海の男
「素晴らしい操舵技術ですね。これは一朝一夕には身につけられない」
「そっすか?楽なもんすよ、現代の船なんて。GPSしかり自動航行しかり……」
「いえいえ、大きな乗り物を動かす事はロマンですから」
ロマン……。
まぁ、気持ちはわかる。
ガキの頃親元を飛び出して向かった先が海だった。
どんどん鋭くなる聴覚と、自分を疎ましく思う家族の心根に耐えられなくなった頃だった。
最初から海賊になろうと思っていたわけじゃない。
ただ、悠々と海を行く大きな船に乗ってみたかった。
……乗せてくれたのが海賊の親分だけだったっつー話だ。
「行き先は東と西の大陸の中間地点でいっすか?」
そう尋ねればトラヴィスが宙に展開した海図を眺める。
「そうですね……。中間からやや北……あたりでしょうか」
やや北……何か意味があっての指示なんだろう。
今回俺が受けた指令は、トラヴィスとともに海中の巨大生物の情報を集めるための足場を作ること。
正直久しぶりに胸が熱くなっている。
海で出会う魔獣はたいていデカい。
陸地ではほとんど枯れてしまった魔力も、海にはまだまだ豊富に残ってるんだろう。
トラヴィスは仕事ができる。即戦力という名の通り、何でもできる。
海図も読めるなんて、ガーディアンに入るべくして出会ったようなもんだ。
ただ一つ注文を付けるとすれば……
「ギリアム様はこの船も手動で動かせるのですか?」
「…ああまぁ……現場近くなったらそのつもりっすけど。魔獣はレーダーに映らないんで危険すからね」
「なんと、それは楽しみです。ギリアム様は海賊をされていたのですよね?やはり剣などで戦ったり……」
「あの、トラヴィス、ちょっといっすか?その…ギリアム様っつーのやめてほしいんすけど。背中がゾワゾワするというか耳がザワザワするというか……」
そう言えば、トラヴィスが整った顔でキョトンとする。
「ゼイン様にも同じ事を言われました。どうしてでしょうか。皆さまアーデンブルクにいらっしゃったならば確実に護衛対象で、お守りすべき方でございますよ?」
そう、これだ。
どういう価値基準なのかは知らないが、俺が護衛対象なわけないだろうが。
どっちかっつーと、俺が一番にみんなの盾になるべきで……
「……皆さま稀少な魔力の持ち主でいらっしゃいますからね。この世界において魔力を顕現させ、しかもそれを保持していらっしゃる。魔法使いの永久を願うならば、皆さまを失うわけには参りません」
「……そうなんすか?だったらトラヴィスも……」
「私は普通の何処にでもいる魔法使いです。事実20年前に死ぬはずでしたから」
「!!」
微笑みを浮かべて淡々と語るトラヴィスは、何だか底知れないものを感じさせる。
「あー……でも様は無しで。自分より何でも出来る相手に様つけられると、色々教えてもらいにくいっすから」
「左様でございますか?……ふむ、では〝ギリアム殿〟と。呼び捨てなど烏滸がましい事できません」
「……んじゃそれで」
アーデンブルクは上下関係ゆるそうなイメージだったんだがな……。
軍人は別なのか。
「さて今回の件ですが、犠牲になった船舶は大小20隻、乗組員の生死はいずれも不明…との事。何が考えられるでしょうか」
トラヴィスが姿勢を正して問うてくる。
こういう所はやはりアーデンブルクの魔法使いだ。
実力が下のものにはちゃんと考えさせて成長を促す。過保護なゼインさんもそこだけは昔から変わらない。
超心配症で手取り足取りしたがる人だけど、最初から答えをくれた事は無い。
「こういう時はアレっすね。帰納法と……なんちゃら」
「ふふ、そうですね、なんちゃらです。しかしここには二人しかおりませんから、思いついたままいきましょう」
……柔軟だ。助かる。
「ええと…船は残骸で見つかったんすよね。じゃあ巨大生物にとって船は不要なものだった」
「私もそう思います」
「乗組員は一人も見つかってない。死体すら出てない。つまり船から脱出できたとは考えにくい」
「確かにそうですね」
言葉にしていくと、嫌な考えが頭をよぎる。
「……乗組員をどうしたかっつー話すけど……」
「……考えると気分が悪くなりますね。ですが〝どうしたか〟を推察するのはやめておきましょう。バイアスが掛かると動きが鈍ります。事実を目にした瞬間に身動きが取れる、これが一番大切だと教わっております」
「……なるほど」
確か魔法使い同士の戦いではお互いに属性を隠したまま向かい合うんだったか……。
それだけじゃないな。姿形は情報として何の役にも立たないんだった。
実際、俺はリオネルさんにも勝てないと思う。あの人の魔法陣を描くスピードは半端じゃない。
勝手なイメージを描いて戦いを挑むことは御法度。よし、覚えた。
「……ですが、ギリアム殿は事実を目にするよりも…魔力を感じるよりも早く判断する事が出来るのでしょう?」
「え?」
ああ、耳の話か。
「いいのか悪いのか、生まれつき耳がすごくいいんすよ。でもトラヴィスの言う通りっすね。耳に頼ってばっかだからゼインさんどころかニールさんにも喧嘩で勝てないんす」
いやマジで。
喧嘩と言える喧嘩……をした事はないが、ニールさんはやり合う相手としてはとにかく相性が悪い。読み合いになったら僅差で負ける。
それに感情を殺すのが上手いんだ。あのニコニコ陽キャは擬態だとも言える。
そういう意味ではゼインさんは分かりやすい。無表情なだけで嘘が無い。
ま、勝てる勝てないは考えるだけ無駄だ。脳みその無駄。
「ニール様……そうでしょうね、あの方もまた特別でしょう。皆さまが500年前のアーデンブルクにいらっしゃったなら……」
トラヴィスが遠い目をする。
この人の心の傷は全然癒えて無いんだな。
そうだよな、守りたかったんだもんな。守るために軍人になったんだもんな。
「トラヴィス、今の姉さんはきっと守り甲斐あるっすよ。すごく……弱いっす。魔女としては恐ろしいんすけどね、自分の命が軽いんすよ。戦場では生き延びられないタイプっすね」
「ディアナ様が……?」
トラヴィスの言葉に一つ頷く。
「まあゼインさんが必死に守るんでしょうけど、姉さんの行動はゼインさんでも把握できないっすから。姉さんを守り切れれば、また魔法使いの時代が来るような気がするんすよね」
シェラザードのグラーニン一家みたいに、姉さんになら着いて来る魔法使いはきっとたくさんいる。
ゼインさんも本当は姉さん並みに優しい人なんすけどねぇ……。
あの人の優しさが伝わるにはかなり時間がかかる。2年ぐらいかかる。
もうしょうがない。そういうキャラだ。
「……二度目はございません。絶対に」
トラヴィスの固く引き結ばれた口端を見る。
「…じゃあ、末永くよろしくという事で」
そう言えばトラヴィスがきれいな顔で微笑む。
うっわ、ゼインさんマジでセーフでしたね。ライバルになってたらかなりの強敵でしたよ!
あの時の耳たぶの牽制はこういう事だったんすね!
そんな下らない事を思いながら、俺は久々に大海原を駆けている。




