1905年下瀬トリニトロトルエン
下瀬火薬はトリニトロトルエンであった。彼は最初トリニトロフェノールを研究していたが過敏性が強く使用を断念していた。
バルチック艦隊を迎え撃つ兵器を支える爆薬。
それは「トリニトロトルエン」であった。
1863年にドイツのヨーゼフ・ヴィルブラントが発見。
トリニトロトルエンの合成に成功する。
トルエンの2,4,6フェニル基の水素。
これをニトロ基で置換する方法を見出した。
硫酸と硝酸の混合物の混酸でトルエンを2段階でニトロ化するものだ。
これは2段法とよばれ、量産には向いていなかった。
これを1891年ドイツは量産の方法を開発する。
こちらは連続法と呼ばれ、量産に向いていた。
1901年主要な爆薬として実戦配備される。
これと似た化学式にトリニトロフェノールがある。
爆発力が強力で、多くの国が研究を進めていた。
トリニトロフェノールは過敏ですぐ爆発した。
金属と反応して引火する性質があった。
つまり砲弾に詰め込むだけで爆発した。
絶縁体で包んでも僅かな隙間があれば爆発した。
下瀬はウルシを砲弾内に塗り、急場を凌ごうとした。
しかし切れ目があるとすぐ爆発した。
だいたい砲身の中で発射の衝撃で絶縁皮膜が破れ爆発した。
こんな危なっかしいものはとても実用にはならない。
もっと安定したかつ金属と反応しない爆薬はないものか?
それがトリニトロトルエンだったのだ。
ドイツのグリーシャム社ではトリニトロトルエンを社外秘としていた。
これを敵対する国家ロシアに知られてはならない。
そのため旧トリニトロフェノールを研究する素振りを見せていた。
トリニトロフェノールは鉄と反応して爆発性塩を生成する。
この反応を遅延する為の化合物の研究をする素振りだった。
この研究所を西欧遊学中の下瀬雅允が訪れていた。
下瀬はずっと日本でトリニトロフェノールを研究していた。
そして不安定かつ金属に接触すると爆発する性質に悩んでいた。
下瀬「なんとか!なんとかしなければ!」
だが彼は既に行き詰まっていたのだ。
彼はトリニトロフェノールの研究最先端のフランスへ行った。
ロシアと親密だった当時のフランスは日本人を歓迎しなかった。
下瀬はナニも得られずにフランスを離れた。
そこで今度は中立的立場をとるドイツを訪れた。
そこでドイツの工業化学の権威グリーシャム社に向かった。
ドイツ人はロシアとやがて戦争となる日本に同情的だった。
グリーシャム社「見せるだけならいいぞ」
彼はトリニトロトルエンの工場見学を許され、製作過程を見学した。
それはドイツの化学の優位性を見せつけるためであった。
だが、そんな事をしなければ良かったのだ。
下瀬はサンプルを味見した際に「甘いですね」と言った。
トリニトロフェノールは苦いが、トリニトロトルエンは甘い。
下瀬の直感が、この爆薬のなにかを嗅ぎつけていた。
これは絶対に持ち帰って調べねばならない。
だが社外秘を勝手に持ち帰る事は不可能だった。
下瀬はちゃっかり爪の間にサンプルを擦り込んでいた。
それを日本に持ち帰り分析したところ、トリニトロトルエンだったのだ。
トリニトロフェノールの1フェニル基がある。
そこのヒドロキシ基がメチル基に換わっていた。
下瀬はただちに連続法を推定して、量産を開始する予算を取った。
予算は承認され、トリニトロトルエン製造工場が建てられた。
トリニトロトルエンの爆速は7140m/s。
トリニトロフェノールの爆速は7800m/s。
ニトロセルロースの爆速は7300m/sである。
ニトロセルロースはロシアが使用している。
トリニトロトルエンこそが求めていた爆薬だったのだ。
威力は劣るがそれを上回る安定性と運用性があった。
トリニトロトルエンはトリニトロフェノールと違い、金属と反応しない。
その分爆薬に安定剤を混ぜる量が減り、純度を上げられる。
ドイツ「むむっ、技術漏洩ではないのか」
ドイツは怪しんだが、下瀬はトリニトロフェノールを知っていた。
なので何も言えない、化学反応プロセスは非常によく似ているのだ。
出発物質が石油由来のトルエンか、石炭由来のファノールか?
