22時00分
タバコの味を覚える前から、この仕事をやっていた。
一年に一度、当たり前のように昇る太陽を恨む夜、俺は毎回、家の鴨居を見ては考える。あそこにぶら下がったまま朝を迎えれば、朝日の温もりがこの場所を温めるより先に、冷たくなれるのではないだろうかと。
たった一瞬、ほんの一瞬の安寧と、自分の命。差し出すものはそれだけでいい。
それなのに俺は相も変わらず、このクソッタレのような命が惜しいのだ。積み重ねられた屍の上に立つこの命、この生涯を、いつまで経っても捨てられないままに日々を紡ぎ、今年も俺はここに立っている。
そうしてこの因習をまた一年、生き延びさせるのだ。
開いた小屋の扉の向こう、月明かりに照らされたそいつは、大して興味もなさそうな目で俺を見つめている。
その目はちょうど、今晩の満月から降り注ぐ光の冷たさと同じ雰囲気を宿していた。
「お前は人柱になった」
「人柱……」
スマートフォンが普及し、横文字が飛び交う現代日本においてはまず口にされないようなその言葉を、そいつは口の中で転がして、それからゆっくりと意味を咀嚼する。
人柱、即ち生贄。
村に古くから伝わる因習の犠牲者は、若さの象徴たるセーラー服を身に纏っており、タイツに包まれた細い足は、この場で俺を蹴り飛ばすにはあまりに不十分だった。
村の平和を祈る儀式の前夜、生贄が最後の晩を過ごすこの小屋に来るたび、いつも思う。どうかこの小屋の中にいるのは屈強な大男で、俺もろともこの因習をねじ曲げてくれる存在であってくれと。
しかし、なけなしの期待を胸にこの小屋を訪れた俺を迎えるのは、いつだってこいつのような捧げ甲斐のない生贄ばかり。
自分たちが捧げられないのをいいことにのうのうと生きている村の重鎮たち、そして俺に対して湧き上がる怒りを飲み込みながら、平静を装って言葉を放った。
「……誰も村の風習には逆らえない。今世は運がなかったと思って諦め……」
「ほほう、癸でも丙でもなく柱スタートとはなかなかチート設定ですね」
「……その柱じゃねぇよ」
もしや人柱の意味を理解していないのかという考えが頭を掠めるが、次の瞬間にはその考えさえも薙ぎ払われた。
「人の呼吸 壱の型……生贄!」
「お前図太いな?」
村の平和を祈る儀式の前夜、生贄が最後の晩を過ごすこの小屋に来るたび、確かに俺は願っていた。どうかこの小屋の中にいるのは屈強な大男で、俺もろともこの因習をねじ曲げてくれる存在であってくれと。
しかし、こんな見た目だけは可愛らしい少女の口から屈強な男顔負けの図太い発言が飛び出すなど誰が予想できただろうか。
少なくとも俺はたとえ世界がひっくり返ったとしてもこのパターンだけは予想できなかった。
だが同時に、こいつの予想外な言動に対し、心のどこかで期待する気持ちがあったことも確かな事実だろう。
これは、あるつまらない儀式前夜の記憶。
或いはクソッタレな俺の世界を、一人の生贄が丸ごとひっくり返すまでの物語だ。