帰って来た魔女
塔のてっぺんから街を見下ろせば、そこは彩りあふれる魔法の世界。
花壇にしゃがみ込む子どもたちは、手の平から湧き出す水を花に注ぎ、大人たちは忙しそうに書類と一緒に大空を飛び回っている。
塔のてっぺんから姿を見せれば、誰もが私に手を振って、街中に歓声がこだまする。
皆が魔力を込めた花火を打ち上げれば、私は星を降らせてそれに応える。
そんな日々があったのだ。
確かにここに……あったのだ。
何となく感じる日の光につられ、薄目でぼんやりと部屋の中を見回す。
目に入るのはベッド一つ置けば座る場所も無くなるような狭苦しい部屋。
何の彩りもない、薄汚れた壁紙に飛び散る染みが何となく人間の顔に見えるだけの、無味乾燥な部屋。
………あれ、私ここで何してるんだっけ。
夢と現の狭間で寝返りを打ち、ぼんやりとしたまま枕元に視線をやれば、自分の置かれている状況に脳がゆっくりと回転し出す。
目に映るのは、この国に来た時に強制的に持たされた四角い機械。
電話とテレビと音楽も全てこれでまかなえるという不思議な薄型機械。
画面を見れば何かがチラチラ点滅しているが、よく分からないから床に放り投げ、再び脳の回転を止める。
次に目覚めるのは明日の予定。
この生活をかれこれ半年。
できれば死ぬまでこうしていたい。
死ぬまで……。
プルルルル…プルルルル…
夢の世界に戻りかけた時、突然音が鳴る。
おそらく電話だ。さすがに電話ぐらいはわかる。いや、正直言って薄型機械のそれ以外の機能はわからない。
それにしても私の眠りを妨げるとはいい度胸をした電話だ。その勇気は褒めてやろう。
褒めてやったんだからさっさと止まれと、床の電話をチラッと睨み、布団を被って無視を決め込む。
プルルルル…プル…
やっと諦めたか。
さて、昼寝再開…と思った矢先、再び耳障りな音が鳴る。
プルルルル…プルルルル…
……しつこいわね。
あくまでも出る気は無いが、私はのそのそと床に降りて、覚えたばかりの秘技〝消音〟を繰り出す。
ムームームー…ムームームー…
ムームームー…ムームームー…
「……ムームームームーうっさいのよ!この私が両足床につけてやってんのよ!?黙りなさいよ!!」
イライラしながらしゃがみ込み、床に転がった機械をズダダダダと指先で触れば、黙るどころか機械が勝手に喋り出した。
『……あ、セルウィンさん!?そちらディアナ・セルウィンさんですか!?よかった!やっと繋がった!!生きてますか!?』
……どこの誰だか知らないが、向こうは私を知っているらしい。
「…あー……生きてる……ます」
『それはよかった!いえね、こちらとしても現状把握と生存確認の意味もあって、半年に一度は連絡が義務化されているんですよ。今日連絡取れなかったら警察に通報するところでした!あーよかったよかった!』
…やはりどこのどなたか分からないが、通報は困る。
『ところでセルウィンさん、そろそろお仕事しませんか?』
……どこのどなたか分かった。
「あー…ええと、確か……テビ…デビット…さん?全くもってありがとうなお話だけどですが、今はその……」
『何言ってるんですか!セルウィンさん、入国以来半年近く働いてないでしょう!どうやって生活してるんですか!?だいたいうちの国では労働の義務が果たせない人間はうんぬんかんぬんああだこうだでとやかくとやかく……』
うるさいわねぇ……。
耳元で雑音を振り撒く四角い機械から手を離し、左手でフワッと宙に浮かべると、もう片方の手を空中で振る。
シャッと開くカーテンからは太陽の光が差し込んでくる。
太陽……久しぶり。相変わらず熱苦しいわね。あんたとも長い付き合いだわ。
左中指と親指をパチンと鳴らし、宙に現れた鏡を覗けば、そこには真っピンクの髪をした美少女が映っている。
再び指を鳴らしてそのお気に入りの髪をツインテールにくくりながら、今度は右人差し指で空中にマグカップを取り出す。
はからずも目覚めてしまったからにはコレだろう。
フワッとマグカップの縁に触れれば、そこにはなみなみとコーヒーが充たされる。
デビット、あんた私にどうやって生活してるのかって聞いた?見りゃわかるでしょ。こうやって生活してんのよ。
たかだか10年単位でしか生きてないガキんちょ人間に心配されるほど落ちぶれちゃ……
『とにかく、次の職場決まりましたからね!セルウィンさんの条件を全てクリアした、滅多に出ない掘り出し物ですから!』
「……は?」
『あ、詳細はお送りしますので! ブツッッ』
「は?…今なんて?」
お送りします…?
