準備
「ディアナ様、翻訳の続きお持ちしましたわ」
「カリーナ、悪いわねぇ。手伝わせちゃって」
「いえいえ、息子たちの勉強にもなりますもの」
あの会議の後、城は俄然騒がしくなった。
竜の討伐の日まで、全員が城で寝起きして魔力の調整に入ることになったのだ。
万全の状態で竜と対峙するには、それが一番いいという話でまとまった。
私はフラメシュからくすねた禁書のうち、シエラに関する〝物語〟ではない〝回顧録〟の翻訳を大急ぎで始めているのだが、どうにも独特の言い回しが多く、私のカンニング魔法では意味不明な箇所がたくさん出て来ていた。
その修正をシェラザード出身組が引き受けてくれることになったのだ。ありがたい。
というか今さらなのだが、マカールもカリーナもアーデン語はペラペラだったのである。
さすがは社長と社長夫人である。
「ギリアムさんのためだもんな。教科書と違ってやる気みなぎるよ」
「そーそー。それに内容も面白いし」
双子が賢しら顔で私の手に翻訳文が書かれた紙束を載せる。
「てかさ、ディアナが早くシェアワーキングシステム覚えるべきだろ?いちいち紙のやり取りするとかコスパ悪すぎ」
ダニールが小難しいことを言っているが無視する。
「いや、俺は紙とペンがいい。握力と脳力が同時に鍛えられるとかタイパ最高」
ザハールも意味不明なことを言っているが無視する。
とりあえず手の上の紙をパラパラめくり、きれいに印刷された意訳文と、汚い字で面白おかしく書かれた超意訳文を読む。
「……ふふ、あんたたちアーデン語上手くなったわねぇ。そうそう、昔のアーデン語はこういう感じなのよ。いつの間にあんなに堅苦しい言葉になったのか……」
「「えっ??」」
目を見開く二人に向けて、ニヤッとしながら紙束を振る。
「あんたたち、私に機械のマニュアルを訳してくんない?聞き取りも書き取りも問題無さそうだし」
そう言えば二人が眉根を寄せる。
「……こないだゼインが開いた会議、けっこう難しい内容だったけど、ぜーんぶアーデン語だったでしょうが」
「「……えっ!?」」
本気で気づいてなかったなら、やっぱり双子は双子のままである。
カリーナが眉を下げて困ったように微笑む。
「本当に皆様には感謝してもしきれませんわ。どれだけ叱っても、この子達が机に向かうのは疑似餌を作る時ぐらいで……」
「…苦労したわね、あんたも」
「ええ……。私が知性まで封印したのかと悩んでおりました」
「「ひどい」」
愉快な話をしつつも、カリーナと双子の視線はある一定の場所をしきりに気にしている。
「…ああ、マカールが気になる?」
3人が見ているのは、今いる応接室から続き扉の向こうにあるコンサバトリー …全面ガラスでできたピカピカの部屋である。
水晶の壁にガラス窓、そりゃもうピカピカ以外に例えようが無いのである。
「大丈夫よ!ゼインに任せとけばいいのよ。それよりさ…」
ガチャッ
言いかけたところで、計ったようなタイミングで続き扉が開く。
現れたのは渋面の黒男。
「ゼ、ゼイン様!!主人は…マカールはいかがでございましたか!?」
カリーナが駆けていく。
双子も後を追う。
「ああ……何とか……なった」
ゼインの声が完全にくたびれている。
「馴染むまで暫くかかるだろう。カリーナ、基礎的なことは面倒みてやってくれ」
「わ、わかりました!」
カリーナと双子が扉の向こうへと消えた。
「はぁぁぁぁぁ………」
大きな溜息をつきながら、ゼインがドカッと応接のソファに座る。
「首尾はどうだった?」
そう聞けば、ゼインが恨めしげな目で私を見る。
「……よもやマカールを弟子にするとは思わなかった。疲れた。本当に…疲れた」
カッチリキッチリ魔法使いらしからぬダラッとした格好でソファに沈み込むゼイン。
「まぁね。本来の弟子取りはそんなもんよ。よく知ってる子を弟子にする方が珍しいんだから」
「お前が弟子にすれば良かっただろう」
「馬鹿言ってんじゃないわよ。マカールみたいな魔法使いにこそ、あんたの時計の仕組みが活きるんじゃない」
