終結
「キャーーー!!!」
「うわぁぁぁぁっっ!!」
纏っていたローブを取り去った瞬間、頭に響くグラーニン夫妻の大きな声。
「ゼイン!!」
ドタドタという足音とともに視界に入るニールの顔。
「「ゼインさん!!」」
続いて目を見開く双子がそれに続く。
「ニール、応急処置でいい」
そう言えばニールが素早く動き、皆に指示を出す。
「双子!ゼインをベッドへ!カリーナさん僕の補助を!マカールさんはドリンク用意!」
「「分かった!!」」「「はいっっ!!」」
ベッドに横たえられながら、ポタ…ポタと自分から流れる血が床を打つ音を聞く。
傷口を押さえていた手の平を顔の前に持ってくれば、大量の赤黒い液体が付着しているのが目に入る。
……私は間違いなく肉体を持っているのだな。
そんな事を考えている場合では無いのだろうが、怪我の際に痛みでは無く熱さだけを感じるのは初めてのことで、妙に感慨深かった。
目を閉じて、確かに感じた手応えと、そして腹部を貫いた竜の牙の熱さを思う。
食われるとはああいう感覚なのだな……。
まるで人ごとのように思いながら、最後に見たディアナの鬼のような形相を思い出す。
……あの感じ、指輪を取り上げられるかもしれん。
「ゼイン!穴から塞ぐから!」
腹部にニールの治癒魔法の温かさを感じる。
「カリーナさん清浄魔法いける!?傷が分かるように血を拭って!!」
「はいっ!」
「双子!実況して!」
「「分かった!!」」
「ニール…」
「ゼインは喋んないで!!」
ニールの歪んだ必死の形相を見て、言葉を出すのはやめた。
あえて呼ぶならば、〝先輩魔法使い〟三人の連携は、ほぼ完璧だったと言えると思う。
私だけが彼らの実力を読み誤っていたのか、お互い本当に知らなかったのかは定かでは無いが、あれほど戦えるのであれば最初から短期決戦のつもりで挑めばよかった。
特にクラーレット、お前だ。
『──影縫い・術式その五、本返し!!』
叫んだトラヴィスは、両手から氷で出来た大量の太い針を出し、竜の真上から一気に振り撒いた。
寸分の狂いもなく地面に突き刺さった針は、竜の体と地表面の間に出来た影を縫い、竜の体の下半分の動きを奪ったあと消えた。
童話で読んだより遥かに戦闘向きだった『影縫い』魔法。
トラヴィスの佇まいに似合う、どこか神秘的で、流麗な魔法だった。
『……傀儡師の糸』
低く静かなクラーレットの声で紡がれたのは、ディアナが決して教えたくないと言った〝操り糸〟の系統魔法。
初めて見た本物が繰り出す操り糸は、私が知るそれとは明らかにレベルの違う魔法だった。
クラーレットの指先から伸びた真紅に光る糸は、竜の関節という関節に絡みつき、竜が炎を吐こうとすればその首を、腕を振りかぶればその腕を、離れたところから巧みに操って、決してディアナの方に攻撃が向かわないようにして見せた。
ディアナについてはもう語る必要すら無い。
宙を舞いながら数々の魔法を繰り出し、竜の意識を常に自分に向けさせ続けた。
そう、彼らの連携は完璧で、私は若輩者として見せ場を御膳立てされていたようなものだ。
だからさほど苦もなく竜の喉元まで辿り着いた。
喉元には確か逆鱗とかいう逆さに生えた鱗があるとか…そんな事を思う余裕もあった。
形容し難い魔力を全身に纏い、間違いなくこの手で切った。金色に光る、竜の髭を。
……最後に憎悪に燃える竜の瞳と目が合った事も覚えている。
「串刺しにしてる!!」
ダニール…だな、多分ダニールが叫ぶ。
「光線がぶわーって!!めっちゃいっぱいぶわーって!!」
ディアナ級の語彙力はザハールだな。
光線で串刺し……。
二人の拙い実況で、頭の中にディアナが最初に展開していた魔法陣が浮かぶ。
おそらく陣の一部を書き換えたのだろう。
やはりディアナは凄い。いくら魔力耐性が落ちたとは言え、古代竜を串刺し……。
「ゼイン、大きな傷は塞げたと思う。…どう?」
ニールの呼び掛けに我に返り、拳を数度握る。
「大丈夫だ。すまない」
体を起こそうとすると待ったの声がかかる。
「ゼイン様、なりません!流れた血までは元に戻っておりません!!」
「カリーナ、だが…」
「とりあえず飲んで休んで下さい。魔力量を増やして血液を作りましょう?」
カリーナの言葉を聞いたマカールが、ボトルにストローを突き刺し口許に持ってくる。
……これは恥ずかしい。
どのぐらいベッドに横になっていたか、双子が空間内の実況をしながら口に突っ込んで来る食べ物をイライラしながら咀嚼していると、あの師匠にしてこの弟子ありの代表が枕元に現れた。
「およっ!?これまたボロボロじゃのう!カッチリ魔法使いの乱れ髪激レアショットじゃ!!写真写真……」
「やめろ!……素顔は撮影厳禁だ」
ったく……。
「ゼイン、よく頑張ったの。ここから先は時間の問題じゃ」
「ああ」
「師匠に嫌われたくなかったら、もうちょっとだけキバって来い!」
「……………さすがは兄弟子」
体を起こし、体内の魔力の流れを測る。
そしてグラーニン一家の隣で心配そうな顔をして私を見るニールに言う。
「カウントしろ」
「──ラジャ!」
再びローブを掴み、転送魔法陣へと飛び込んだ。
「───【極光の乱舞】!」
宙を舞い狂う光のカーテンが竜の体を切り裂く。
