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日露大戦  作者: 登録情報はありません
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最終回

アフリカでの植民地蜂起は留まる事を知らなかった。この民族蜂起の余波は世界大戦を誘因した。

1907年アフリカである事件が発生する。

タンザニアで勃発したマジ・マジ反乱だ。


霊媒師キンジキティレが蛇神ボケロの神託を受け屹立。

植民地のドイツ人に対して反乱を起こした。


神から与えられた神御衣(カンミソ)神杖(カッカラ)神盾(アイギス)が巡礼者に与えられた。

タンザニアでは王族より霊媒師のほうが地位は高いのだ。


日本がかねてより支援していた装備で全部すり替えてある。

防弾服(ボディアーマー)とライフル銃、拳銃防弾盾である事は言うまでもなかった。


防弾服(ボディアーマー)はクモの巣状に編み込まれた4層の繊維層が銃弾を受け止める。

黒色火薬を用いた初速の低いドイツ植民地兵の銃には充分な効果がある。


ライフルは普通の5連発ライフル(銃剣付き)だ。

日本はこの反乱に乗じて革命を起こす事に決めたのだ。


綿花摘みの奴隷同様の生活を送っていた農民は2週間の教練を受けた。

その教師は日本人で7人いた。


かれらがそれぞれ、射撃姿勢(伏せ撃ち、膝撃ち、座り撃ち)を教練した。


日本人教官「伏せ撃ちはこうや!」

「膝撃ちはこうや!」「座り撃ちはこうや!」


ちょっと関西弁の混じった人情味のある7人の教官だった。

彼らはバックアップ用に複数の拳銃を携帯する事も教えた。


近接戦闘では両手打ちのライフル銃は使えない。

リボルバー拳銃と盾で敵を火力制圧するのだ。


教わった者ががまた他の多くを教練し、習った者がまた教える。

反乱軍の規模はおおよそ30万人に膨れ上がっていた。


こうして遂にマジ・マジ反乱が勃発した。

まずイリンガ州都イリンガを占拠した。


400人の警察官や1000人の警備隊では話にならない。

植民地は直ちに本国ドイツに増援を依頼した。


怒り狂ったドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は直ちに巡洋艦隊を派遣。

6000人の正規陸軍部隊が最新兵器と供に上陸した。


機関銃、野砲と次々に陸揚げされ、配置につく。

街の周りに塹壕が掘られ、堡塁には機関銃や野砲が備え付けられた。


さながら旅順要塞の構えである。

ここに白刃突撃すれば、あっという間に反乱軍は全滅だ。


機関銃の十字砲火でハチの巣にされるのがオチだ。

反乱軍「じゃあ、戦わないぞ」


突然、反乱軍は兵糧攻めに作戦を変更した。

ただ突進するだけではない、戦術も叩き込まれていた。


浄水施設に唐辛子を投げ込み、食糧倉庫に放火した。

たちまちドイツ人は飲み食いに窮した。


ドイツ人A「水が辛くて飲めない」

ドイツ人B「マスタードでもなし、なんだコレ?」

ドイツ人C「ラッシーをくれ」


ドイツ人は飲み水と食料を絶たれ、あっという間に降伏した。

イリンガに続いてマヘンゲ、モロゴロ、リワレと陥落した。


ついにドイツはタンザニアを手放す事に決めた。

植民地ではなく信託統治に退いたのだ。


原住民をはんば強制的に使役していた事をドイツは認めた。


なお施政権国はドイツ、日本、シベリアである。

ドイツ皇帝はニコライ二世には一目置いていた。


ヴィルヘルム2世とニコライ二世とは義理の従兄弟だったのだ。

伯母の連れ合いの甥の関係だった。


ハヤ族、ルアンダ王国、ブルンジ王国は中央集権制度を持つ部族であった。

この近代的政治形式があったからこそ、日本は介入を決めた。


