1907年帝国の崩壊
全世界は日露大戦の結果に驚愕した。日本は負けるが、ロシアに手痛い辛勝を与え、アジア侵略から手を引くだろう。局地戦に終わると考えていたのだ。
全世界は、日露大戦の行く末を注視していた。
局地戦のハズがどんどん戦禍が広がっていく。
西欧A「おいおい、どうなってんだよコレ」
西欧B「ロシアの圧勝じゃないのかよ」
西欧C「ひょっとして世界大戦になるのか?」
そして日本はとうとう皇帝ニコライ二世を捕虜にしてしまった。
全世界は驚愕した、こんな筈ではなかったのだ。
ポーランド「コイツはイイ機会じゃあないか」
ポーランド立憲王国はニコライ二世が国家元首を兼任していた。
日露大戦でも徴兵され、ロシア軍の一員として日本と戦っっていた。
ニコライ二世が日本の虜囚となり、事実上の退位となった。
国家元首たるポーランド王の座は空席となった。
この隙にポーランドの独立を取り戻せ!
ここで白羽の矢が立ったのはユゼフ・ピウスツキであった。
彼は1904年に日本を訪問、ポーランド独立のための援助を請うた。
だがすでにロマン・ドモフスキが日本で同じ事をやっていた。
ビウスツキは社会党、ドモフスキは国民連盟で派閥が違う。
彼らは東京で会議を持ち、9時間に渡って激論を戦わせた。
その結果、主義は違えど志は同じと意気投合。
日露大戦の結果を待って、行動を起こすことを決意。
空位となった王座は継承せず、共和国として国家元首を奉じる。
ユゼフ・ピウスツキが初代国家元首の座に着いた。
イルクーツクに島流しとなっていた貴族たち十数万人が帰国した。
ロシアの頸木が解き放たれ、寡頭共和制ながらも統率が戻ってきた。
寡頭共和制はしかしすでに時代遅れだった。
近代共和制を訴える声が人民から上がり、貴族は拒否した。
人民と貴族らの軋轢はやがてクーデターを起こす事になる。
ピウスツキとドモフスキの対立が原因だが、これはまた別の話だ。
ついに皇帝不在のスキを突いてポーランドは独立!
ここにポーランド共和国が建国されたのだ。
日本を助けたタタール人たちは、日本の援助で建国を実現した。
タタールスタン共和国だ。
ミールサイト・スルタンガリエフが初代大統領となった。
この趨勢に乗じてバシキール人の決起も日本の援助で行われた。
バシコルトスタン共和国だ。
ゼキ・ヴェリディ・トガンが初代大統領となった。
レーニン「何?ニコライ二世不在だと?しめた!」
スイスで移動中に報を聞いたレーニンは、ただちに帰国した。
明石元二郎「ワレワレがサポートしますよ」
革命家レーニンは、日本間諜の明石元二郎とともに、臨時政府を失脚させる。
告発、逃亡劇、潜伏、発起、扇動、演説、そして支持獲得、遂に政権掌握etc。
その丁々発止ぶり。
レーニンはまさしく革命家レーニンであった。
その過程は危険な駆け引きの連続であった。
そしてレーニンはまるで命のやり取りを楽しんでいるかのようだ。
メキシコに亡命していたトロツキーもすでに帰国していた。
そしてここに穏健派のスターリンも加わっていた。
スターリンはレーニンとはすぐに意気投合した。
しかし寡黙なトロツキーとはソリが合わなかった。
レーニンは平穏を装っていたが、スターリンを使えないヤツだと思っていた。
石橋を叩いて渡るその慎重な態度に苛立ちを隠せないでいた。
専制君主主義を根絶やしにして社会主義を成功させるにはどうすればよいか?
レーニンはニコライ二世、家族、従者をもろともに暗殺するつもりだった。
二度と帝政を復活させない方法はたった1つ。
その血脈を根絶やしにするほかない。
だが、彼らは日本の松山で厳重な監視下にあった。
レーニン「明石元二郎を使うか・・・・・・」
明石元二郎は伊藤博文暗殺を企てているという情報がはいっていた。
レーニン「いや、やつは怜悧狡猾、信用はできん」
レーニンは明石元二郎の心の内を量っているのではない。
いわば鏡に映った自分の姿をみて恐れているのだった。
日露大戦は継続していたが、戦闘は休止状態だった。
日本軍はモスクワで停止していた。
日本軍はサンクトペテルブルクに進撃する事も可能だった。
だがそれはロシア滅亡を意味する。
カール・フォン・クラウゼヴィッツは戦争を外交の1種と見なした。
西欧を牽制してきたロシアが滅亡すればどうなるか?
権益を求め、各国がロシアに押し寄せる。
欧州全体を押しとどめる力は今度こそ日本にはない。
ロシアには生き残ってもらわねばならないのだ。
その機会はもうすぐやってくると明治政府は見ていた。
革命家たちは自分から折れてくるだろう。
レーニンは社会主義国家樹立を目指している。
彼がもうすぐ新国家の首長になる事は分かっていた。
明石元二郎が彼をバックアップしていたからだ。
評議会はロシア全軍の支持を掌握、憲法制定議会を招集。
権力闘争の末に、ソヴィエト権力が社会主義連邦の設立を宣言した。
レーニン「今は戦争をやっている場合ではない!」
日露大戦をこれ以上継続する事はソヴィエトには不可能だった。
今、ソヴィエトにサンクトペテルブルク本土決戦の余裕はない。
レーニン「講和だ、講和しかない!」
第三国に仲介を頼むべきだろうか?
中立国アメリカに頼めば快諾するだろう。
大統領ローズヴェルトは穏健派だった。
いやダメだ、外交は催眠術のようなものだ。
知らずに他国の理に叶うように従わせられるものだ。
レーニン「日本の伊藤博文に電話をせねばならぬ!」
「直ちに講和会議を招集する!」
伊藤博文は第4次伊藤内閣(~1901)まで総理大臣であった。
今は第1次西園寺内閣で顔ぶれに伊藤はいない。
だが対露宥和政策をとった伊藤博文は、ロシアには都合が良い。
レーニン「秘密交渉には政府関係者よりロシア通が相応しいからな」
レーニン「場所は!」
「シベリア・エカテリンブルクにあるイパチェフ館だ」
ロマノフ朝の創始されたコストロマのイパチェフ館。
それを皮肉って同名の館を指名したつもりだった。
だがそれは偶然にも、とんでもない場所であった。
次回は1907年皇太子アレクセイです。




