二人の魔女
この島がネオ・アーデンと呼ばれ出したのはいつの頃だったか。
私の方からそう呼べと言った事は一度も無い。
島が対外的に国として承認される頃、行政を任せていた人間たちが勝手に案を募って勝手に決めた。
……私はずっと『ここはアーデンブルクだ』と言い張っていたのに。
ほんの100年地下に潜っている間に島に住み着いた人間は、最初は自分達だって侵略者だった分際で、新参の入島希望者といつだって小競り合いをしていた。
耳障りで不愉快でたまらず、いつか駆逐してやるのだと本気で思っていた。
だから今だけは島に住まわせてやる、そう思っていた。
だが世界に出て私は知った。
愚かさと賢さを併せ持つ人間は、力で相手をねじ伏せる一方で、世界の趨勢を決める時に多数決という数の論理を持ち出すことを。
数……我々魔法使いにとって圧倒的に不利なもの。
数を揃えるためには力がいる。人間にとっての力の源は魔力では無い。絶大な軍事力、もしくは…圧倒的な経済力。
この島を誰にも侵させず、誰にも支配させずにいるためには、両方の力が必要だった。
両方の力が………
「ゼイン大丈夫?ぼんやりするなんて珍しいね」
「…ああ、いや大した事では無い。まさか国家間の交渉事を魔法使い同士でするような機会があるとは思わなかったのだ」
「…ぶっぶー。魔法使い同士じゃなくて、相手はお人形…だよ」
ニールと二人迎賓館前のロータリーに立ち、オスロニアからの使節団の到着を待つ。
全ては予定調和。マスコミ向けに数枚写真を撮らせたら、あとは人形相手の楽な仕事だ。
それもこれも全ては二人の魔女のおかげ。悠久の時を生きる二人の魔女の気まぐれで、ネオ・アーデンは、世界で初めてオスロニアと正式に国交を結ぶ国となる。
『ゼインさん、使節団の車入ります』
インカムからショーンの声が響く。
『大使館職員、関係省庁準備オッケーす』
少し遅れてギリアムの声が届く。
ニールと頷き合い、目の端に映り込んだ黒塗りの車を確認する。
何の問題も無く車列がロータリーに入ってくる。
問題無く……いや待て、どの車からか嫌な魔力が漂って来る。瞬間的に頭に浮かぶ紫色の瞳。
…どういうつもりだ、あの変態魔女……!
散々打ち合わせしただろう!何で急に予定を変更する!!
『ゼイン、笑顔笑顔!わかってる。わかってるよー!僕も口端が引き攣りそう』
ニールのこめかみに薄っすらと浮かぶ青筋。
…ニールを怒らせるとは、さすがの空気の読めなさだ。
続々と到着しては降りて来る人形たち。
先頭から3列目の車でやって来た大統領夫妻役の人形2体を丁重に出迎え、5列目の車でやって来たグラーニン夫妻に目配せをする。
オドオドするな。お前は会社の代表なんだぞ?そういう目でマカールを睨めば、隣のカリーナが夫をこづく。
大統領人形と固く握手をして写真に収まる。
今日はガーディアンの代表として参加するニールがマカールと握手をする。
「…コソ……マカールさん、笑顔笑顔!ほら、今日の最大の山場だよ!」
「は…はひ…!!」
マカール・グラーニン、存在自体が貴重。
高名な魔法使いの一番弟子の子孫でありながら魔力がほとんど無い。これほど人間との交渉役に適した人材がいるだろうか。
…手と足が同時に出ているあたり、まだまだ仕込まねばならない事は多いが。
そしてカリーナ・グラーニン。彼女は優秀だ。
私の言うことなど聞きはしないクラーレットとの間を上手に取り持つ。長年マカールの伴侶として過ごしただけあって、忍耐力が凄まじい。
人形を先導しながら迎賓館の中を歩き出した時に、後方から騒めきと無数のフラッシュがたかれるのを感じた。
理由などわかっている。わかっているが確認のために後方を振り返る。
視線の先にはディアナ。…半目でブサイクな。
そしてその腕に絡みつくように身を寄せるクラーレット。
何をやってるんだ、あの二人は………。
『あーあ、クラーレットさん余程前回の件が気に入らなかったんだろうね』
ニールから思念が飛んで来る。
…前回の件?
