1907年皇太子アレクセイ
皇太子アレクセイは血友病だった。これを完治させる方法はなく、発症を抑える手段は唯一「血漿の定期補充療法」のみであった。
アレクセイ・ニコラエヴィチはロシア皇太子である。
ニコライ二世の第1皇子であり、帝国の次世代皇帝だ。
先天的に遺伝的血友病患者、生まれながらの血友病であった。
これは皇后アレクサンドラの家系に遺伝的にもたらされた。
ヴィクトリア女王の二女アリスの娘アリックスを通じて齎された。
血友病はX染色体の劣性によって起こる。
すでに遺伝の法則は、メンデルの法則によって明らかにされていた。
XXを持つ女性はXが2つあり、1つがダメでももう1つが補完できる。
XYを持つ男子はXが1つしかなく、1つがダメだと代わりがない。
ゆえにほとんどの発症は男子に発現している。
アレクセイ皇太子は男子であった。
先天的に血友病を母方から受け継いで生まれた。
症状は血が固まらず、出血がとまらないことだった。
そのために絶対にケガをしてはならなかった。
歯磨きで歯茎から出血してもいけないのだ。
アレクセイは赤子の頃から消炎鎮痛剤アスピリンを使用していた。
アスピリンは抗血小板薬で、血をサラサラにして血友病を悪化させる。
それは当時ロシアでは知られていなかった。
ニコライ二世が従者と供に捕虜となった時、日本の医師が止めさせた。
血が止まらないのは血液に凝固の仕組みが欠けているからだ。
1819年英国のゴードンR.ウォードが発見した。
日本でも研究が進められたが原因が分からない。
血が止まらないとはどういう事なのか?
血管で出血があると、血小板が集まってきて穴を塞ぐ。
血小板を糊で固める役目が凝固因子だ。
これには約12種類あることが後日判明している。
治験は当時の技術では簡単ではなかった。
フェーズ(相)も確定していない時代だ。
物理化学研究:ここで理論的に化学反応を確定する。
動物実験研究:薬理を動的に研究して効能を立証する。
臨床試験:3つのフェーズ(相)に分かれる。
第1フェーズ:健康な成人に投与して様子を見る。
第2フェーズ:少人数の患者で効果(有効性)を見る。
第3フェーズ:多数の患者で「二重盲検法」で効果を見る。
今ではこうやって段階を経て、薬効を確実に実証する。
だが当時はいきなり処方し、人体実験のような有様であった。
血液を常温で静置すると赤と黄色の液体に分かれる。
赤が赤血球で、黄色が血漿になる。
血漿のほうに血液凝固の物質があるらしい事が分かった。
遠心分離機で赤血球と血漿を分離する。
健常者の血漿の沈殿物を血友病患者の血液に混ぜると凝固した。
凝固因子が補填されて、正常な血液凝固が見られた。
これを輸液すると健常者と同じになれるのだ。
この方法は「不足している凝固因子」を生涯補充する羽目になる。
それでも血友病の唯一の治療法であった。
血漿沈殿物を一定間隔で静注する定期補充療法が開発された。
日本血液製剤協会は新たな療法を使う事に躊躇した。
黄色人種は白人より劣るという黄禍論、人種差別だ。
西欧は独仏露と黄禍論に染まっていたのだ。
ニコライ二世は方法より人種に懐疑的だろう。
日本血液製剤協会はロシア人捕虜の軍医たちを招集した。
日本「一芝居打ってくれんか」
ロシア軍医「う~ん、やってみましょう」
アレクセイ皇太子の血友病定期検診の日がやって来た。
全身くまなく検査し、内出血がないか調べる。
採尿検便もして、消化管からの出血の有無も診断する。
軍医「陛下、関節内の出血が炎症を起こしています」
「腸骨筋出血による神経の痺れを訴えておいでです」
ニコライ二世「それは幼い頃からの宿業である」
「それを治癒する事はラスプーチンとて叶わなかった」
怪僧ラスプーチンは解雇されてロシアのどこかにいる。
