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日露大戦  作者: 登録情報はありません
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1906年イルクーツクからオムスクまで

ついに日本軍の進撃が始まった。シベリア鉄道に沿って次々と州都を陥落させていく。クラスノヤルスク、ノヴォシビルスク、そしてオムスク。だがオムスクはコサック本拠地であった。

日本人のバイカル湖湖畔起源説という学説がある。

確かに日本人集団は基本的に北方モンゴロイドに属する民族だ。


断熱材を詰め込んだ装甲指揮車がイルクーツク駅前に止まっている。

その中で第一軍と第四軍司令が会話していた。


黒木為楨(くろきためもと)「ブリヤート人の日本人起源説?」

「それは真面目に捉えて良い物か?」


野津道貫(のづみちつら)「起源は結局分からなかった」

「だが地元との友好は急激に近くなったようだ」


調べていく内にますます妖しくなっていく。

特に食べ物でブーザとシューメンがあやしい。


ブリヤート名物「ブーザ」である。

羊肉をミンチにしてタマネギと和えて小麦粉の皮で包んで蒸す。


日本人「これギョーザだろ」

ブリヤート人「チガウ、チガウ」


ブリヤート名物「シューメン」がある。

羊のダシで作ったスープに茹でた麺が入っている。

麺の太さはちょうど讃岐風細うどんといった感じだ。


日本人「これ肉うどんだろ」

ブリヤート人「チガウ、チガウ」


少なくともアジア料理の範疇(はんちゅう)には入っている感じだ。

旗もなんとなく似ていた。


ブリヤート自治管区旗も緑地に大きな黄色丸なのだ。

しかも「三つ巴」のマーキングまでしてあった。


日本人「これ日の丸だろ」

ブリヤート人「チガウ、チガウ」


あまり「チガウ、チガウ」言っていたブリヤート人。

とうとう「チガウ」という日本語を覚えてしまった。


本当は「Это не правильно(違います)」なのに。

シベリア鉄道の復興は急ピッチで進んでいた。

鉄道敷設車はすでに40台体制で24時間稼働していた。


爆破されたトンネルはNATM工法で大がかりに修復した。

ヒビが入った岩盤をボルトで引き留め、ミルクセメントで固定する。


あとは山の自重でおし固められてしまう。

岩盤自体がアーチ構造になって崩落を防ぐのだ。


破壊された陸橋は木造トラス構造の仮橋で修復した。

木材はいくらでもあった。


鉄路はロシア軍が撤退に際して、徹底的に破壊すると分かっていた。

その為の準備は、シベリア遠征計画に予め準備されていたのだ。


バイカル湖の周辺も接収されて、軍事利用される事となった。

湖畔には飛行場が築かれ、湖は飛行艇の発着場となった。


まだ荒天の多い厳冬期では、航空機の飛行は不可能だ。

だが春になれば、離着陸可能になるはずである。


1906年2月。

イルクーツクとチタ間は単線の復旧工事が完成した。

バイカル湖沿線は急峻な崖が多く、複線化出来なかった。


チタまでの単線は複線化が可能であった。

ここに東清鉄道を経てチタ-ハルピンまでが複線となった。


挿絵(By みてみん)


広軌の1520mmの機関車と貨車が続々と配備されてきた。

シベリア鉄道は広軌なのでそのまま使える。


ハルピン経由旅順の南満州支線鉄道は複線である。

こうして旅順からチタまで複線となった。


チタからイルクーツクまでは単線である。

現在単線箇所を迂回して複線化工事が進んでいる。


かつてロシアは欧州戦線から兵站兵士を大量に極東に送り込んだ。

今回はその逆で大量の兵站兵士を極東からロシアに送り込む。


鉄道線と飛行航路で莫大な兵站が運び込まれた。

イルクーツクはかつてない戦争景気に湧く商業都市となった。


上層部である州知事は「協力も反抗もしない」と言った。

「Proszę mi wybaczyć」

<プロッシェン・ミ・ヴィバチチ>


ポーランド語だった。

イルクーツクはポーランド人がブリヤート人を支配していた。


ゆるゆるの支配はそれが理由だったのだ。

現地人が十数万人のポーランド流刑貴族に仕えていた。


日本軍は言った。

「この戦争が終わったら祖国に帰りなさい」


「我々は諸君を解放しに来たわけでもない」

「この地を通り過ぎるだけだ」


「この地はブリヤート人の土地だ」

「執着がないのならポーランドに帰国なさい」


ポーランド人の州知事は涙を浮かべながらしがみついてきた。

「Dziękuję」

<ジェンクイエン>


日本人将校は州知事の館の窓から通りの賑わいを見た。

ブリヤート人商人たちは日本軍と盛んに取引していた。


日常品、消耗品、ゴミ回収、排水処理etc。

これらはブリヤート商人のお世話にならざるを得ない。


彼らは彼らだけでやっていけるだろう。

後日彼らはブリヤート共和国を建国する。


やがて初春を待って、進軍が開始された。

鉄道敷設の速度に合わせての進軍だ。


攻撃型装甲列車を先頭に粛々と進軍した。

これには列車砲が配備されている。


これは見た目の威容がゲリラを恐れさせた。

攻撃力を示威するだけで近寄ってこない。


実際には航空機による爆撃の方が効果があったのだ。

ゲリラは爆撃でちりぢりになり、組織的行動が出来なくなっていた。


昼は測距儀で監視態勢がとられ、夜は探照灯で睥睨(へいげい)した。

次の都市クラスノヤルスクも占拠。


挿絵(By みてみん)


都市防衛隊が申し訳程度に撃ってきた。

エニセイ川沿岸の大都市だが今の日本軍の敵ではない。


攻撃型装甲列車搭載の列車砲の一斉射撃で沈黙してしまった。


この街は17世紀要塞都市であった。

19世紀は政治犯流刑地となった。


1825年デカブリストの乱で逮捕された青年貴族将校たちだ。


なぜ青年貴族将校たちは反乱を起こしたのか?

