トラヴィスの記憶
「…大丈夫?まだ頭痛む……?」
「いえ……。少し……体が宙に浮いているような、そんな感覚ではありますが………」
ふらつくトラヴィスの肩を抱え、ソファに座らせる。
「…自分のこと……わかる?」
トラヴィスがテーブルの上に並べられたケースを見て、そして今しがた現れた大量の宝石……ゼインが部屋を出る前に、几帳面にガラスの箱に詰めた宝石を見た。
「…ええ……はい」
「…そう、よかったわ。異変があったらすぐに言ってちょうだい」
トラヴィスの視線が私を捉え、そして何かを言いたそうな素振りをする。
「ああ…そうね、ちゃんと挨拶しなきゃね」
トラヴィスの肩から手を離し、全身に魔力を纏う。
髪と瞳を銀色に戻し、トラヴィスの方へと体を向ける。
「ディアナ・アーデンよ。改めて…よろしくね」
少し微笑めば、トラヴィスの瞳が大きく見開かれ、そしてその目に涙が浮かぶ。
「…本物の…ディアナ様……?生きて…いらっしゃったのですね……」
生きて……そうか。
彼らにとっては、私も消えてしまった存在なのだろう。
……アーデンブルクとともに。
トラヴィスが立ち上がり、胸に手を当て頭を下げる。
「…改めて名乗らせて頂きます。私はトラヴィス・サーマン。かつてはディアナ様の弟子であり、アーデンブルク魔法兵団の兵団長を勤めていたベネディクト・サーマンの孫にあたります」
「孫……」
「はい。魔法学校卒業後祖父に弟子入りし、そのまま兵団に所属しておりました」
トラヴィスの藍色に近い青い瞳に、ベネディクトの面影を探してみる。
……が、出て来ない。灰色の髪以外出て来ない。
「え〜…と、ベネディクトのどの子の子…なわけ?」
「祖父の5番目の妻との間の息子の子、でございます」
5番目……。
「ああ、カミラ…えっ、あのカミラ!?」
「ええ、その通りでございます」
ベネディクトが口端を上げる。
確かにいた。数いたベネディクトの妻の中でも、大魔女が毎回三度見するほどの美人がいた。
なるほど……。トラヴィスは美人の素が濃縮されて出来上がったのか。
トラヴィスに右手を差し出す。
「会えて嬉しいわ、トラヴィス。ほんっと、あの筋肉筋肉のベネディクトから、こんなエレガント魔法使いが出て来るなんてねぇ……」
トラヴィスが右手を握り返しながら微笑む。
「父がとても厳しかったのです。何でも自分は王子だったのだと事あるごとに申しておりました」
……それは本当のことなのだが、とりあえず置いておこう。
「トラヴィス、まずは魔力を整えましょ。かなり乱れてる」
握り返された右手から感じる魔力に違和感を感じた私は彼にそう告げる。
「……ありがたいお言葉です。ですが、それにはまずディアナ様にご報告差し上げねばならないことがございます。……私の魔力をどうすべきかは、その後判断頂ければ……」
背中に緊張が走る。
……そう、トラヴィスの記憶の封印を解いた、その本当の意味はここから始まるのだ。
「……分かった。でもねトラヴィス、これだけは最初に言っておく。過去を背負うのは私の仕事なの。アーデンブルクに起こったことも、アーデンブルクを失ったことも、私が背負うべきことなのよ。だから……」
言いながら一つの飲み物を出す。
ゼインとトリオが口をつけない、あのジュースを。
「飲みなさい。私の中にあんたを回復しないなんて選択肢は無い」
トラヴィスの目が見開かれる。
そして静かに、だけど懐かしそうにグラスに口を付けた。
「…あの日……我々は大失態を犯しました。取り返しのつかない…失態を。アーデンブルクを守るどころか、糸に絡め取られ、我を失い、ディアナ様の邸を、学校を……。正気を取り戻した時には全てが……終わっていたのでございます」
トラヴィスが静かに語る言葉を黙って聞く。
「……正気を取り戻した我々が最初に行ったこと、それは当然ながら状況把握でございます。何が起こり、誰がどうなったのか、その情報を集めたのです」
私は頷く。
「……集めた数々の事象を照らし合わせ、私たちは一つの結論を出しました」
「……結論」
「…はい。……ディアナ様が、ご自身の命をもって糸の戒めを解かれたのだと、そしてその最後を……リオネル様が見届けられたのだと」
