後編
帝国の大使館へと向かう馬車の中、王太子ベリアルは公爵令嬢アマンダと向かい合っていた。
「王子は、聞きしに勝る愚物のようだ。
いくらなんでもあのような場で脈絡もなく婚約破棄宣言とは」
「お救いいただきありがとうございました。
この上は、帝国の発展のため、微力を尽くす所存です」
アマンダの言葉に、ベリアルは満足したように笑みを浮かべた。
「思ったとおり、あなたは聡明な方だ。
彼にはもったいない」
ベリアルの言葉に、アマンダも目元を和らげた。
それなりになごやかな雰囲気の中、進む馬車の後ろから、5頭の馬が駆けてきた。
夜だというのに高らかに蹄の音を響かせてくるそれに気付いたベリアルは、「ほう、思ったより対応が早いな」と薄く笑った。
そして、再び表情を硬くしたアマンダを見て笑みを深めた。
やがて馬車が緩やかに止まり、護衛の騎士が馬車の窓越しに「国王陛下の使いと名乗る者が、公爵令嬢のお迎えに参じたと申しております」と報告してきた。
5頭の騎馬は、ベリアルの乗る馬車を取り囲むように立ち、扉脇に止まった馬から下りた騎士が馬車に恭しく礼を取った。
「我ら、国王陛下の命により、ヤーマン公爵令嬢をお迎えに上がりました」
ベリアルは、“馬のみで来ておいて、お迎えとは笑わせてくれる”とせせら笑いながらも、窓を開け、澄ました顔で「彼女は我が求婚を受け入れ、我が帝国王家に連なる者となった。迎えは不要だ」と返す。
騎士は、なおも「ヤーマン公爵令嬢は、我が国王子の婚約者でありますれば」と食い下がったが、ベリアルは、「その婚約は、陛下ご了解の上で破棄されたとウイリアム殿が明言された。違うというなら、帝国王太子たる私を愚弄したウイリアム殿の処刑を求める」と言い放つ。
王が婚約破棄を認めていないとなれば、真に受けて求婚したベリアルはとんだ恥をかかされたわけで、処刑は言い過ぎとしてもウイリアムの罪を問うのは当然と言える。
騎士は青ざめた。
元々、騎士は、「バイカンの王太子が連れ去ったヤーマン公爵令嬢を連れ戻せ。抵抗するなら殺せ」との命を受けており、これが暗部に属するような命令であることは理解していた。
王子による婚約破棄による騒ぎを最小限に抑えるために、隣国で公爵令嬢にあることないこと言い出されては困るだろう、というのが彼の理解だった。
「抵抗するなら殺せ」と言われてはいたが、公爵が相手でも、王の命と言えば通るだろうと軽く考えていたのだ。
そう、向かう先は公爵邸のはずだった。
王太子が公爵邸まで送り届けた後で公爵邸を訪ねて連れ帰るつもりで、公爵令嬢を乗せるための馬車も同道していた。
それが、先回りして見張るために先行した者から、“大使館に向かっているようだ”との急報があり、慌てて馬車を置き去りに追ってきたのだ。
大使館は帝国領のようなもの、入られたら使命を果たすことはできない。
「こんなの聞いてない!」と叫びたいのを堪え、必死に食い下がった。
「私どもは、公爵令嬢はウイリアム殿下の婚約者様であると伺っております。どうか我らに役目を果たせていただきたく…」
だが、ベリアルはあっさりと遮った。
「名乗りもせぬ者を騎士と信じろと?」
やむを得ず名乗り、騎士団の紋章の入った剣を差し出したトリスタンに対し、ベリアルは更に
「この件は、後日正式に抗議させてもらう。貴公らの認識がどうであれ、彼女は我が帝国王太子妃となる女性だ。それを引き渡せとは、帝国を侮るにもほどがある」
とたたみかけた。
名乗らねば信じられないと言うから名乗ったのに、何の意味もなかった。それはトリスタンにとって屈辱だったが、使命は果たさなければならない。更に食い下がる彼に、ベリアルは冷たく言った。
「では、陛下の下命である証拠を出せ。ないなら帰れ。さもなくば暗殺者として対処する」
このような任務に書面などあるわけがない。また、あったとしても、どうせ「従う義務などない」と言われて終わるのだろう。
トリスタンは断腸の思いで引き下がり、戻って報告することになる。
アマンダは再びベリアルに頭を下げたが、ベリアルは「なに、夫が妻を守るのは当然のことだ。あなたにはそれだけの価値があるのだから」と笑った。
なりふり構わずに騎馬だけで追ってくるなど、アマンダにそれだけの価値があると明言したに等しい。
ベリアルは、自分の予感が正しかったことを確信していた。
一方、ウイリアムは、城に戻ると父王から呼び出された。
至急と言われ、着替えることもなくそのまま王の執務室に行くと、「余に一言もなく婚約を破棄したそうだな」と睨まれた。それはもう、冷たい、ユキグマも凍死するほど冷たい目で。
王子は一瞬ひるんだものの、すぐに気を取り直した。
「あのような冷酷な女に王妃は務まりません。
民から愛される王妃こそが最上です」
にこやかに答えるウイリアムに、王はキレた。それはもう、盛大に。
「愚か者が!
