ルーツ
二度目の竜との遭遇は、思わぬ形でやって来た。
最悪な形……とも言えるだろう。
トラヴィスから報告を受けるより前に、海中に何かがいるだろうことは察していた。
海で人間の目には映らない生物に遭遇した事は何度もあるし、地震や津波といった自然災害の遠因となった魔獣もいる。
だがそれら全てを討伐して来たわけではない。
人間の活動域から隔離し、彼らだけの世界で生きるのならばそれも良しと考えて来た。
陸上とは違い、広い海の世界ならば比較的それもやり易かった。
だが今回現れた竜に取れる対応は限られる。
というより……選択肢が無い。
理由は至って単純だ。
ナナハラ国の番の竜、今はミニ竜が襲ったのが家畜に留まったのに対し、今回の竜は人間の犠牲者を出している。
このまま被害が出続ければ、さすがの人間も動き出す。
現代の技術では目に映せないものも、映るように進化させていくのが人間だ。
そこに何かがあると確信を得た後の人間の好奇心と探究心は凄まじい。
他の目に見えない生物、それから何よりも我々魔法使いの生存を守る為には、危険は排除しなければならない。
……そう、討伐以外に選択できない。
自宅の玄関ホールへと転移し、足早にいくつかの部屋を通り過ぎる。
目的の部屋へと向かいながら、ギリアムのことを考える。
ギリアムに流れる竜の血が、想像よりも濃かったという事実。
何百年、何千年と眠りにつきながら、それでも生き残ろうとする〝種の本能〟を見せつけられたと同時に、ギリアムを呼んだ竜の咆哮に何千年分もの悲哀を感じざるを得なかった。
……勝てるだろうか。
戦力は増えている。それは間違いない。
だが懸念すべきはそこではない。感情面の話だ。
ギリアムの前で竜を討伐する事に対する躊躇い。
そして何だかんだで皆が可愛いがっているナナとハラとの扱いの差に対する憤り。
そのような感情をまとめ上げることが出来るだろうか。
……いや、迷っている場合では無い。
強くならなければ。
全ての責めを負えるように。
……皆に罪悪感を持たせないように。
自宅書庫の扉を開ける。
書庫に収められているのは、短くは無い人生を費やして集めて回った書物。
魔法の痕跡が残るものから御伽噺と呼ばれるものまで、ヒントになるものは片っ端から集めて回った。
そう、自分のルーツのヒントを。
本当に強い魔法使いになるために足りないもの。
叡智と呼ばれる世界に辿り着くために足りないもの。
それは正にディアナが言い当てた〝足場〟……つまりは〝自分は何者なのか〟という根源的なものだ。
必死に作り上げて来たゼイン・エヴァンズの皮を一枚めくれば、そこには常に幼い日の記憶に囚われたままの自分がいる。
周りの魔法使いの瞳を見つめ、そして鏡を覗き込んでいた日々の。
歩き慣れた書棚の間を縫い、一冊の本を取り出す。
何度も何度も手に取った、古ぼけたどこかの国の伝記。
めくれば当然のように一箇所のページが開く。
この何百年、そのページに書かれた一つの単語をひたすら見つめて来た。
「……金色の瞳………」
全てはこの瞳に集約される。
そう、私はずっと探していた。
アーデンブルクの魔法使いを。
……金色の瞳の持ち主を。
ニールに話した事には一つだけ嘘がある。
親の記憶は確かに無いのだ。
だが私の一番古い記憶の中に一人の女の姿がある。
キラキラと宙に舞っていく〝消える女〟だった。
後々あれが魔法使いの死に際だと知った時、きっとあの消えた女が産みの親だったのだろうと漠然と理解した。
問題は父親。
親の顔を知りたかった訳では無い。そんな感傷的な気持ちなど一度も持った事はない。
そもそも父親が存在するのかを知りたかったのだ。
私の回りで人間と戦っていた魔法使いは、恐らくそれなりにアーデンブルクの古い民だった。