……何も間違っていない。
ピアスの封印が無ければ、事実はほとんどその通りになっていたのだから。
「……リオネルを見つけたのね?」
尋ねればトラヴィスが頷く。
「…石像のようなリオネル様を歴代の指輪の弟子の皆様がお調べになりました。そしてこう仰ったのです。…リオネル様はディアナ様の魔力を預かったのだろうと。……一人で抱え切れるはずも無い膨大な魔力ゆえ、自身の時を止めて暴発を防ぐ以外の選択肢が無かったのだろうと……」
胸にぽうっと熱が宿る。
……みんな優秀に育っていた。
皆ちゃんと育っていた。
「……リオネル様をどうすべきかは、相当な議論となりました。…ですが、我々には答えを出す時間は与えられなかった」
トラヴィスの声音が変わる。
「アーデンブルクを覆う魔力結界が消えた十日後、我々は攻め入る人間を相手に防衛戦へと入ったのです」
私は頷く。
……覚悟はできている。
過去から目を背ける時期は過ぎたのだ。
「ベネディクトが指揮を執ったのね」
「左様でございます。魔法兵団総員に加え、歴代の指輪の弟子の皆様も前線に立つほどの……」
「……激しい戦いだった」
トラヴィスが唇を噛む。
「我々は魔法使いです。いかに人間の数が多かろうが、勝てると、間違いなく勝てると……そう思っていたのです。……ですが、私や兵団の皆には想像もし得なかった事態が起こりました」
握り締められた彼の手が色を失っていく。
「……消え出したのです」
────!!
「…民が、学生が、消え出したのでございます……」
ああ……やっぱりそうだった。
何度も何度も考えることを拒否しながら、それでも何度も何度も思い浮かべていた。
アーデンブルクは戦いで滅んだのでは無い。
私が……やっぱり私が滅ぼしたのだ。
「私はその時まで知らなかったのです。……魔力の無い大地では、生き残ることが出来ない魔法使いがいることを……」
……魔力の変換能力の差。そして魂の魔力量の差。
外部から魔力を得られなくなれば、魂の魔力を擦り減らすしか無い。生きるために過剰に魔力を生み出すしか無い。
生き残れるのは、食物や水分に僅かに残った大地の生命力から充分な魔力を作り出せるものだけ。
「………ごめん」
小さな声が出る。
「……ごめんね。私が…消したの。私がみんなを消したのよ。謝っても……許されないことをした」
ぎゅっと目をつぶる。
そして目を背け続けた〝あの日〟を思う。
あの時ああする事しか出来なかっただろうか。
魔を払う以外に何か出来なかっただろうか。
偉そうに『絶対に正しい判断なんか有りはしない』と言ったけれど、『絶対に正しくない判断』はある。
私がした事は、ただ弟子を討ったなどという生温いことでは無い。
私は失格だった。
国を背負う者として失格だった。
……師匠としての自分以外が見えていなかった。
「ディアナ様…、そのような顔をなさらないで下さい。あの時のディアナ様のご判断に、誰しもが感謝しておりました。……自分たちで選ぶことができたのですから」
トラヴィスが労るような視線を投げかけてくる。
「選んだ……?」
「左様でございます。糸に操られ続けていたならば、戦うことも、いえ、逃げることも選べなかった。……お忘れになったわけではないでしょう?エルヴィラの糸に操られた我々が何をしたのか」
「────!」
胸が張り裂けそうに痛い。
皆の記憶には残っていないものだとばかり思っていた。
「……仲間同士で殺し合うことに比べれば、仲間に見送られ、この地での再会を約束しながら消えゆくことは……不幸では無かったと思います」
瞳の奥が熱を持つ。
……泣いちゃだめだ。私にそんな権利はない。
エルヴィラを正しく導けなかった、私の罪の始まりはやっぱりそこなのだ。
彼らが不幸じゃなかったとしても、決して幸せな死では無かったのだから。
トラヴィスが遠くを見つめる。
「そう、生き延びるため……祖父は防衛戦を撤退戦へと切り換えた。……アーデンブルクを離れる決断をしたのです」
頷きながら思う。
トラヴィスの視線の先にあるのは、計り知れないほどの悲しみと孤独なのだろうと。