この首長制度による内政制度を受け継いでの建国だ。

タンザニアは信託統治国としてスタートした。


やがて属領の地位から独立国家となるまでの辛抱だ。

一足飛びに独立しても、国家体制が追い付かない。


経済開発が圧倒的に遅れていた内陸部。

ここに鉄道を通し、流通を活性化させた。


経済発展は流通手段に依存する。

そのため、鉄路は全国津々浦々にまで達した。


港湾都市タンガにはクレーン、倉庫、貨車操車場が設けられた。

貨物船が接岸する埠頭(ヤード)も作られた。


その結果、首都ダル・スラームは20万人の大都市に成長した。

この形態が全熱帯アフリカの模範都市となった。


施政権国の収入は税収入である。

それはタンザニアの国家税収入の34%にも及んだ。


1908年南アフリカでバンバタの反乱が起こる。

1907年マジ・マジ反乱の成功を見て、蜂起したのだ。


彼らもまた伝統的武装で戦いを挑んだ、ように見えた。


黒地に七色の糸で刺繍した美しい戦闘用衣装はボディアーマーだ。

伝統的な槍に変わって5連装ライフル(銃剣付き)。

牛革で出来た盾に見える拳銃防弾盾。


彼らは日本軍が旅順攻略で使用しなかった塹壕掘削機(カルチベーター)を使った。


植民地軍は前のズールー戦争より強力な機関銃と野砲で武装している。

かつての反乱軍の武装は伝統衣装に槍と牛革の盾だったのを覚えていた。


これでは、機関銃の前では裸同然だった、ように見えた。

機関銃座で兵隊が話し合っていた。


植民地兵「どうせ今度も八つ裂きで穴だらけだ」

植民地兵「原住民はいつまで経っても進歩しないな」

植民地兵「楽勝だよ!今度はこっちに機関銃があるからな!」


だが反乱軍はちっとも白刃突撃をかけてこない。

それよりも謎の騒音が植民地兵を悩ませていた。


それは塹壕掘削機(カルチベーター)の掘削音だった。

塹壕掘削機(カルチベーター)は時速1km/hで塹壕を掘る事が出来る。


10km先から1晩で陣地の目の前まで塹壕が掘られていた。

早朝に塹壕からワラワラと反乱軍が飛び出してくる。


植民地兵A「夜半にうるさいと思ったらコイツだったのか!」

植民地兵B「陣地内で機関銃は使えんぞ!」

植民地兵C「拳銃だ!拳銃で応戦しろ!」


だがボディアーマーと拳銃防弾盾に妨げられ、大乱闘となった。

双方ともリボルバーの弾丸はすべて撃ち尽くした。


もはや火器では戦えない、刀剣あるのみだ。

サーベル軍刀術と銃剣術が至近距離で炸裂した。


反乱軍は日本人師範により銃剣道を叩き込まれていた。

日本伝統の槍術と剣術を元にした独自のものだ。


ズールーは戦士であり、言葉を越えて通じるモノがあったのだろう。

またたく間に体得して、自分のモノにしてしまった。


日本人師範は接近戦の短刀術も心得ていた。

これは日本独自の小太刀術を元にしたものだ。


ズールーには首を取る為の組討(くみうち)が有った。

これは日本戦国時代の組討と同じ武芸である。


ズールー「Ngiyabongaンギヤボンガ

日本人「どういたしまして」


銃剣術、小太刀術とズールーが使い分けた為、一方的な戦いとなった。

後の世で「黒いサムライ」と言われる所以である。


首謀者バンバタ「逃げる者は追うな、放っておけ!」

ナタールの反乱はとうとう首都ケープタウンになだれ込んだ。


この時インドのマハトマ・ガンジーがケープタウンにいた。

彼は英国弁護士であったが、風体から黒人扱いされ差別された。


植民地兵「このズールーの手先が変装しやがって!」

ガンジー「私はインドのアルフレッドハイスクール出の法廷弁護士ですぞ」


植民地兵「なにを!」

彼は腰のホルスターから銃を抜いた。


ガンジー「先の先!」

とっさに手刀で喉の急所に貫手(ぬきて)を放った。


ドズンッ!