だが誰一人として〝エヴァンズ〟の事を知らなかったのだ。
なのに私は物心ついた時には〝ゼイン・エヴァンズ〟だった。
私はいつ自分のことを知ったのか、誰が名付けたのか、誰が私に伝えたのか、本当に無いのはその記憶なのだ。
パラパラと書物を読み返す。
伝記に出てくる金色の瞳の持ち主は人では無い。
魔法使いでも無い。
……『魔そのもの』と記されている。
私は怖かった。
知るのが怖かった。
『魔そのもの』を宿したから母親が死んだのか、『魔を宿す』ことは禁忌ではないのか。
だから存在しない父親を探し続けていた。
認めたくなかったのだ。
自分が人の形をした何か……だと。
だがその恐怖を消してくれたのは、やはり私の師だった。
騙すような形ではあったが、サラスワでディアナが銀色の瞳の由来について口を滑らせた時、あまりの軽さに思ったのだ。
なんだ、そんな感じでいいのか、と。
明らかに女神の末裔であるディアナが、正反対ともいえる存在の大魔女となったのだから、〝魔〟に寄っている私が魔法使いでありたいと望むのは、何もおかしな事ではないではないか、と。
だとすれば私は力に変えるだけ。
ルーツを、力に変えるだけ。
色褪せた本を片手に持ち、次は物品保管庫へと向かう。
ここにあるのは私が細々と製作して来た魔道具たちだ。箱に入った子ども向けの玩具もあれば、懐中時計やネクタイピンなんかもある。
…そして不細工な人形。私とニールとガーディアンの始まりの人形。クラーレットの作品を見た後だと笑えるほど拙いが、私には人間がこう見えているのだからこれ以上のものは作れない。
部屋の真ん中に転送魔法陣を描き、保管庫に溢れるそれらを放り込んで行く。
行き先は当然、リオネルの所だ。
今最も早くこの金色の瞳の力を明らかにしてくれるのは、間違い無くリオネルだろう。
転送魔法陣にあらかたの道具を投げ込み終わったあと、ふとあの日のディアナの言葉を思い出す。
……対等になるように、か。
寝たふりしていた訳では無いが、聞こえて来たのだから仕方がない。
いつかは対等になりたい。
隣に立つのが相応しい、本物の魔法使いになりたい。
竜が現れようが、闇に堕ちた魔法使いが現れようが、何の不安も抱かせずに真っ直ぐ背中を追いかけてもらえる師になりたい。
だがそれは、これからの努力目標だ。
今は……弟子に許される権利を最大限利用させてもらう。
腕に巻いた時計を操作する。
通信が繋がれば即座に可愛い……いや、立派な成人魔法使いになりかけのショーンの声がする。
『あ、ゼインさん!ギリアムさんどうしちゃったんですか!?ついでにディアナさんがトンネル掘削のシーリングマシーンみたいになってるんですけど……』
トンネル……?
「そうか、それはなかなか楽しみだ。ところでショーン、頼みがあるのだが」
『何ですか?』
「海底地形図を準備して欲しい。今から送る海域の断面図もだ」
『分かりました!…あ、最新のソナーがありますけど必要ですか?』
「ソナー……さすがだ。頼む」
『ラジャ!』
通信を切ろうとして手を止める。
「もう一つ、ディアナに伝言を頼みたい」
『は、はい。何でしょう?』
「……弟子が死ぬほど悩み苦しんでいるから、全力でカバーしろ、と」
『え……と?りょ、了解です!』
そう、弟子にだけ許される権利。
甘えて尻拭いをしてもらう権利。
……何て素晴らしい立場なのだ。
そう考えれば竜の討伐だろうが目障りな人間の駆逐だろうが、どちらも大した問題ではないな……と考えたところで、シェラザード帰りに受けたディアナからの洗礼を思い出す。
……なるほど、師匠に討たれる恐怖心が弟子の暴走の抑止力である事は間違い無さそうだ。