「【千戟万雷】!」「【黒風】」
そしてその後を追うように降り注ぐ雷と陸地を巻き上げる旋風。
私とアレクシアとトラヴィスは、上級魔法を乱れ打っていた。
髭が切れたらガチンコ魔力勝負。
そして目指すは短期決着。
それはもう遠慮無しに撃ちまくっていた……のだが。
前方を飛んでいるトラヴィスに声をかける。
「トラヴィス!あんた船に戻りなさい!魔力が乱れてる!」
「ですが…!」
「使い切ってどうすんの!大仕事が残ってるでしょ!!」
「──申し訳ございません!」
そう、相手は古代竜。
数千年飲まず食わずで眠っていても、巨体を維持し続けられるほどの魂の魔力を持っている。
ダメージは着実に与えている。
だが竜の傷口が塞がるたびに、果てしない徒労感を感じずにはいられない。
兵団にいたトラヴィスも、これだけの少数精鋭での竜討伐は経験が無かっただろう。
そして後ろを見やれば、アレクシアが宙でフラッとバランスを崩すのが目に入った。
体を返し、アレクシアの元へと向かう。
「……アレクシア、あんたも船に戻りなさい」
「………ディアナ様、申し訳ございません。わたくし……」
「いいのよ、よく頑張ったわ。ゆっくり化粧でも直して来なさい」
陸地造りから頑張った魔女の背を撫でながら、隔絶空間の外へと連れ出した。
一人切りになった私は、スタスタと隔絶空間の中心へと歩みを進める。
結界内の魔法陣から氷柱ように伸びる光の鎖に囚われた、古代竜の元へと真っ直ぐに向かう。
そして真正面から対峙した。
「そこの竜!!よーく聞きなさい!あんたよくも私の弟子を食べようとしたわね!!ぜーーーったい許さないんだから!!」
【……グルルルルッッ!!】
歯茎から伸びる鋭い牙を見せ、威嚇の姿勢を崩さない竜。
「……なーんて嘘よ、嘘。あんたは何も悪くない。当たり前のことしただけだもの。私たちの都合に巻き込んでごめんね。心の底から謝るわ」
【グガァッッ!!】
「そうよねそうよね、散々よね。私だったらブチ切れて世界の一個や二個やっちゃうわね」
【ガァッッ!グガァッッ!!】
「………悪いとは思ってる。ほんとに。極悪ついでに私は今からあんたの魂を奪う」
【グガッッ!!グルルルル……!!】
硬い鱗で囲まれた竜の瞳を見つめる。
今から私がやろうとすることは、きっとずるくて卑怯で若い魔法使いたちを馬鹿にしているような仕打ちだろう。
正しいことでは無い。尊敬と畏怖は、全力で戦い尽くした間柄からしか生まれない。
だけどこの竜は、すでに言葉を理解している。
これ以上長引かせて、呪いを撒き散らす訳にはいかない。
「………気高い魂だけ持ってて頂戴。…絶対に還す。世界に残った魔法使いの全属性を注いで絶対に還すから……」
空間内に展開された全ての魔法陣を消し、私は使うことを禁じていた古い詞を唱えた。
私の第5の属性とともに隠して来た、〝生と死〟を操る詞を。
【グゥッ…グルルルル……グル……】
荒い息を吐きながら瞼を半分閉じ、その場で崩れるように地に顔をつけた竜。
私はその顔の側に膝をつき、そっと鼻先を撫でた。
『……ちゃん!ディアナちゃん、聞こえてる!?何が起こったの!?突然竜の魔力がゴッソリ減ったんだけど!!』
竜の体が上下する様を眺めていると、耳元のピアスから困惑の声が響いて来た。
……あー……しまった。そうか、ニールがいた。
とりあえず口止めしようとピアスを押さえたところで、背後に食べかけられた弟子が立つ。
「……ディアナ?」
グッと一度だけ唇を噛み、くるっと後ろを向く。
「……なーによあんた、いつも通りの顔色しちゃって」
呆けたような顔をしていたゼインが、耳飾りに触れて何かを早口で喋ったあと、いつも通りの無表情で口を開いた。
「……ニールの読みだと、竜が今受けている全ての傷を癒す時、この討伐が終結する」
「………………。」
二人で並んで攻撃性を失った竜の瞳を見つめる。
「……あのさ、同じ師匠同士として相談してもいい?」
ポツリと言えばゼインがバッと私の方を見る。
「……ここから先を、若い子たちに見せるべきだと思う?」
しばらく黙ったあと、ゼインが私の肩に手を置いた。
「……命を提供してもらうのだ。ありのままを見せる。隠すことなく、全て見せる」
ゼインがニールに呼びかける。
「ニール、全員集めろ。……城の二人もだ」
『ラ…ラジャ!』
竜が丸まって傷を癒しに入った時、パッと上空が開けた。リオネルが空間隔絶の結界を解いたのだ。
海風が吹き抜ける暗い陸地と暗い空。
その中心には眩い魔力を放出し、最後まで命を燃やそうとする古代竜。
その竜の姿を、いつの間にか私の隣に現れた双子が目を逸らさずに見ていた。
ゼインの隣に立ったニールとショーンとギリアムも、一言も発さずに静かに見ていた。
カリーナはマカールに肩を抱かれていた。
アレクシアは何とリオネルに支えられていた。
竜のまぶたが閉じる時、トラヴィスが古式に則り片膝をついた。
双子がそれを真似たと同時に、その場にいた魔法使い全員が頭を下げて、目を閉じた。
やや東寄りに出ていた赤い月が天頂で輝く銀色の月に変わった頃、久しぶりに私が描いた葬送魔法陣は、煌めくたくさんの色を取り込みながら、夜闇へと溶けて行った。




