだったけど失敗するとか……。


「………なぜ怪我をした!!そしてなぜ勝手に仕事に出かけた!!普段働きたがらないくせになぜこんな時だけ生真面目な行動を取るのだ!!ぁあっっ!?」

 両頬をガシッと掴まれる。

「ブッ!!」

「城の皆がどんな気持ちでお前を探したと思っている!!お前が竜と一緒に消えたのかと……」

 ゼインがバッと顔を伏せた。

「ご、ごめ、ねれなくて、あたまひやそうかと」

「………などと言うと思ったか?朝から忙しくてお前がいない事になど気づいていなかった。トラヴィス以外はな!!」

「…………………。」

 


 

 お久しぶりの60階に着いて早々、ゼインが無言で私をニールの前に突き出したあと、トラヴィスとともに消えた。

 おそらく思念で引き継ぎしていたのだろう。ニールが困ったような顔で微笑んでいる。


「ディアナちゃ〜ん、ほんと勘弁してよ。……ヒソヒソ…朝からゼインが真っ青な顔して走り回って大変だったんだよ?」

 誰もいないのになぜヒソヒソ話……と思いながらも私も声を落とす。

「…ヒソ……ゼイン体大丈夫っぽい?昨日ほら、グサッと…ね?アレだったから、その……」

 言葉の途中で唇を噛めば、ニールが私の頭をポンポンとする。

「…あのね、そういう事は直接お互いで確認し合わないと。ディアナちゃん……寝てないんでしょ?ゼインが心配で眠れなかった?」

「…………………。」


 閉じ方を忘れたのか、開いたままの両目からポタッポタッと床に水滴が落ちていく。

「……じ、じんせいではじめて、めのまえで、でしがたべられた」

「うんうん」

「わ、たし、せいまほうがだめで、に、にーるがいなかったら……」

「…うんうん」

「つかっちゃいけなかったのに……」

「……うん」



 昨日私は怖かったのだ。

 ゼインが戦いの場に戻って来ることが。

 

 私は知っている。

 ゼインが自分から竜に噛まれに行ったことを。

 効率良く髭を切るために、まるで何でもないことのように、自分の体を使って竜の顎を固定したことを。

 ニールに対する全幅の信頼があるのだろう。

 髭を切ったあと、サッサと船に行ってしまったのだ。


 あの時の私は、怒りとゼインの血で目の前が真っ赤に染まっていた。

 でもゼインに怒るのは筋違いだということも分かっていた。

 彼はとことん魔法使いらしかっただけ。

 私がフラメシュの禁書庫でやったように、目的のために手段を選ばなかっただけ。

 

 ……だから私は奪ってしまった。

 竜の寿命を。

 魔法じゃなくて、私の固有能力で。

 呪いを防ぐためなんて言い訳で、ゼインがまた無謀なことをする恐怖から逃げたのだ。

 最低だった。

 私は……魔女として、最低だった。

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