呪いと呪(しゅ)
……壮絶だった。
それ以外に言葉が見つからないほど、壮絶な時間だった。
あの日……というか一昨日の話だが、ディアナが意図する事が今一つ理解出来ないまま、あの壮絶な時間が始まった。
そもそもは、時間的、人員的に余裕が無い中、何か一つ動きを止めなければとてもじゃないが身が持たないと考えて、ディアナに半分残したはずの呪い傷だった。
一番頼りにすべき師匠であるはずのディアナが、何のことはない一番のトラブルメーカーだったのだから、それについては至極当然の選択だったと思っている。
だが私は呪い傷というものを甘く考えていた。
刃物や銃、攻撃魔法といったものでできた表面上に残る傷痕と異なり、呪いによる傷は、時が経てば外見上は綺麗に塞がるのだという。
呪いが傷付けるのは『魂』そのもの。
普段は抑え込み、表に現れないように隠していても、ふとした瞬間に再び全身を蝕み出すのだそうだ。
そして表面上治ったように見えていた呪い傷の根本治療は、想像を超えるほどに壮絶なものだった。
ディアナは言っていた。
呪文が出来る前の世界では、『呪いを受ける』=『死』だったのだと。
それは肉体が死ぬのではなく、社会的に死ぬのだと。
それほどまでに治療は難しく、蝕まれた魂は殆どが闇に落ちたのだと……。
いや、そこまで分かっていてお前はなぜフラメシュの封印を突き破ったのだと10回ほど頭の中で罵倒したが、そこはディアナ曰く、『昔の話よ!昔は分かんなかったの!呪いを受けたらその分強く抱き締めてやらなきゃいけないんだってことが』だそうだ。
だが言葉通りに受け止めるなら、〝抱き締める〟などというヤワな腕力では、あの時間は乗り越えられなかっただろう。
『──ぐっ……ぐぅぅぅぅ……!!』
体内魔力操作を解いてすぐ、ディアナの額に血管が浮いた。
そして食いしばった口の端には血が滲んでいた。
だがその血を拭ってやる余裕は私には無かった。
華奢なはずのディアナの両腕が、物凄い力で私の戒めを解こうともがいていたのだ。
そしてディアナの全身が、徐々に火傷痕のような、直視するのが堪え難い姿に変わっていくのを目にすると同時に、浴室内に例えようのない禍々しい魔力が充ちていった。
なぜ聖水に浸かりながら呪いを解くのかを理解した瞬間だった。
『……カハッッ!』
開始10分頃、ディアナが血を吐いた。
この時点で私の脳内はマズいことになっていた。
まずは私の魔力でディアナを抑え込めという指示だったが、本当にそれだけでいいのか、何か他にすべき事があるのではと、焦って全く集中できなくなっていたのだ。
なぜならば、真水の中であるにも関わらず、ディアナの体は燃えるように熱くなっていた。
体内魔力操作を解く……つまりは呪いへの抵抗を止めたということ。
明らかに呪いがディアナを内側から食い破ろうとしているのが分かった。
血を吐きながら痛みに暴れるディアナの体を必死で押さえ込みながら、なぜこの女はこんなに愚かなんだと、なぜ呪いに突っ込んで行ったのだと、こんな姿を見せて私に何を教える気だと、妙な悲しさと怒りが込み上げていた。
だが一方で、同時にディアナが日常的に行っている体内魔力操作の練度を知って、この魔女には永遠に勝てないだろうな、とぼんやり思った。
開始30分頃には、時折全身の筋肉に緊張を走らせながらディアナの意識は朦朧としていた。
もういい、体内魔力操作を元に戻せ。
根本治療にはならなくても、私が毎日治療するから……そんな事を考えたし、何度も耳元で懇願した。
だがディアナは頑なだった。
『……フラメ……呪い……種類………』
だから途切れ途切れに吐き出される言葉を必死に頭の中で組み立てた。
呪いの種類……ロマン・フラメシュが施した呪い……。
禁書庫への侵入者への怒り、書物を盗んだ者への憎しみ……色々なことを考えたのだが、ふと頭に浮かんだのは『妬み』だった。
