1906年イルクーツクにて
イルクーツクで小休止となった日本陸軍。鉄道が爆破されているため敵味方とも動けない。ここで鉄路が修理されるまで待つのだ。
野戦鉄道提理部「廃棄貨車を使ってはどうか?」
工兵「ロシア軍は貨車をすべて放棄して撤退しています」
駅前広場や空き地には、貨車が多数転がっていた。
工兵「この貨車を街の空き地に並べて宿営地にしましょう」
有蓋貨車2両を連結して1両につき24人が宿泊出来るよう改造した。
歩兵は貨車に寝泊まりした。
大工出身の工兵が器用に貨車を改造してくれた。
床下は台車を取り外して、天然の冷蔵庫だ。
断熱材はグラスウールを充填した。
1893年マイケル・J・オーウェンズがグラスウールを製作する。
これに日本陸軍が断熱材として目を付け輸入し始めた。
製法は簡単だ。
ガラス屑を溶かして、綿菓子の要領で作る。
遠心力で溶けたガラスが綿上になり、側壁にへばり付く。
これを回収すれば、グラスウールが出来上がる。
それを布袋に詰めたものが断熱材である。
それを貨車外版と内壁の間に充填してある。
厚さ100mm、λ=0.038(熱伝導率)がグラスウールの物性だった。
貨物宿泊所内部は15℃、外部は-70℃である。
温度勾配はなんと85℃にもなった。
シベリアの極寒の原因は気温だが猛烈な風も原因の1つだった。
貨車設営施設には「風よけ」に勾配壁が設けられた。
さらには木造ユルトを現地人ブリヤート人から譲ってもらった。
これは製法が簡単なので、工兵が大量に製作した。
木造ユルトはモンゴル人の家屋ゲルの木造板だ。
これにも断熱材のグラスウールを充填した。
この一軒で40人近くが寝起き出来た。
唯一の問題点はフロがないことだ。
サウナに入って汗を流し、垢すりで垢をとる。
水風呂に飛び込んでほてりをとる。
これがブリヤード式サウナだった。
全身が浸かる湯船のフロは無かったのだ。
日本兵A「フロ入りたいなあ」
日本兵B「お前はナニを言ってるんだ」
日本兵C「凍死しないだけマシだ」
外で野営は絶対に出来ない。
1902年八甲田雪中行軍による遭難は今でも語り草だ。
あれ以来、陸軍は雪中行軍などには異常に神経質になっていた。
青森は零下20℃だったが、ここシベリアは零下70℃なのだ。
ゴムタイヤにヒビが入り、ガソリンはゼリー状になり、軽油は凍結した。
エンジンは切ると翌日エンジンが掛からなかった。
特技小隊:給養員「めしだぞー」
野外炊具でホカホカの炊きたてご飯が炊き上がった。
こんな環境で炊きたてご飯は神々乃糧(アンブロシア)に見えた。
野津道貫「うまいうまい」
司令指揮車の中で野津道貫は塩握り飯にして頬張っていた。
その隣で、黒木為楨は薩摩出身なのか寒さに弱くガタガタ震えていた。
野津「どうした黒木?暖房は効いてる筈だが」
黒木「この寒さはどうにかならんのか」
黒木は日露大戦で敵側にクロキンスキーと仇名された猛将である。
だが、ここシベリアでは冬将軍には勝てなかった。
陸軍部隊は難所バイカル湖まで兵を進めていた。
が冬の季節はこれ以上の進軍はムリであった。
これはロシア側も同じだ。
厳寒期のシベリアは戦争する場所ではなかった。
湖畔の都市イルクーツクはすでに占領下にある。
弱冠の抵抗はあったが、すぐに陥落していた。
特に死に物狂いで皇帝陛下の為一命を投げ出すでもない。
まるで義務的に戦闘すればあとはどうとでも、という感じである。
日本兵A「なにか中央政府との確執でもあったのか」
日本兵B「あとでレジスタンスによる抵抗があるとか」
日本兵C「どうも愛国心が希薄なのが気になる」
イルクーツク州知事の態度も変だった。
「ここはブリヤート人の地です」
そういう州知事はスラブ系白人だ。
だが言葉のアクセントが微妙におかしい。
始祖伝承によればバイカル湖こそモンゴル人発祥の地。
始祖はその後モンゴル草原地帯へ移住していったという。
東部族は固有の文化を持ち、ロシア人の血が薄い。
西部族はロシアとの混血が進んでいた。