何をどうやって送り付けてくる気……?
はっ!いやそこじゃない!
職場決まった?何で?何で勝手に決まった?
四角い機械を見つめながら立ち尽くすこと数分、白い画面上にどんどん文字が流れてくる。
え、は?…これどうやって取り出すの?
振ろうがひっくり返そうが文字が取り出せる気配は無い。
「ええい面倒くさい!!」
再びカーテンを閉めて暗闇を作り出すと、四角い機械に呪文をかけ、中の文字を取り出す。
何よ、現代の機械にも呪文効くんじゃない。半年無駄に過ごしたわ。
どれどれ……
〝誰でもできる簡単なお仕事です。
従業員4名のアットホームな職場で一人事務!
お任せしたいのは備品の管理、来客対応、書類整理……〟
…………はあっっ!?
キラキラと宙に浮かぶ文字からは、現代版の呪詛が吐き出された。
アットホームな職場…?絶対無理。アットもホームも絶対無理!人間とアットでホームなんて絶対無理!!
お、恐ろしすぎる……!!
あまりの衝撃に枕を抱えてベッドで小刻みに震えていると、これまた次から次へ文字が浮かび上がる。
〝セルウィンさんいかがですか?
ご希望通り一人きりでのお仕事ですよ!
ちなみに、セルウィンさんはあと1週間で就職しないと国外退去ですので悪しからず。〟
「こ…こくがい…退去!?な、何勝手なこと言ってんのよ!後から住み着いたのはあんた達人間でしょ!?私は元々この国の住人だっつーの!!」
国外退去……?
ゆ…許せん!
人間とはまことに許し難い!!
宙に浮かべた機械を床に落とすと、抱えていた枕を投げつける。
「ぐぬぬぬぬ……!おのれデビット、どうしてくれようか……!」
ことの始まりは500年前に遡る。
その時点で誰もに畏れ敬われる大魔女だった私は、人生初めてで唯一の大失敗をおかして、100年ほど眠りについてしまった。
目覚めてみれば見知らぬ祠に封印されていて、寝返りを打ちながらそこでしばらくダラダラ過ごした。
まぁしばらくダラダラした後は指先一つで封印を解除したのだが、問題はここからだった。
100年ぶりに外に出てみれば、何と辺りから魔力という魔力が消えている。
代わりに蔓延っていたのが走り回る鉄の固まりと、魔力の無い大量の人間。
さすがに仲間を探さねばまずい気がして、旅に出たのはそれからすぐ。
ほんのちょーっと帰りが遅くなっただけなのに、故郷に足を踏み入れた瞬間に何故か移民局に連行されたのは半年前。
「私を誰だと思ってんのよ。ディアナ様よ?崇め奉るのが筋ってもんでしょうがっ!!」
なー〜んにも感じられない人間相手に叫んだところで、返って来るのは沈黙だけだ。
長い時を生きているから知っている。人間はルールに厳しい。
だが働きたくない。というか人間となんか働けない。
だって、私は魔女だ。