アマンダ嬢は、もう王妃教育をほぼ終えていたのだぞ!」
激昂する王に、ウイリアムは軽く答える。
「王妃教育など、キャンディなら今からでもこなせます」
そして、そんなウイリアムに、王は更に怒った。
「可能不可能の話をしているのではないわ!
王妃教育の中には、王家の機密事項も含まれておる! だからこそ、城に部屋を与えていたのだ。
聞けば、バイカンの王太子がその場で求婚して連れ去ったそうではないか!
アマンダ嬢を回収しようと送った手の者は、王太子から婚約者を奪おうというなら戦も辞さぬと脅されて戻って来おった。
あのような多数の者のいる場で婚約破棄され、その場で求婚されて応えた以上、婚約を認めぬわけにもいかん。
お前は、我が国の全てを知る者を、みすみす隣国にくれてやったのだぞ! せめて個室の中でのことであれば、アマンダ嬢の口を塞ぐ方法もあったものを」
王に叱り飛ばされても、ウイリアムはピンとこなかった。
翌朝、ベリアルは、騎士から預かっていた剣を添えて国王あてに正式な抗議文を送った。
そして、返事を待たずアマンダを伴って、帝国への帰途に就いたのだった。
帰国したベリアルは、半年の婚約期間を経て婚姻した。
王太子の成婚ということでそれなりの規模となり、王国からは国王夫妻が出席することとなった。
元婚約者である王子が出席したのではお互い気詰まりであるし、それなりの立場の者の出席が必須だったからだ。アマンダの父ヤーマン公爵は、余計な軋轢を避けるために出席は控えることとなった。
一般レベルの歓待を受け、ごく普通に仲睦まじい王太子夫妻の姿を目にして、王は胸をなで下ろす思いだった。
だが、国元に帰ると、異変が起きていた。
ヤーマン公爵を中心とした一派が、国王の退位とウイリアム王子の廃嫡を求めてきたのだ。
曰く「王子がヤーマン公爵令嬢に対し一方的に婚約破棄したのは、ヤーマン公爵家の力を削ぐための謀略である。なんら瑕疵のない貴族家を不当に陥れる王家には従えない」というのが理由だった。
王が退位し、唯一の王子を廃嫡したのでは、王家は消えてしまう。それは王家にとって呑めない条件だった。
王は、ヤーマン公爵との和解を求めたが話は平行線を辿り、更にヤーマン公爵に同調する貴族が続出したため、国政は混乱に陥った。
やがて混乱が大きくなってくると、バイカン帝国がヤーマン公爵を支持すると表明し、支援を始めた。もっとも、実態としてはバイカン帝国からの侵略であり、王を帝国に招待したのもその一環だった。
徐々に押されていく国王側が城に立てこもると、公爵側は城を包囲する。戦いは膠着するかと思われたが、公爵側は城内に手勢を送り込んで内側から食い破った。
「さすがだな。お陰で早くけりがついた」
支援のために軍を率いてきていたベリアルは、傍らにいるアマンダを労った。こうした場に王太子妃がいるなど異常な光景だが、城攻めに際しアマンダの持つ知識を利用するために連れてきていたのだ。
王妃教育の一環として、城内の構造や抜け道などの極秘情報も含まれており、アマンダは前線でそれらを的確に指示して、時に城内への侵攻ルートを作成し、時に退路を断ち、と活躍を見せた。
王や王妃、ウイリアム王子、キャンディらは、二手に分かれて抜け道を使い脱出しようとしたが、出口で張っていた兵に捕らえられた。
「卑怯者! 祖国を売り渡したか、売国奴め!」
首実検の際、ウイリアムは罵声を飛ばしたが、ベリアルもアマンダも聞き流した。
ウイリアムがアマンダを手放したのが原因──自業自得であることを突っ込んでくれる親切な者はいない。
王、王妃、ウイリアムは、王位の委譲の後、毒杯を与えられた。
一方、キャンディは牢に入れられ、数日後にひっそりと処刑された。
牢には毎夜兵が訪れていたという。
その後、王位はヤーマン公爵が継ぎ、アマンダの産んだ第2王女が王子に嫁いだことで、王国は名実ともにバイカン帝国の属国となった。