そのの違いだけなのだ。
ドイツ「ぬうっ、出発物質が分かればしょうがない」
こういう化学反応は時間の問題である事はドイツも承知していた。
日露大戦で使われる砲弾の炸薬は全てトリニトロトルエンとなった。
トルエンの材料は石油で、フェノールの材料は石炭である。
トルエンを材料とする石油は100%輸入しなければならなかった。
日本はフェノールの材料の石炭が豊富に採れる。
世界情勢の変化により、輸入が止まったら材料は石炭しかない。
将来的にトリニトロフェノールのお世話になるかも知れないのだ。
下瀬はそう考えてトリニトロフェノールの研究も続けた。
アンモニア等のアルカリと混合して塩にした化合物の研究である。
アンモニアは1901年ヘンリールイルシャトリエが合成に成功。
日本は彼を招こうと勧誘したが、首を縦に振らない。
そこで技術団が彼の研究所に遊学に出向いた。
ここはフランスのコレージュのルシャトリエの研究所。
実験棟の隣の談話室で彼は日本人と面談した。
ルシャトリエ「アンモニア合成は爆発して危険だ」
彼が言うように窒素と水素の合成管はしょっちゅう爆発した。
だが合成に試験管を用いると爆発しないのだ。
試験管はガラス製で合成管は頑丈な特殊鋼だった。
日本人「私は金属工学専攻の者です」
「これはよくある水素脆性ではないでしょうか?」
これは水素による炭素鋼の水素脆化が原因だった。
鋼の水素脆化は特殊鋼鍛鋼材に現れる白点状欠陥があり珍しくない。
化学ではなく金属工学で畑が違うだけなのだ。
そう話している最中に、隣の実験室で大爆発が起こった。
ルシャトリエ「ああ、なんと言う事だ!」
駆けつけたルシャトリエらが見たのは凄まじい惨状だった。
手や足が吹き飛んだ者、内臓がはみ出て呻く者。
運良く指が吹き飛んだだけで助かった者もいる。
爆発で多くの人が犠牲にな・・・・・・ならなかったのだ。
日本人外科医が技術団には含まれていた。
遊学中の事件事故に対応する為に軍医が同行していた。
彼らが瀕死の研究員(多くは創傷と火傷)を救った。
外科医「空いている机にシーツを!」
外科医はてきぱきと緊急手術の準備を指示した。
術野の清潔ささえ確保出来れば、緊急手術は可能だ。
ポピドンヨード,グルコン酸クロルヘキシジン,消毒用アルコール。
まず血管吻合で血流を確保する。
顕微鏡手術はまだ日本人しか出来ない。
次が筋肉と骨をつなぎ合わせる手術である。
内臓がはみ出た者は洗浄して、血管吻合を行い、元に戻した。
目にもとまらぬ速さである。
戦場で多くの創傷者を治療した経験があるのだろう。
人格者だったルシャトリエはその救命に感銘を受けた。
ルシャトリエ「日本へ行こう」
2日後、ルシャトリエは彦島にいた。
ルシャトリエ「え?」
日本軍「飛行機の旅は快適でしたか」
ルシャトリエ「ええっ」
すでに飛行機を実用化していた日本。
ルシャトリエは夢うつつのまま48時間で日本に到着していた。
ルシャトリエ「どうなっとるんだ、この国は?」
そう言いながらも研究を始めた彼をさらに仰天させる事があった。
マルセラン・ベルテロ「おや、ルシャトリエじゃん?」
ルシャトリエ「ベルテロ?あんたも日本に!」
ベルテロ「いやあ、老後は日本でまったりと化学研究の日々よ」
「自由に研究していいんだよ、ここでは」
彦島は英国租借地でここは「英国」だった。
ドーバー海峡を隔てたあのキングダムだったのだ。
しかもあの「飛行機」で2日の距離である。
恐れていた自分がバカみたいに思えてきた。
日本はいくらでも研究費を出した。
ルシャトリエはのびのびと研究を続ける事が出来た。
研究成果は一義的に日本のモノになったが、権利は研究者のものだった。
「そんなの当たり前でしょう」と日本人は笑った。
ついに窒素と酸素を500℃300気圧の条件でアンモニア合成に成功した。
ここから硝酸を作るのは簡単である。
ついに空気からパンを、パンから爆薬を作る事に成功したのだ。
生産量が追い付く限り、上限を設けず、24時間態勢で生産した。
その結果、年間銃弾2億発砲弾500万発の生産の見通しとなった。
陸海軍工廠「ちょっと足りないね」
「機関銃1万挺で毎分600発撃てば、32分でカラッポだよ」
戦争とはかくも果てしなく無駄な消費なのだ。
さらにさらにフル稼働とし、銃弾は4億発に奮発した。
さすがに陸海軍も気の毒に思ったのか今回は無言であった。
次回は1905年バルチック艦隊000です。