新興宗教の教祖に居座ってよろしくやっているようだ。
軍医「英国で血液製剤が開発され、日本人が入手しています」
「お使いしてよろしいでしょうか」
ニコライ二世「どういうことなのだ」
軍医「血液凝固因子を静注して症状を緩和します」
アレクセイ皇太子「先生、やってみてください」
ニコライ二世「よかろう、やってみせよ」
補充療法はすぐには効果がないので経時的に診ることになった。
この治療法によってみるみるアレクセイ皇太子は復活した。
庭を走り回り、ハナクソをほじっているアレクセイ皇太子。
歩いただけで内出血、鼻をほじれば鼻血だったのがウソのようだ。
アレクセイ皇太子は叫んだ。
「アチェーツ、治ったよ!」「マーツィ!こんなに元気!」
飛び跳ねれば関節内出血、頭をぶつけて頭蓋内出血。
目をこすれば出血、歯磨きも出血の悪夢は去ったのだ。
完治はしないので、適切なQOL管理は今後も必要だ。
だがそれは悪夢のような以前とは違う生活だった。
ニコライ二世は日本血液製剤協会に礼を言った。
ニコライ二世「ありがとう、本当にありがとう」
血液製剤協会「ええ、バレてたんですか、さすがプロですな」
ニコライ二世は満面の笑顔で答えた。
反乱が一番怖いロシアでは、自軍に間諜が忍ばせてある。
軍医はどんな地位の兵士も、許可無しに診る事が出来る。
将軍でも一兵卒でもどちらにでもだ。
医師全員がスパイだったのだ。
医師は誰にでも処方箋を施す事が出来る。
必要な情報は自白剤で得られるのだ。
自白剤には催眠鎮静剤を用いる。
持続静脈内投与により催眠状態に陥る。
前向性健忘作用があり、何を喋ったかを忘れさせる事が出来る。
鎮静剤は1805年にドイツの薬剤師フリードリヒ・ゼルチュルナーが発見した。
以後100年に渡り改良され、1903年ついにバルビツール酸系に行き着いた。
ドイツの化学者エミール・フィッシャーがバルビタールの合成に成功。
こうして拷問による自白は古代に消え去った。
どんな苦痛にも耐えられる猛者も、薬の作用には勝てない。
皇帝も后妃も日本人に大変な恩義を感じていた。
捕虜として松山にいるが、それを全く感じさせない。
アレクセイ皇太子「日本の皆さんには感謝の言葉も有りません」
「ありがとう、ほんとうにありがとう」
1907年全国を巡幸されていた日本の皇太子明宮嘉仁親王。
その皇太子が「たっての願い」という事で松山にやってきた。
アレクセイ皇太子の平癒を祝うためだという。
明宮嘉仁親王「快気をお祝い申し上げます」
アレクセイ皇太子「ありがとうございます」
「あなたもキレーション療法をしておられるとか」
嘉仁「侍医によると慢性鉛中毒の解毒治療という事です」
明宮嘉仁親王(後の大正天皇)は脳膜炎の後遺症に悩まされていた。
宮中の生母が使用していた化粧用鉛白による慢性鉛中毒だ。
生母の化粧が、大正天皇の身体を生まれる前から鉛中毒にしていた。
亜鉛や銅の蓄積(ウイルソン病)は、おいそれとは治らない疾患だった。
ドイツのフェルディナンド・ミュンツが研究し、解毒剤を発明した。
エチレンジアミノ四酢酸が最初の発見物だった。
重金属とキレート錯体を形成(キレート結合)し、体外に排出する。
大正天皇の鉛由来の脳膜炎は極めて重症だった。
経口摂取と静注の両方の治療で、解毒治療を行っていた。
PbBが70μg/dLもあり、キレート化が必要だったのだ。
鉛排出には長い治療期間が必要だった。
だが経過は良好で、脳膜炎の症状は消え去った。
腎臓、肝臓も健常を取り戻した。
大正天皇は治療のおかげで長命、1963年84歳で崩御する。
そのため大正52年が昭和元年というとんでもない長さだった。
ロシアと日本の皇太子同士の友好はその後も長く続いた。
次回は1907年穏健派スターリンです。




