牢からの脱出
「…あの、あのね。外に、ヴェータを待ってる人がいるんだ。ミコトっていう…、神の遣いなんだって。…その人が、ヴェータを助けようとしてるんだよ」
泣きじゃくる私に、優しく労わるような、けれど必死な声がかけられる。
身振り手振りの度に揺れる円形のピアス。
黒々とした目には、私につられているのか動揺しているのか、うっすら膜が張って潤んでいた。
「…神の遣いが……、神様がだよ。ヴェータがここから出れば、未来が変わるんだって。…僕たち小人族も、状況が改善されるって、言ってたんだ…」
神の遣い。
神様の言葉を伝える人が、そう述べた。
神様という存在は、いつも心の片隅にいるような、私にとっては身近な存在だった。
長く子どもが出来なかった父さんと母さんが私を拾ったのは、神様に祈ったからだと言った。
子どもができるよう毎日お願いしていたある日、私を見つけたのだと。
父さんと母さんはその後も毎日欠かさず、神様に感謝の祈りを捧げていた。
幼い私はそれを真似して、物心つく頃には習慣になっていた。
寄宿学校に入って祈りの所作を覚えてからは、神様の存在を強く実感するようになった。
なんと言えばいいかはわからない。
とにかく“いる”ことを感じたのだ。
交信者として祈りを捧げるときにももちろん神様を感じている。
私にとって神様は、少し離れたところで見守ってくれている、常に共にいた存在なのだ。
そんな神様の、言葉。
「……私が出たら、状況は良くなるの?」
「…うん。…うんっ。ミコト、言ってたよ。ヴェータを助けたら、他の人も助けに行くって。ヴェータを助けることが、未来を良くする必須事項なんだって」
私が助かることが、必須事項。
このまま捕らえられていても、状況は変わらない。
大切な人たちを助けることもできない。
いや、このままだとむしろ状況は悪くなるかもしれない。
ここに捕らえられて10日以上が経った。
時間が経つほどに、捕らえられていく私の知り合いも増えている。
苦しませる人の数が増えている。
なら、神様の言葉に縋って行動した方が、まだ希望があるのかもしれない。
改めて、秘密の抜け道や兵士の警備について記された紙を見る。
拙い線で描かれた図と、なだらかな線で綴られた文字。
統一性のなさが不安を刺激するけれど、神様の言葉ならば信じられる。
「わかりました。この紙に従って抜け出します」
涙をぬぐってそう言った。
布に包まれた石を掴んで、覚悟を決める。
私が抜け出す意思を固めたことで、ラピスィは小窓から外へと戻っていった。
移動する人数が増えれば、兵士に見つかる可能性が増すからだ。
1人での脱出は心細さがあるけれど、神様が付いてくれている。
うまく事が運ぶと信じよう。
移動しながら細かく確認することは難しいだろうから、最後にもう一度紙の内容を確認しておく。
塔の出入口を警備する兵士は、居なくなるように手回ししてあるらしい。
そこを抜けたら柱の陰に隠れつつ移動し、抜け道に入る。
抜け道は一本道にはなっておらず入り組んでいるため、注意するようにと書いてある。
通常は人が通らない、有事の際に使われる抜け道。
灯りなどもなく中は暗い。
途中で燭台を拝借した方がいい、とも注意書きがある。
灯りは手に入れることができるだろうか。
胸に手を当てると、飛び出そうなほどに心臓が騒いでいる。
深く息を吸って少しでも心臓を落ち着けてから、錠に石を打ち付けた。
おっかなびっくり打ち付けた石でも、錠が軽く歪む。
くるまれた布のおかげで思ったよりも音が出なかったため、より強く、二度三度と打ち付けて錠を壊す。
壊れた錠が落ちた音に、心臓が胸から突き破って出てくるかと思ったけれど、見張りの兵士が来ることはなかった。
驚きで止まっていた息を吐き、ゆっくりと鉄格子の扉を開ける。
扉の動きに連動して、擦れて鳴り響く金属音。
今にも兵士が駆けつけてきそうな気がして、心臓が早鐘を打つ。
体を滑り込ませられるだけの幅を開けて、閉じ込められていた牢から外に出る。
自分の呼吸が、足音が、衣ずれの音が、酷く大きい音に聞こえた。
落ち着いて。
まだ牢の外に出ただけだ。
塔の出入口へと目を向ける。
牢の中からだと死角となる出入口には、兵士の姿は無かった。
息をひそめて、数秒耳を研ぎ澄ましてみる。
戻ってくる気配は無さそうだと判断して、意を決して塔から飛び出した。
今にも後ろから誰かが追いかけてきそうで怖い。
兵士が見ていなくて安全だという紙の言葉を信じて、その区間を走り抜ける。
安全な区間が終わる手前で、窪みに収まって一旦止まった。
息を整えつつ、そろりと奥を覗く。
右側には、兵士が一人。
左側には誰もいないようだ。
紙に書いてあったとおりの状況。
壁に付けられた燭台の灯を使って、紙の内容を一瞥する。
あの兵士が警備しているのは主に右側。
左側を見ることはない。
左側は数時間に一度、奥から兵士が見回りに来るそうだ。
足音に気を付けて、物陰に隠れながら進めばばれずに行けるという。
もう一度顔を出して、右側の兵士を伺う。
直立したままは疲れるからだろう、時折片足に重心をかけたりしているけれど、こちらを振り向く気配はない。
前を見据えたまま、顔は動かない。
静かに、足音に気を付けて静かに、移動する。
柱などの陰に隠れながら、少しずつ。
後ろの兵士に気づかれませんように。
前から兵士が来ませんように。
逸る気持ちを抑えて慎重に、けれど速やかに。
分かれた通路を右に曲がり、物陰に隠れて足を止めた。
小さく呼吸を繰り返す。
水分が全部どこかに蒸発してしまったみたいに、口の中が乾く。
大丈夫。
大丈夫。
兵士には気づかれていない。
隠れたまま周りを見回していると、靴音が聞こえてきて心臓が飛び跳ねる。
靴音は少しずつ大きくなる。
こっちに近づいてきている。