スラブ人(ヨーロッパ白人)とは縁遠い民族だ。
どうやら帝政ロシアの屈従民族の一つらしかった。
かつて総参謀長児玉源太郎も言った言葉がある(第27部分)。
「戦争はな、独りでやるもんじゃない」
ロシア帝国には東スラヴ族人だけがいるワケではない。
ブリヤート人、タタール人、テュルク人とたくさんいる。
帝都に攻め上るのは日本軍だけではロシア全軍の17%しかない。
5分の1の戦力しかない日本だけで勝てるワケがない。
だが屈従させられた民族が立ち上がれば話は別だ。
日本・民族混成軍となって攻め上れば良い。
日本軍「我々は通り過ぎるだけだ」
「邪魔をしなければ、諸君らの中立を尊重する」
イルクーツク州知事「承知した」
「ロシア国民として協力は出来ないが反抗もしない」
日本軍と徹底抗戦するつもりは最初からなかったようだ。
陸軍はここでシベリアの春を待つ事にした。
黒木「最初の屈従民族の反応はこんなモンだ」
「信じられないんだよ、ロシアも日本も」
ロシアの圧倒的兵力に踏みにじられた民族の尊厳と文化。
疑心暗鬼に陥るのも無理はなかった。
とにかく鉄道が敷設されるのをここで待つしか無い。
復旧作業は昼夜を分かたず24時間ぶっ続けで行われた。
そんな時、とんでもない知らせが舞い込んできた。
黒木「なに、温泉だと、そんなバカな?」
バイカル湖の湖畔に自噴温泉を発見したのだ!
スリュジャンカの町から北西方向に約120㎞。
アルシャンという小さな街に日本陸軍が押し寄せてきた。
「フロだ」「フロだフロ」「フーロッ、フーロッ」
「エンヘルクの町から北10kmのとこ・・・・・・」
「ハリュティのま・・・・・・・」
次々と発見される自然湧出温泉。
工兵がシベリア大森林に入って木を切り始めた。
コーンッコーンッ。
マサカリの音も勇ましく、次々と木材が切り出される。
露天風呂に屋根を取り付けるつもりなのだ。
工兵隊には大工出身者が多い。
源泉だけの「野湯」だった自然噴出温泉が屋根付き露天風呂に変身した。
大きさは8m四方とかなりの湯量を誇っている。
コーンッコーンッ。
さらに平屋の脱衣所や休憩室まで建設が始まった。
厳寒期の雪中行動についての細目もどっかへ行ってしまった。
現地人ガイドを引き連れての強行軍だ。
現地の民族ブリヤート人は不思議そうにその様子をみていた。
土地を提供した彼らには、温泉の良さが通じない。
ブリヤート人A「一体なにが始まるんです?」
ブリヤート人B「温泉施設は戦後、地元に引き渡されるんだそうだ」
ブリヤート人C「熱い湯に浸かるのの何が楽しいのやら」
17世紀に西方から攻め込んできた残虐なロシア人兵士。
血走った目で進軍する侵略軍と逃げ惑う原住民たち。
今回の日本人もどうせ同じ侵略者だ。
略奪、強姦、殺人とやる事はどうせいつも決まっている。
シベリアの地元民ブリヤート人は常に侵略者に虐げられてきた。
コサック兵は羅刹と呼ばれて、恐れられてきたのだ。
だが今回の血走った目で進軍する侵略軍の目的は温泉だった。
若い娘の家も襲わず、裕福な金持ちの家に強盗に入るわけでもない。
ただひたすらに温泉に一直線に躍り込んだ。
ドッボ~ンッドボンドボンッ、バシャバシャッ。
日本兵A「いっやぁ、いきかえるなあ~」
日本兵B「ふひぃ~っ、いい湯だなあ~」
日本兵C「よ~しっ、うたっちゃうぞぉ~っ」
朗々とこぶしを効かせて「江差追分」を歌い上げた。
それを聞いたブリヤート人がすっ飛んできた。
日本兵C「おお、三助さんか、背中をながしてくれや」
ブリヤート人「アンタ、ナゼ”メリスマ”ヲシッテイルカ?」
「メリスマ」とは日本の演歌の「こぶし」にあたる言葉だ。
そのブリヤート人はメリスマを効かせて歌い始めた。
日本人たちは聞き入っていたが、やがてきっぱりと答えた。
日本人「それ江差追分じゃん」
ブリヤート人「チガウ、チガウ」
日本人「そういえば、お前よく見ると日本人じゃん」
ブリヤート人「チガウ、チガウ」
次回は1906年イルクーツクからオムスクまでです。