言えばゼインが自分の時計をじっと見る。
「ああ……まあ……そうだな」
何事かを考えている風なゼインに尋ねる。
「……で?ちゃんと見えたの?」
ゼインがチラッと私を見る。
「…まぁな。初めて見た色…というか属性…いや、気配というか、何とも形容し難い、それこそ本当に魔力なのか疑いたくなるようなものは見えた」
……ふーん。新分野だって分かったんだ。ふむふむ。
「だがここに来て新しい属性が出て来るのは有難い。マカールには苦労かけるがな」
「弟子にした途端優しくなるとか、あんたらしいことで。……呪は刻めたわけ?」
「……そこなのだが、マカールの魔力を読み取った結果、カリーナを太らせたいとしか……。果たしてあれで良かったのかどうか……はぁぁぁ」
ゼインが両手で顔を覆う。
「太らせ……あっはっは!マカールらしいじゃない!……ううむ、私ならどうするかしらねぇ……」
顎に手をあてて考えていると、ゼインが体を起こしてローテーブルの上に目をやる。
「……次はギリアムだな」
「うん。……ギリアムには悪いことしたわね。あの子の魔力……抑えちゃいけなかった」
「……そうだな。考え方が真逆だった。魔力をどんどん作らせねばならなかった」
ゼインの言葉に頷く。
「石の方はリオネルが加工に入ってる。あんたがニールに持たせた本、何が書いてあったの?」
問えばゼインがじいっと私を見つめる。
「……シェラザードの魔法使いの婚姻について書かれていた」
「婚姻?」
「ああ。大昔のシェラザードでは、反対属性を持つ者同士を番わせ、より強い魔法使いを産み出すという実験が行われていたらしい」
「!!」
「お前の言う完全無欠の五芒星を、人為的に生み出そうとしていたようだな。……まさしく禁書だ」
それは……本気で知らなかった。
ゼインが立ち上がる。
「だが、異なる魔力属性を融合するという考え方は何かしらのヒントになると思った。これも叡智の一つだ」
ゼインが右手を差し出す。
「リオネルの所に行こう。石を加工する過程を見たい」
「おっけー。けっこうおもしろ……」
差し出された手を掴みながらハッとした。
確かにゼインは大分前から私が左利きだと気づいていたらしい。
……鋭い。
「ディアナ、この件が終わったら時間を作る。話したい事がある」
隣同士前を向いたまま、歩みを止めずにゼインが言う。
「話したいこと……ふーん?」
「お前も私に話すことがあるだろう」
「話すこと……ふー………んん?特に無いけど」
ゼインがギギギ…と首を4番の1回転させる。
「………言い直そう。あの呪いを解いた日、お前は私にあえて聞かせなかった話があるな……?」
「………な、んのことやら………」
鋭い!!
そして斜め前方から見下ろされる視線が超怖い!!
ゼインが再び前を向く。
「まあ、急ぎはしていない。今のままの状態でも竜の討伐には差し支え無さそうだと分かったからな」
……は?
「ええと……どういうこと?これから竜の倒し方とか話し合うんじゃないの?この間の会議でようやくみんなの方向性をまとめたとこでしょ?戦い方はこれから……」
眉根を寄せて問えば、ゼインが素っ気なく言う。
「もう終わった」
終わ……
「はあっ!?いつよ!!」
「相変わらず脳の作りが単純だな。討伐方法も定まらないまま私が皆を集めるわけないだろう。優秀な頭脳派魔法使いを集めて複数の作戦を立案し、数度のシミュレーションもやった」
は…は…はい?つまりどういうこと?
このあいだの会議は……まさか茶番……だったとか?
はあっ!?どこからどこまで!?ギリアムの感動的な話は!?
ゼインがチラッと私を見る。
「……そういえばお前はいなかったな。頭脳派リストから漏れていたのだろうな」
何かとんでもない侮辱の言葉を振り撒きながら、ゼインはスタスタと歩いていった……かと思いきや、再び私の方を振り向いた。
「あ、大樹のゴミの中にあった〝竜の骨〟だが、100本ほど実験に使ったからな」
「…………………。」
今私の目に映るのは、竜よりも先にぶっ潰さねばならない背中だけだ。




