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あの頃

 アーデンブルクの勃興期には、こうしてゆっくりベッドに横になる事などできなかった。

 増え続ける島の人口、増え続ける弟子入り希望者、そして増え続ける大小のトラブル。

 少しずつ育った古い弟子たちが、抱え切れなくなった両手の荷物を担ってくれるようになったのは、ベネディクトに最終課題を出した頃だった。


 ゴロンと横になったベッドから部屋の中を見回す。

 …意識したわけでは無いのに、あの頃暮らしたアーデンブルクの私邸そっくりになってしまったこの部屋。

 弟子入り希望者を学校という形で受け入れられるようになった頃、ようやくこうして一日に数十分、その日を振り返る時間を持てるようになった。


 そうそう、私がたまに横になっていると、学校に行く前の見習いたちが申し訳なさそうに私を迎えに来たもんだ。

『ディアナ先生、お客様がお見えです』『先生!基礎クラスで事故の知らせです!』『リオネル様がニか月部屋から出て来てません!』

 …リオネル……私の記憶の中ではこんな感じなんだけど。

 そしてゆっくり体を起こしたら、その子たちが髪を結ってくれたのよね。器用に、綺麗に結ってくれて……。

 ローブを羽織って部屋を出れば、必ずベネディクトと目が合った。

 何を言わなくても彼は必ず私の側に控えていて、邸を、邸で暮らす子どもたちを、そして私をいつも守ってくれていた。


 アーデンブルクが対外的に〝国〟となった頃、ベネディクトは独立した。

 …私がそう頼んだ。

 嫌がる彼に頭を下げた。

 私では無く、アーデンブルクを守って欲しい。

 だって私は強いから。

 私は……守る側だから。




「……なぁなぁディアナ、いつまで寝てんだ?もう日付変わってしかも夕方なんだけど」

 …え?

「勉強見てくれるんじゃなかったのかよ。…いや、見てくれなくていいんだけど。マジで」

 …だれ?そっくりな顔……新入り………?

「双子!!」

「「そうだけど」」

 は?私いつの間に寝てた?

 え、寝てた?

「ここ…どこ?」

「は?水晶の城に決まってるだろ。ザハール、ディアナがお婆さんの仲間入りだ」

「せっかく見た目だけは若かったのにね。介護はリオネルに任せようよ」

 あー……そっか。

 夢か…。


「ちょい待て。……この生意気な口の利き方、片手で捻り潰せそうな未熟な魔法使い…。こんの見習い以下の双子め!!誰がお婆さんだぁっ!?」

「ぎゃはは!ディアナ頭ボサボサじゃん!!」

「お婆さんじゃなくて山姥じゃん!!」

「黙らんかいっ!!」

 逃げ回る双子を追いかけて廊下へと飛び出る。

 老婆の呪い面を着けて空中で左右に首を振り双子を探す。

「ど〜こ〜だーーー!!!」

 しーんと静まり返る廊下。

 …はぁ?この私がノリノリで遊んでやってんのに無視とかありえなくない?



「……寝起きから何をやっている」

 コツコツという靴音に後ろを振り返る。

「ああん……ああ……ゼイン。…ゼイン?」

「なんだ」

「……今はいつ?」

「…………私はまだお前にほとんど何も教わっていないのだが」

「ボケてないわよ!!」

 あんたたち男子会してたわよね。

 ええと…夜だったわよね。

「なんでみんなここにいるの?昼は仕事と学校でしょ?…あーー!仕事!!大学とこていしさんぜー!!」


 頭を抱えてジタバタする私の目の前でゼインが溜息をつく。

「…世間はニ連休だ。どれだけここで暮らせば頭の中に暦が入るんだ」

「にれんきゅう…」

「二日間休みだ」

 二日も休み……

「えっ!?今までそんなことあった!?今日だけ特別!?」

「………介護はリオネルに任せるかな」

 ……え、私ほんとにボケた?