鈍い音が響く。


植民地兵は倒れ込み、動かなくなった。

ガンジー「日本人の空手道場に通っていて良かったよ」


ガンジーは米を入れた(かめ)でひたすら鍛錬を繰り返していた。

危険なので、人に使う事は固く禁じられていた。


この事がきっかけで、ガンジーは無抵抗主義を捨て去った。

武闘派マハトマ・ガンジーの誕生である。


後日語った「握り拳と握手はできない」は名言だ。

インドは武力によって早期独立を果たす。


戦闘国家インド帝国の誕生だ。

1940年、印独伊の三国同盟が結ばれる。


ナチス党員はインド人をアーリアンだと信じていた。

だがそれはまた別の物語になる。


植民地ケープは信託統治の南ア連邦となった。

英国、シベリア、日本が施政権国である。


1907年独領南西アフリカ(現ナミビア)にてヘテロ・ナマクア人が蜂起する。

彼らもまた首都ウイントフックになだれ込んだ。


もう止まらない。

植民地は雪崩を打って革命・反乱・蜂起をし始めた。


その影には日本の諜報活動と援助があった。

シベリア秘密警察ヴァーチェーカーの西欧牽制があった。


この2つのエンジンが世界を変えていった。

日露大戦の結果誕生した大日露帝国が地球を変えていくだろう。


この民族運動のうねりはバルカン半島の民族運動に引火した。

特にセルビアはフランスの支援を受け増長していた。


これに対抗するためオーストリアはドイツの支援を受けた。

セルビアvsオーストリアの局地戦争ならすぐ決着が付く。


相互に牽制して、局地戦に終わるはずだった代理戦争。

それが列強同士の大戦争へと発展した。


その原因は列強間の帝国主義の「列強維持」の考え方にあった。

列強諸国が国際秩序という体制を維持する。


そういった列強による世界政策という考え方である。

こうした中、第3次バルカン戦争は勃発した。


バルカン半島に列強が介入し、列強同士の戦闘となった。

第3次バルカン戦争は第一次世界大戦と呼ばれ、前者は忘れ去られた。


1890年代から西欧では「ベルエポック」という爛熟期を迎えていた。

短期の戦争を除いて、西欧は平和で楽観的な「良き時代」が続いた。


人々は近代化の成ったヨーロッパ文明に信頼と自信を誇っていた。


ロマンチックな戦争像も生まれていた。

戦争は「平凡な日常からの絶好の脱出の機会」というわけである。


開戦は列強の皇帝や政府の一存で宣戦布告が行われた。

いわゆる「内閣戦争」である。


市民は熱狂的に皇帝への歓呼を繰り返した。

列強の大都市では、市民層の青年たちが志願兵申し込みに殺到した。


しかし農村では収穫期の人出が徴兵される心配をしていた。

農民や下層民は明日のメシのほうが心配だった。


日本、ロシア、シベリア、トルコ、ブルガリア、英国。

そしてアフリカの信託統治国は中立を宣言した。


これは武装中立で、平和を謳ったものではない。

軍事力で国境線を守る意味であった。


世界帝国となった彼らにとってこれはヨーロッパ紛争だった。

日本「西欧の事は西欧で片付けなさい」


長く続いた平和のために、人々は戦争の厳しさを忘れていた。

大多数は「クリスマスには帰れる」と踏んでいた。


若者は理性と秩序の時代を幸福に過ごしてきた。

列強同士は世界秩序の安定のため、局地戦になるだけだ。


「謝罪と譲歩により、妥協が生まれ、すぐ終戦を迎える」


だが諸列強の思惑は外れ、調停は行われず、戦闘は長引いていった。

大戦争は総力戦となり、4年間も続くのだった。


そして4年後。

双方とも総力戦の結果、ヨーロッパはボロボロになっていた。


国民は1日1000kcalの配給食料制で痩せ細っていた。

産業は熟練工が戦死して、行き詰まっていた。


もう誰も戦争を起こした帝政を支持する者はいない。

列強支配の国際関係が大戦のキッカケとなった事は皆が知っていた。


対等な国家からなる、国民による国家が望まれた。

帝国から国民国家への変遷が進んだ。


世界は多くの新興国国家で溢れた。

民族自決権が認められ、多くの国家が生まれたのだ。


ここに来てようやく日本はアフリカの信託統治国から手を離した。

世界が自発的に民族自決権を認める時代を待っていたのだ。


世界は多大な損失を払った。

そうしなければ分からなかった。


アフリカ諸国も大戦の4年の間に建国に必要な時間をもらった。

国民の自覚、国家の凝集力、統合力などを培う事が出来た。


アフリカは後にUSA(United States of Africa)を名乗る。

55の独立国家のあるアフリカは連合を組んでもよかった。


だが多民族国家ゆえの軋轢(あつれき)は予想以上だった。

民族同士の内乱の兆しは常に存在した。


大統領が君臨して統率する以外納める方法はなかった。

各国は各州となり、アフリガ合衆国となった。


伝統を重んじながらも殖産興業を目指す日本式を目指す。

後に55州を擁する全世界に君臨する巨大国家となる。


だがこれはまた別の話になる。

今回で最終回です。読んでくれてありがとう御座いました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 投稿お疲れ様でした。楽しい物語をありがとうございました。 [気になる点] アフリカ合衆国+ロシア+日本+中東+東南アジアとは間違いなく世界を牽引する陣営になるでしょうね。 …印独伊三国同…
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