『ゼインとディアナちゃんの記事、世界中に配信されちゃったもんね。写真よく撮れてたよねー』
レセプションの時のアレか………。
別に何も間違った事は言っていない。それがどう人間に伝わったのかは知った事では無い…が、何となくディアナに聞かせるタイミングを逃している。
背中にビシバシ突き刺さるクラーレットからの魔力に無視を決め込み、とりあえずは今夜やるべき事に集中すべく、私は迎賓館奥の晩餐会会場へと足を踏み入れた。
「ゼインさん、お疲れ様っす。何とか無事に済みましたね」
晩餐会終了後、ネオ・アーデンの役人の取り纏めとオスロニアの人形のフォローをしていたギリアムが蝶ネクタイを緩めながら近づいて来る。
「…ああ、何とか終わったな。ショーンは?」
「オスロニアの使節団をホテルまで先導してるっす。クラーレット所長に引き渡したらこっちに合流するっす」
「…そうか、わかった」
晩餐会自体は何のトラブルも無く、成功裏に終わったと言えるだろう。
問題は……
「ディアナ、帰るぞ」
「……………お先にどうぞ」
……一人残されて、テーブルに頬杖をついたまま何とも不機嫌な魔女である。
「車が出る。転移出来ないだろう?」
「…歩くから大丈夫」
嘘をつけ。ここがどこかも知らないくせに。
「…はぁ。仕方が無いだろう?私もクラーレットの行動は知らなかったんだ」
「アレクシアがゼインは何でも計算済みだって言ってたし」
我儘魔女の行動なんかいちいち把握しているわけないだろうが。
「…何が気に入らない」
そう言えば、ディアナがジトッとした目で私を見る。
「……27歳になってた」
「は?」
「27歳になってたの!!昨日まで25歳だったでしょ!?何で急に二つも年取ったのよ!!」
………は?
「アレクシアの大学時代の後輩ルームメイトって何よ!後輩は許せる!じゃなくて何で私があの子の年齢設定に合わせなきゃなんないのよ!あー腹立つ!!」
は…?待て、クラーレットがネオ・アーデンの基幹システムを書き換えた……?
待て待て待て、ディアナはどこの大学に通ったことに……と、それは後だ。
「安心しろディアナ。お前は急に年を取った訳ではない」
「はあっ!?何言ってんのよ!タイムマシーンは作れないんじゃなかったの!?」
……馬鹿だ。
馬鹿だ馬鹿だと思ってはいたが、筋金入りの馬鹿だ。
「いいか、お前がディアナ・アーデンになってから、とっくに2年が経っている。27歳になるのは当たり前の話だ」
「…………は?」
何だその眉間に矢が刺さった鴨のような顔は。
「……じゃあ私、もう可愛い後輩じゃなくなったの?」
未だかつてお前が可愛い後輩だった試しは無い。
「可愛くない私なんて……ただの火炙り系魔女じゃない!どうしてくれんのよ!?可愛い25歳が良かったのに〜!!」
知るか。さめざめ泣くな。面倒くさい。
…とは言え外見に対するコンプレックスというのは意外と根が深いからな。
仕方がない。ここは一つニール直伝のアレでいくしか無い。
ポンポンと高齢魔女の頭を撫でる。
「……か…可愛い」
「え?」
「あー……十分に可愛い」
実年齢の割には。
「ほんと?」
「ああ。それに驚くほど若々しい」
だから、実年齢の割には。
「若々しい……。若い!そうよ、私は若いのよ!肌だってピチピチだしシミもシワも無い!!」
「あ…ああ、その通りだ」
それは知らんが、多分、実年齢の割には。
「んじゃ帰ろっと。よかったー!若いままで!」
ディアナが差し出す左手を掴み、立ち上がらせる。
……どう見ても介護される老婆の振る舞いだが。
「はぁ……重力って嫌になるわ」
ブツブツ文句を垂れるディアナを引っ張り、ようやく正面ロータリーまで辿り着いた時に、しつこい魔女が口を開く。
「ねえねえ、もう一回言ってみてよ。私可愛い?」
その瞬間バシャバシャと焚かれるフラッシュの嵐。
「…………………。」
……最悪だ。
どこかに魔女の取扱説明書は残されていないのか?
そんな事を本気で考えた夜だった。




