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作者: よしお

旅行に行くと決まると、心が躍った。


旅行と言っても、子どもの頃に行った祖母の家も旅行と思ってたし、中学の時の修学旅行もそうだ。心踊らせたのは、観光名所や温泉旅館の豪華な食事だけではなかった。


朝起きたときの陽光、行きの列車に乗り込む前に選ぶ駅弁、車窓からの景色、通過する馴染みのない駅、また、どこかの駅で売ってる冷凍みかんを、列車の停止中に急いで買ったりすることなどを想像する。


ただ、現実、それをそのまま体験して、真の大満足を得るはずであるが、それがそうにはならない。楽しそうに振る舞いはするが、実のところ、どこか醒めていた気がする。


あんまり、楽しみにしすぎるからかもしれない。実際はそれほど期待しなくてもいいのかもしれないけれど、どちらかというと、学校の勉強が休みになるという前提があり、その上に、旅行という楽しみがついてくるので、必要以上に期待してるのかもしれない。


別の考えもある。幸せ感度、で分析。


例えば、僕らの耳、音の力は、dBで感じる。デジベルと読みます。10倍の音エネルギーだったら2倍、100倍のエネルギーだったら3倍の大きさにしか聞こえないそうだ。


同じく、幸せは、簡単に3倍にはならない。人間の幸せエネルギーを仮に貰える報酬としましょう。貰える報酬が10倍なら2倍の喜びで、100倍なら3倍の喜びになると。100倍の報酬だったら、飛び上がりますけど、実際は幸福度は3倍、言っても飛び上がる程度なんだろう。。旅行で、ほんとに楽しもうと醒めないように必死になって、相当嬉しいエネルギーをもらってるはずだけど、感度がこんなものだから、仕方ない。だって、さすがに、旅行でも10倍の報酬があるわけじゃないものね。


でも、この鈍感のおかげで僕は生きてることに納得し、慰められる。知人の死、自分への存在意義の否定、蓄積されたトラウマに耐えられているかもしれない。1000倍の不幸エネルギーでも、3倍の不幸にしか感じない。


否、想像の力は実は無限なんだろうから、これは当てはまらないかもしれない。脳内では1000倍のエネルギーを受けたことを想像できる。ある意味、事前に過度に期待して、とても幸せになれるのかも。旅行は行く前にするものなのかもしれません。

皆さんは、不幸を脳内で増幅してませんか。幸福を想像して膨らまし、不幸は闇に葬りましょう。脳内は自由だから。


僕は、今日も誰も不可侵な幸福な妄想の世界に逃避行(旅)する。


終わり

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