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日露大戦  作者: 登録情報はありません
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1904年バルチック艦隊001

バルチック艦隊はスエズ運河に接近した。運河の所有はエジプトで管理は英国で使用は中立であった。日英同盟があるために日本は英国がバルチック艦隊を通さないと思っていた。しかし・・・・・・。

ロジェストヴェンスキー提督が我に返った時は、もうすでに遅かった。

「撃ち方やめ!やめんか!やめと言ってるのが聞こえんか!」


夜間という事もあって、同士討ちにもなり、巡洋艦が5発も味方砲弾を喰らっていた。

ロジェストヴェンスキー「よく見ろ、あれは英国の漁船だぞ」


この砲撃で漁船クレイン号は沈没、船長と乗員が死亡、マイノ号は6人が負傷した。

バルチック艦隊は全員を収容して、英国ポーツマス海軍基地に向かった。


当時ポーツマス海軍工廠の司令長官だったフィッシャー卿。

第一報を聞いて、港に駆けつけていた。


ロジェストヴェンスキー「今回の不始末、誠に申し訳ない」

「全ての責任は司令官の私にある」


「いかような処罰も甘んじて受ける覚悟である」

三跪九叩頭の礼で海軍卿に礼を尽くした。


フィッシャー「苦々しい気持ちで一杯だ」

そういいながらも内心はまんざらでもなかった。


1793年英国大使は、清国皇帝に三跪九叩頭の礼を要求され、断っている。

宿敵ロシアの司令官に土下座をされて、悪い気はしなかった。


「だが、日本と戦争状態にある貴国の事情もあるだろう」

「また我が国の危険回避の周知の不徹底も認めるところだ」


ロシア軍は謝罪し、被害者に6万5000ポンドを支払った。

まだ沈没・破損したトロール船は新造すると約束した。


「海賊!」「狂犬!」

英国の世論はバルチック艦隊をメチャクチャに非難した。


エドワード7世「最もひきょうな暴行事件だ」と断罪した。

ロジェストヴェンスキーはただひたすら頭を下げていた。


バルチック艦隊は半旗のままポーツマス港を出港した。

そのあまりにも馬鹿正直な謝罪に、第三艦隊長官ネボガトフは注進した。


ネボガトフ「ここまでへりくだる必要があったでしょうか?」

「司令官、平身低頭も度が過ぎると兵士の秩序が乱れます」


ロジェストヴェンスキー「ニコライ、キミは馬鹿かね?」

ニコライ・ネボガトフ「ハア?」


ロジェストヴェンスキー「これから通るスエズ運河は英国の管轄だ」

「キミは英国を怒らせて、アフリカを遠回りするつもりかね?」


英国が二枚舌ならロシアは三枚舌であった。

すべては「演技」だったのだ。


バルチック艦隊はエジプト側のスエズの入り口、ポートサイドに到着した。

ここで燃料の石炭と砲弾を降ろして喫水をスエズに合わせる。


当時スエズ運河は英国管理の中立地帯という設定だった。

日英同盟のため、積極的にはバルチック艦隊を通せない。


欧州ではバルチック艦隊は日本連合艦隊に勝つと予想していた。

日露大戦の勝敗の行方は、ほぼロシアの辛勝という予想だ。


三国干渉の時もそうだった。

英国は欧州での各国の相関関係で動けなくなった。


日英同盟があるからといってもそれは「外交」である。

英国が考えるのは「自国の利」である。


もしここでスエズ運河通過を全面拒否すれば、戦後どうなるか?

英国は戦後の軍事バランスをも考えなければならない。


ますますロシアと英国の国際関係は険悪になるだろう。

英国はまたロシアの革命が英国に飛び火するのも恐れていた。


英国の立憲君主制は貴族院の貴族で構成されている。

そして貴族は革命が大嫌いなのだった。


英国「わ、我々の制止も聞かず、強引に通過してしまった」

こうしてバルチック艦隊は全船が、スエズ運河を通過した。


スエズ運河は1869年開通で、水路幅44m、水深10mだ。

バルチック艦隊のボロノイ級の喫水はかなりギリギリである。


ロジェストヴェンスキー「全艦燃料の石炭と弾薬を積み替えろ」

(かね)てより雇用のの燃料弾薬運搬船に燃料弾薬を移し替える。


これはとんでもない大作業で1ヶ月を要した。

だがロジェストヴェンスキーはこれを予め分かっていた。


水兵たちも全て降ろされ、徹底的に軽量化しての牽引だった。

水兵はそれぞれにエジプト観光を満喫した。


ハーン・ハリーリのバザールで買い物をする者。

ダバブでリゾートを楽しむ者。

ラクダ・レースに興じる者。


エジプトでの停留が思わぬバカンスになった。

一方、工兵隊は休みなく働き続けた。


工兵A「こういう不定形物の移動流通はさ、コンテナにしようぜ」

工兵B「そうそう木製コンテナは既に石炭用がある」

工兵C「もう全部コンテナ船にしちゃおうぜ」


コンテナが初めて使われたのは1780年ごろの英国だ。

石炭積み出しに船舶用コンテナを利用していた。


ここでの石炭輸送船は全部コンテナ船だ。

スエズには20隻以上の石油運搬船が駐留していた。


これを全て徴用し、火薬運搬船と燃料運搬船に分けた。


コンテナ船には溢れんばかりのコンテナを載せた。

このコンテナ船はインドシナまでついて来た。


もうインド洋、ベンガル湾、東シナ海まで日本軍はいない。

砲弾は別便でもいいのだ。


スエズ運河を自力航行すれば、艦底が揺動で海底に接触する。

そのためにタグボートに牽引させ、艦隊は粛々と通過した。


それを聞いた日本の明治政府は頭を抱えた。


日本「なに?スエズを通った?話が違うじゃあないか!」

日本は大いに憤慨したが、これが外交だった。


インド洋に出たバルチック艦隊。

真水と無煙炭の補給を必要としていた。


だがバルチック艦隊は補給が出来なかった。

ほとんどの寄港地が英国の植民地だったからだ。


だが危急の場合の補給は拒否出来ない。

ロシア「コレラハッセイノタメ キンキュウヲヨウス」


英国植民地A「伝染病じゃないか、冗談じゃない!」

英国植民地B「シッ、シッ、あっちいけ!」

英国植民地C「なんでもやるからこっち来んな!」


補給船に物資をどっさり積み込んで送り出した。

乗員は救助用ボートで臥し転ぶように逃げ帰った.

飲料水、薬品、燃料etc、すべて思い通りになった。


実際ロシアでは1899~1923年にコレラのパンデミックが起こっている。

それを聞いた日本の明治政府は頭を抱えた。


日本「なに?寄港地で補給したあ?話が違うじゃあないか!」

日本は大いに憤慨したが、これが外交だった。

次回は1904年バルチック艦隊002です。

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