それはナポレオンのロシア遠征にまで遡る。


1812年のロシア戦役によりナポレオンを下したロシア。

ライプツィヒ、ワーテルローの戦いでロシア軍はパリまで進攻した。


そこで若い貴族将校たちが見たモノはパリの自由な空気だった。


駐屯中に大学で自由な討論会を見た。

政治家批判の記事を新聞で読んだ。


そんな事は帝政ロシアでは考えられない事だった。

皇帝の命令は絶対で、逆らう事は許されない。


だがここフランスでは、ナポレオン皇帝でさえ法で裁かれる。

専制君主制は立憲君主制に代わり、皇帝さえ法の(もと)にある。


これこそがあるべき進化した社会制度なのではないか?

デカブリストの乱はこうして起こったが、たった1日で鎮圧された。


その政治犯の青年貴族将校らは80年後の今はもう亡き人たちだ。

その子孫たちが日本軍に協力を約束してくれた。


彼らの願い出たのは次の都市ノヴォシビルスクの説得だ。


日本軍「政治の最後の手段が戦争だという」

「ならば政治力で避けられるなら、これに越した事はない」


子孫たち「ノヴォシビルスクはアルタイの民も多い」

「彼らを説得出来れば、無血開城出来るでしょう」


このあたりから鉄路は爆破ではなく撤去された痕跡が目立った。

鉄道工兵「なんなんだこれは?」


続いてノヴォシビルスクも占拠。

子孫たちの弁舌が冴え渡り、無血開城となった。


挿絵(By みてみん)


ここは1893年シベリア鉄道敷設のため建設された河川都市だ。

巨大なオビ川の川岸にあり、河川交通と鉄道の要所であった。


ロシア人6割、アルタイ人3割の混成民族の自治州だ。

アルタイ人「自由、自治、公正!」


アルタイ山脈はアルタイ黄金大地と異名を取る。

かつては金鉱脈があり、黄金がふんだんに採れたからだ。


今は水晶の名産地であり、その美しさは極上という。

阿勒泰(アルタイ)産水晶はうっすらとゴールド味が入るからだ。


そういった資源はすべて帝政ロシアに摂取されていた。

アルタイ人は日本人を新たな侵略者としてもちろん警戒した。


だが金銀財宝の簒奪者でないと分かると安心したようだ。

ここシベリアでは「鉱山送り」はよく死刑に例えられる。


かつてのロシアはアルタイを畜獣扱いしていた。

鉱山で使役されたら、生きて帰って来られないのだ。


日本軍の目的は単なる通過であった。

「協力は求めないが、反抗は鎮圧する」


逆にアルタイ人の義勇兵たちが日本に協力を求めてきた。

アルタイ人「皇帝のなさりようは目に余るモノがある」


「これは王侯貴族どもが皇帝を傀儡(かいらい)にしているのだ」

「帝都に攻め上り、悪辣な逆臣どもから皇帝を解放する」


王権神授信仰といって皇帝は霊威をもって神に選ばれた存在だ。

霊的王権は何人たりとも犯す事が出来ないもの。


それが悪意あるモノであるのは取り巻きの貴族の悪意によるモノだ。

皇帝自体は善意あるモノなので、お救いしようというワケである。


日本・民族混成軍は大規模に膨れ上がり、西方を目指す。

撤去していた鉄路をアルタイ人は返却してきた。


鉄道工兵はなんとなく合点がいった。

「どうりでたいした抵抗もなく降伏すると思った!」


彼らは自分たちの命脈を繋いできた鉄路を破壊するに忍びなかったのだ。

流刑都市であった事も中央への反発に拍車を掛けていた。


シベリア侵攻が始まって2ヶ月が経過していた。

すでに季節は1906年3月である。


黒木「気温が零下10℃もある、暖かいですなあ」

野津「シベリアの極寒に比べれば、だがな」


続いてシベリア西端の都市オムスクも陥落。

水運と鉄道の要所である。


挿絵(By みてみん)


巨大なイルティシュ川とオミ川の合流地点にある。

ここも流刑地であり、かのドストエフスキーもこの地に流されていた。


オムスクはコサック兵の行政中心地である。

外国人立ち入り禁止の聖域だった。


陥落後に日本軍に緊張が走った。

コサック?あのコサックか!


黒木「ここがコサックの本拠地だったのか」

「彼らこそロシア陸軍の要の兵力だろうに」


野津「コサックの強さの秘密はその成り立ちにある」

「彼らもまた『飼い慣らされた野獣』だったのだ」

次回は1906年オムスクからチェリャビンスクまでです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 和をもって尊しとなす、欧米列強が侵略によって力を増やすに対して融和によって力も味方も増やす日本スタイルが生まれそうでいいですね。 [一言] わらしべ長者ならぬわらしべ軍隊とはこれいかに。
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