ゼインと魔女
……おかしい。
どう考えてもおかしい。
ナナハラ国から帰ったショーンの性格が変わっている。
以前まではどんな時でも何かを窺うような視線を周囲に巡らせていたのに、ただ前を真っ直ぐに向いて歩くようになった。
くりくりとした茶色い瞳は可愛いままで変わらんが。
いや、それより何より……
「あ、ゼインさん、コーヒーどうですか?豆挽きたてですよ!」
「あ、ああ……」
「面白いですよねー、この機械!手で回さないと動かないなんて!」
「…ああ」
「僕サイフォンとかいうの買おうかなー。お湯沸かす修行になると思いませんか?」
「あ…あ?」
朝っぱらから社長室でミルをゴリゴリ動かすショーンに、何と言えばいいのかわからない。
いや、わかっている。聞きたい事はわかっている。
だがディアナもショーンも帰ってきてから一週間、2人して居残り修行については何も触れない。
……聞いてはいけないのだろうか。
「あ、ゼインさん、来週の土曜日お休みもらいますから呼び出しに応じられないと思います」
「それはいいが、どこか行くのか?」
「はい!ディアナさんと牧場に行きます!」
「ぼ…ぼくじょう……」
「本物のミルクを見に行くんです!カフェラテの修行です!」
「……………。」
カフェラテに修行が必要だったとは思いもしなかった。
「……あんた馬鹿じゃないの?」
相変わらず態度も口の利き方も最上級に偉そうな魔女に、こめかみに血管が浮きそうになる。
「カフェラテの修行って何よ。あんたは幼稚園にでも行って子育ての修行でもして来るのね」
幼稚園…子育て……
「……そうすればあの3人は魔法を発動出来るようになるのか?」
小さな声で言ってみる。
「……へぇ?気にしてたんだ」
ディアナが天井から吊るされたハンモックからようやく顔を出す。
「当然だ。あの3人は己の魔力が少ないと思い込んでる。ショーンはともかく、ニールとギリアムの魔力は少ないか?比較対象者がいなくて確信が持てなかったのだが、魔法の発動条件は充たしているはずだ」
言えばピンク頭の魔女がハンモックから覗かせた顔をニヤニヤさせる。
「あんたさー、顔に似合わず過保護なのよ。弟子にはもっと伸び伸びやらせることね」
気持ち悪い外見から繰り出された台詞が脳内のどこかに違和感として引っかかる。
「で……し?」
「そうよ、あの3人はあんたに弟子入りしてるじゃない」
「は?いつ……?」
思わず口にすれば魔女の目が据わる。
「…あんた知らずにあの子らの人生巻き込んだってこと?」
「え……」
人生を……巻き込んだ?
ディアナが大きく溜息をつく。
「…あんた今日何時に仕事終わんの?」
「………終わらない」
「……………仮に、仮によ?私があんたと同じ仕事量こなせたら何時に終わんの?」
「仮に、本当に仮にお前が私と同じ量の仕事ができたなら、20時」
ディアナがチラッと壁の時計を見てギョッとする。
「11時間も働くの!?」
「始業2分で寝るよりよっぽど普通だ」
「げー……会社員って大変」
「何度も言うが、私は経営者だ」
などと何度大声で伝えたところで、この魔女には1ミリも伝わっていない事だけは確かだ。
フワフワとハンモックから降りてきたかと思えば、突然私の左耳をグイッと引っ張る。
「何をする……!」
と怒りを込めて腹の底から低い声を出すが、その声はすぐに喉の奥へと消える。
「じゃじゃーん!どう?どう?そっくりでしょ?…いや、私の方が全体的にクオリティ高いわね」
目の前に現れたのは、私の顔。そっくりなどというレベルでは無い。
…私そのもの。
「……何の真似だ」
「あんたの真似」
「………いや、そうではなくて、なぜこのタイミングで私の真似をする……いや、もうそこもいい。何だその服は!私の顔で気色悪い服を着るな!!着替えろ!今すぐに着替えろ!!」
「えー?何でよ、私この色が好きなんだけど」
「お前の趣味など知ったことか!!」
目の前で「しんじらんなーい」とか「地味ねー」とかアホが騒いでいるが、信じられないのはこちらだ。
こともあろうに、私にパッションピンクのスーツ……。
自分はいつも真っ黒な服を着ているくせに。
とりあえずこの魔女、いつかシメる。
《……というわけでプロジェクトの方は予定通り月末に執り行えそうです。社長、よろしいでしょうか。》
なぜか突然行われたジャンケン5番勝負の結果、全戦全敗を喫した私の代わりにディアナが会議に出席することとなり、私は60階で隠れるように事務仕事をしている。
絶対に何かしらの姑息な魔法を使われたはずなのだが、見破れはしなかった。
あの魔女が施した盗聴魔法のおかげで会議の内容はこうして漏れなく伝わってくるが……
『だってよ。なんて答える?』
『…わかった、でいい』
《わかったー!ゴーで!》
……確かに、確かに便利だが、中身がディアナだと早々に正体が露見する気がして非常に落ち着かない。
それにしても、だ。
あの魔女が使う魔法は、私がこの人生で一度も使ったことのないものばかりだ。あれは相当に悪さばかりしてきたに違いない。
時折机の端で飛び回る竜に餌を投げながら、ディアナが言ったことを思い返す。
……私が3人の人生を巻き込んだとはどういう事なのだろう。
書物からだけでは分からない、魔法使いの規定のようなものがあるのだろうか。
もし3人が私の弟子という位置付けなのだとしたら、私は彼らに何を施してやらねばならなかったのか……。
何も知らない私が一人生き残ったことは誤りだったのだろうか。
そんな事を考えずにはいられなかった。




