ショーンの怒り
ザハールを救出した部屋から奥は未踏の地。
私は改めて二人に告げる。
「ここから先私たちが目にするものは、おそらくあまり気分のいいものでは無い」
ニールが頷きながら言う。
「今まで見た部屋の中で、唯一足りない場所。…気持ち悪いものたくさんありそう……」
ショーンもぐっと拳を握りしめながら言う。
「医務室……ですね」
私は頷く。
ディアナと最初に来た時に浮かんだ仮説。
大量の人間に魔力を与えられる方法として食事の線が消えた以上、考えられる中で最も可能性が高いのは医療行為だった。
まず軍人ならば誰しもが最初に受けるもの、それは身体検査。これほどまでに正確なデータを集める機会は無い。
そしてザハールの話で仮説は確信に変わった。
身体的弱点の補強の名目で、彼らが課されていたトレーニングとその後振る舞われる栄養補給剤。
〝自ら進んで取り入れる〟の条件を充たすためのピースが揃ったのだ。
それが何からできているかは、おぞましくて想像することを脳が拒否する。
「…何を見ても、淡々と。それから作戦行動についてだが……」
「わかってる。その時はゼインが指示して!」
二人の顔を見ながら頷いた。
「行くぞ」
「…ドクター・ウゴール、サンプルCの件ですが、おかしなデータが出ています」
「…何だと?」
「こちらをご覧下さい。生体反応は通常通りでしたが、細胞の培養結果が……」
「……分裂していない?どういう事だ…」
忍び込んだ医務室で、白衣の男女が話をしている。…例の二人だ。
鼻につく消毒薬の匂いに混じって漂って来るのは微かな血の匂い。
想像したくも無かったが、我々が嗅ぎ慣れた魔物の血の匂いだ。
『…ゼイン、奥、奥!』
ニールの目が早くも目的物を見つけたらしい。
ショーンに合図を出すと、ニールがすり抜けた壁の先へと向かう。
部屋に入って真っ先にしたことは鼻を覆うこと。
そして、目の前の光景を目に焼き付けることだ。
「……空間隔絶!」
防音や侵入阻害など生温いことは言っていられない。
「ニール、ショーン、構えろ。…壊すぞ!!」
「「ラジャ!!」」
3人で三方向に展開し、ガラスケースを次々と壊す。
薬品漬けにされた、数十体の猪型魔獣が収められたガラスケースを。
ドチャ…グチャ…ベチャ……。
不快な音を立ててケースから転がり出て来る魔獣たち。
たくさんの管に繋がれ、おそらくは血を抜かれ続けているのだろう。生きているのか死んでいるのかも分からない、ピクリとも動かない魔獣。
20年前の残りだろうか。それとも……
「ゼインさん……」
ショーンが何かを言いかけて唇を噛む。
「…わかっている。だが野に放つことは出来ない。ショーン、一滴も残らず液体を集めろ。その後ケースに復元魔法。ニールは液体焼却後、部屋の浄化だ」
「「…ラジャ」」
この場合、魔獣に罪は無いだろう。だが次の災禍を防ぐには消し去らねばならない。
右手に魔力を集める。瞳に熱が篭る。
「──【白炎の瞬き】」
字面から得られるイメージとは真逆で、対象物の骨まで一瞬で消し去る火属性の上級魔法。
唱えた刹那、魔獣の体が眩しい光と熱に巻かれ……そして消えた。
「ゼイン、時間が無い。次行こう!」
「ああ」
再び隔絶空間を元に戻すと同時に、部屋に駆けてくる足音が聞こえてきた。
『…ゼインさん、隣に抜けましょう』
ショーンの思念で壁をすり抜ける。
すり抜ける背後で悲鳴に近い叫び声を聞いた。
「な…なぜだ…!なぜだなぜだなぜだーーー!!!」
『…彼が主犯?』
『どうだろうか。あの女を見る限り……そうとも言い切れ無さそうだ』
顎で指し示した先には、何かの紙を握りしめてワナワナと震える女。
「…死体?人形?…じゃあ生体反応は何…?誰よ、誰なのよ!!誰が私の邪魔をした!!」
叫び声を上げる白衣の女。
『…ゼインさん、あの人、目の色が!!』
ショーンの言う通り、白衣の女の目が血走っている。
『…最悪のパターンだな』
どんどん青紫色に変わる女の皮膚。
『ゼイン、もう聖魔法じゃどうにもならない……』
…よもや自分自身をも実験体として使っていたとは。
人間の女だったはずの生き物は、もはや例えようの無い生物へと変貌していた。
まとめていた髪を振り乱し、四つ脚で床を掻く。
掻くなどという可愛い表現では足りない。鋭く伸びた爪で石床を抉っていく。
口からは牙を生やし、全身が太くて硬い毛に覆われている。
…魔物化。これほどまでに惨いことだとは……。
【グァァァァ!!!】
魔物の咆哮に、白衣の男が飛んで来る。
「イ……イヴァンナ…?イヴァンナ!その姿は何だ!!薬の量か?それとも性差……」
魔物の目がブツブツ呟く男を捉える。
『ニール!全員避難させろ!やれ!』
『わかった!』
ニールが端末を操作し、建物内に仕掛けた煙玉を爆ぜさせる。
ジリリリリリリリ………!!!
けたたましく鳴り始める火災報知器。
白衣の男が音に気を取られ一瞬天井を見た瞬間だった。
「危ない!!」
左隣から飛び出る銀色のローブ。
「ショーンッッ!!」
叫んだ時には手遅れだった。
魔物が振り上げた爪が男を庇ったショーンの背中を抉る。
「ショーーン!!」
飛び出して魔物に雷撃を放つ。
隣からはニールの氷の鎖が飛ぶ。
「あわわわ…な、なんだ、お前たちは…な…にもの……」
「黙れ!!」
瞳に魔力を込めて睨みつければ男が固まる。
「ショーン!!ショーン……!!」
体を抱えあげ声を掛ける。
「……大丈夫です、ゼインさん」
「…ショーン?」
ゆらゆらとショーンが立ち上がる。
「僕…こんなに怒りが沸いたの初めてです……」
「お前、傷は……」
あんなに深く背中を……
「僕が何着てるかご存知でしょう…?」
「あ…ローブ……」
「ゼインさん…お行儀悪いことしてごめんなさい」
ショーンの拳に魔力が集まる。
…魔力を……発動している……。
「ゼイン!ショーンがキレてる!!止めろ!!」
「…はっ!」
私が正気に戻ったのは、ショーンが白衣の男に鮮やかな左ストレートを決めた時だった。