自分の結界を超えられる者への劣等感、自分だけが知っていたシエラ・ザードの秘密を暴かれることへの敵対心、シエラ・ザードの〝一番〟を奪われることに対する激しい嫉妬……。
リオネルがあの日言っていた、『古き友の永遠の秘密』が頭に蘇ったのだ。
どうやってディアナの呪い傷を治したのかは、まだ記録に残せるほどの確証は無い。
ただロマン・フラメシュに頭の中で呼びかけた。けっこう偉そうに言い放ったように思う。
『シエラ・ザードになんか興味の欠片もあるわけ無いだろうが!』と。
一度言ってしまえば止まらなくなった。
『お前がシエラ・ザードが大事なように、私はこの女が大事なんだ。私でさえまだ傷の一つも付けた事は無いのに、貴様よくもやってくれたな。詫びに書物ぐらい寄越せ!』
的な事を、もう少し汚い言葉で言った。
少しどころではなく、かなり口汚く罵った。
悪いのは明らかに順序も踏まずに封印を破ったディアナなのに、けっこう申し訳ない八つ当たりをした。
そしてほとんど動かなくなったディアナの体から腕を解き、体を回転させてディアナが身に受けた呪いの姿を改めて正面から直視した。
そして今度はディアナに対して言いたいだけの文句を言った。
言ったあとは……いや、抱き締めた。そう、言われた通りに抱き締めただけだ。
だんだんと白くなっていくディアナの背中がこの目に映ったのは、一体どのくらいの時間が経った頃だろう。
気づけば自分の全身から魔力が湧き出ており、辺りに漂っていた禍々しい魔力を取り込んでいた。
見慣れぬ動きをするその魔力が、一瞬その場を漆黒に染めたかと思えば、あっと言う間にディアナの中に吸い込まれていった。
正直なところ、何が起こったのか分からなかった。
分からなかったが、呪いの解除とは体内から呪いの元を解放するものだとばかり思っていた自分の認識は完全に間違っていた。
呪いの元を打ち消すだけの強い呪を与えなければならなかったのだ。
そう、傷ついた魂を抱き締めてやらねばならなかったのだ。
私がディアナに与えた〝呪〟は、自分では言語化出来ない……というか出来るとしても絶対にしたくないのだが、その分野のプロである大魔女には露見してしまった可能性がある。
……いや、無い……か?
そう言えばあの女はとにかくポンコツだった。ポンコツで良かった。
なんだ、悩む必要など何も無かったでは無いか。
貴重な二日間を無駄にしてしまった。
よく思い返せばあの後ディアナはすぐに私の魔力の使い方についてどうのこうのと言っていた。
気を失いながら言っていた。
『……あんた、やっぱり原始魔法を操るのね……。そっか、じゃあ教えておくわ……』
……ああ、そうだった。
悩むべきところはここからだった。
あの後中途半端な台詞を残して意識を失ったディアナを部屋に運んだのだ。
回復するのをしばらく待とうとベッドに寝かせたら、摩訶不思議な現象が起きた。
銀色の髪がどんどん伸びたかと思えば、額に古代紋が浮かび上がって来たのだ。
そう、ディアナは元の姿に戻っていた。夜の砂漠で見せた、あの姿に。
あの時の自分を絞め殺したい。
どうかしていたのだ。
よもやクラーレットの気持ちが理解できる日が来るなどと誰が思うだろう。
パッパと適当に何か着せれば良かったのだ。
姿は女神でも中身は馬鹿魔女だったんだ。
『魔法は経験と想像』をフル稼働してこだわりの衣装を作っている場合では無かったのだ。
だからあんなことに……。
「……あのさぁ、白くなったり青くなったり赤くなったりしてるとこ悪いんだけど……」
聞き馴染みのある声と喋り口にハッと辺りを見回せば、ここは60階、いつものフロア。
そして目の前に現れた二つの顔。
待ちに待った、二人の男。
「お待たせー。ニール・アードラーとトラヴィス・サーマン、無事帰還しました!」