「…あんたゼインよね?ここはアーデンブルクじゃないわよね?さっきの双子は見習い魔法使いじゃないし、ベネディクトもいない…合ってる?」

 やや細められたゼインの目に不安が増してくる。

 待って、こっちが夢……?

 目覚めたらまた忙しい日々が始まって、弟子がたくさんいて、リオネルは引きこもりで……

「…違う、ちがうちがう。ごめん、ゼイン。頭が混乱してたみたい」

「……少し話せるか。とりあえず起きてくるのを待ったのだが」

「わかった」

「…顔、外せ」

「…わかった」



 

「何か飲む?倉庫でタダ飲みできる泥砂コーヒーいる?」 

 私室のテーブルにゼインと向かい合って座りながら尋ねる。

「……福利厚生改善のための貴重な意見は受け取っておこう」

「んじゃ、ほれ」

「………………。」

 飲みたそうにしている泥砂コーヒー入りの紙でできたコップを渡せば、ゼインの目が死んだ魚のようになる。

「ほんとにさー、百歩譲って筋肉痛はいいわけよ。おかげで毎日若返ってるわけだし。もうとにかく昼ご飯が厳しい!見習い魔法使いだってもっとマシなもん食べてたっつーの!」

 ブツクサ言いながら自分には書き換えに書き換えを重ねた最高の一杯を出す。


「グフッ!」

 コップに少しだけ口を付けたゼインが変な声を上げ、即座に消去魔法でコーヒーを消し去る。

 そして事もあろうにクシャクシャに丸めたコップの残骸を投げつけて来た。

「あたっ!何すんのよ!!」

「黙れ。そして開け」

「はあっ!?」

 何とも不機嫌なゼインが指差すのはコップの残骸。

「……ったく何だってのよ。見習いが修行の成果を披露したら褒めちぎるのが常識ってもんでしょうが…」

 再びブツクサ言いながら指を鳴らせば、コップの残骸だったものが一瞬で書類へと変化した。


「へー!オシャレな魔法使うじゃない。あー…アレか。恋の魔法シリーズ…」

 そう口にした瞬間、ゼインの目が据わる。

「……覚えがあるようで何よりだ。だがそんな恥ずかしい名称の魔法を私が使うわけないだろう。これは単なる初級の物質交換だ」

「だから石ころを宝石に変えたり、枯れ枝を花束に変えたりするやつでしょ?何度も見たわよ」

 魔法学校は年がら年中恋の季節だったのだ。

 ちなみに私はリオネル以外から宝飾品をもらった事はない。

 花束は……そこまで考えて、ゼインがここに何をしに来たのか思い至る。


「……何か分かった?」

 ポツリと尋ねれば、ゼインが今しがた現れた書類を指先でトントンする。

「……ニールがまとめたトラヴィス・サーマンの人間としての経歴だ。読んでみろ」

 人間としての経歴……。

 ゼインの言葉に頷き、手元の書類に目を落とす。


『トラヴィス・サーマン、ガジール国出身。ノックスコード大学大学院、先端物理学研究室博士課程卒業……』


「博士?トラヴィスって博士なの?」

 ゼインが頷く。

「大学のデータベースでも確認したから間違い無い。世界最難関の大学の博士号を持っている」

「へぇ……。宝石の仕事って頭良くないと出来ないのねぇ……」

 リオネルもこの大学に行くのだろうか。最高の錬金術師だから行かねばならない気がする。

「………重要なのは、大学の博士課程を卒業したのが20年前という事だ。魔法学校での最短卒業年数は知らないが、人間の世界では博士課程をストレートに卒業したとしても30歳近くになる」

「20年前に30歳……」



 濃い灰色の髪と藍色に近い瞳をはめ込んだ美しい顔を思い浮かべる。

「……あの子、今が人生真っ盛りって顔してたわねぇ」

「そうらしいな。ニールが自分が普通じゃないと自覚したのも、人間でいうところの中年期に差し掛かった時期だ。ディアナ、悠長に構えている場合では無い。彼は今この瞬間も何かしらで……」

「……苦しんでるかもしれないってことね」


 ゼインは静かに頷いた。

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