1904年旅順要塞包囲戦
1895年の日清戦争で旅順要塞はたった1日で陥落した。歩兵達はその時参戦した強者ぞろいだ。だが今回は白兵突撃がなかった。
旅順は低木の雑木林が繁る穏やかな丘陵地だった。
だが、打ち続く戦乱で、今は見る影もないハゲ山である。
旅順要塞は、1895年の日清戦争では、たった1日で陥落した。
日本にとってはかつて知ったる「馴染みの場所」であった。
角面堡、眼鏡堡、砲座が居並ぶ旅順要塞前面。
近代化されても位置はほとんど把握されていた。
歩兵A「9年前の懐かしい戦場だ、今回も簡単だな」
歩兵B「あの時の白兵突撃の勇ましさよ、清国兵は腰抜けだった」
歩兵C「今回も腰抜けのロシア兵かねえ、あっという間だな」
歩兵たちはのほほんとした雰囲気であった。
2週間前にコンドラチェンコ師団の奇襲があった。
コンドラチェンコは旅順要塞の指揮官の1人である。
突撃が好きで、すぐ突出する悪いクセがあった。
指揮官が最初に戦死したらどうなるかより突撃が好きだった。
こういう勇猛果敢な所が歩卒たちに好かれていた。
この奇襲も日本人歩兵によって蹴散らされていた。
どだい無理があった奇襲だったのだ。
攻囲軍は間断なく、防備も固めていた。
これは日清戦争の戦訓でもあった。
旅順攻囲戦の機運は高まっていった。
ここは旅順要塞を包囲している陸軍の装甲指揮車だ。
旅順攻囲戦指揮官の乃木希典が詰めている。
前日撮られた偵察飛行船からの写真がもたらされた。
堡塁の位置、砲座や銃座の位置、鉄条網etc。
乃木「これは臨時築城ではないのだな」
工兵「どんでもありません、永久堡塁です」
工兵は堡塁攻略のため、呼び出されていたのだ。
工兵「東鶏冠山北堡塁ですがこのコンクリート厚を見て下さい」
乃木「ううむ」
工兵「無筋コンクリートで1m~2mはあるでしょう」
乃木「ううむ」
工兵「これを吹き飛ばすにはダイナマイト2500kg以上が必要です」
乃木「ううむ」
工兵「東鶏冠山北堡塁爆破不可能」
乃木は唸ったまま答えなかった。
乃木「一人にしてくれんか」
「一晩じっくり黙考してみたい」
その夜、鉄騎兵第4旅団(戦車大隊)長の吉橋が呼び出された。
乃木と吉橋は深夜まで何事かを密談している様子だった。
翌日。
すでに包囲陣には戦車60両、装甲兵員輸送車60両がズラリと並ぶ。
装甲兵員輸送車は8人の歩兵が詰め込まれていた。
鉄の箱にギュウギュウ詰めであった。
歩兵「装甲兵員輸送車は狭いし、暑苦しくてかなわん」
歩兵「オレは白兵突撃が勇ましくていいんだがなあ」
歩兵「今回は白兵突撃はないみたいだな」
どうもいつもと調子がちがう。
軍旗を前面に進軍ラッパも勇ましく白兵突撃だったのに。
砲種は23糎榴弾砲40門、155粍榴弾砲50門を配備。
20キロ先の臨時飛行場には双発爆撃機が4機控えていた。
1904年7月03日。
旅順攻囲戦の火蓋は切って落とされた。
乃木は全てを見切ったように清々しい表情だ。
「まずは23糎榴弾砲で撃ってみるか」
まるでウサギ狩りでもするように乃木はそっけなく言った。
23糎榴弾砲は液気圧式駐退復座機を装備した閉鎖機改良型榴弾砲だ。
全ての兵器は部品1つネジ1本に至るまで国産である。
日本はフランスの製鉄所に学び、冶金鋳造の充分な知識を得た。
全国に銑鋼一貫製鉄所を建て、フル稼働させた。
5500tクラスの熱間鍛造も可能になっていた。
この日の為に周到に計画されてきた。
砲種も砲弾も充分にある。
そして秘匿兵器の戦車も投入されている。
23糎榴弾砲40門が一斉射撃だ。
ズドーンッ!ヒュウルルルルッ、ドッカアア~ン!
砲座や銃座に弾頭が着弾し爆発した。
ロシア人や装備がバラバラと空中に飛び散った。
それを注視していた日本軍から歓声が上がった。
「やったぞ!」「ざまあみやがれ」
乃木「よし突撃!と命令を下す前に、偵察飛行船からの連絡はどうか?」
通信兵「テキソンガイケイビとだけ返信あり!」
乃木「やはり、地下壕に退避して凌いでいたか」
地上設備や重火器に被害が出るのはしょうがない。
しかしロシア兵のほとんどが地下に避難していて無傷なのだ。
これは南山の野戦陣地でも同様の状態であった。
ロシア人が逃げ出した無人の陣地の地下通路は驚くほどに無傷だった。
これを完全破壊するには地中貫通弾しかない。
地中貫通弾は今だに研究中であった。
爆弾にロケット推進を取り付けて、掩壕を破壊する。
地中で爆発すれば、掩体壕なんぞひとたまりもない。
だが実用化はまだ先の話である。
乃木「ロシアお得意の撤退作戦の応用だ」
「やったか?」と思わせておいての待ち伏せである。
白兵戦突撃で雌雄を決する日本独自の決戦主義。
「とぉつげきぃ~っ!!」で不用意に突っ込めばどうなるか?
無傷の歩兵がすぐに機関銃を抱えて、掩壕から飛び出してくるだろう。
そこに突っ込めば十字砲火のいいマトになるだけだ。
乃木はロシアのやり方をたっぷりと勉強してきた。
「だがワシのプランはそういうのではないぞ」
乃木は鉄騎兵第4旅団(戦車大隊)のほうをチラッと見た。
乃木「よし、戦車を前面に押し出して突撃せよ」
吉橋徳三郎旅団長「うおおおっ、まっとったぞ~っ」
ブオォ~ンッ、キャラキュラキュラッ!
エンジンを吹かした60台の戦車がゆっくりと丘陵地帯を前進する!
その後に60台の装甲兵員輸送車が続いた。
はじめて戦車を見たロシア兵は仰天した。
さらにその後に装甲兵員輸送車が続いている!
ロシア兵A「装甲したトラクターだ!」
ロシア兵B「米国で研究してたヤツだ!」
ロシア兵C「バカな!どうしてここに!」
米国ではホルト五屯牽引車が砲兵トラクターとして実用化されていた。
これは1904年だった、今年だ。
そんなものが戦車として、この旅順にあるはずがなかったのだ。
日本軍得意の白兵突撃がない!
ロシア兵A「軍旗と進軍喇叭はどうしたんだ」
<騎兵連隊は機械化に伴って連隊旗を返納している>
ロシア兵B「でかいアンテナが立ってるのが指揮戦車だ!」
ロシア兵C「無線通信機の小型化に成功したのか?」
キャラキュラキュラッキャラキュラキュラッ!
戦車はマキシム機関銃の射程内に平然と入ってきた。
ロシア将校「撃て!撃って撃って撃ちまくれ!」
マキシム機関銃は毎分600発の銃弾の雨を降らせた。
だが戦車の装甲はその為の防弾装甲であった。
ガンッキンッバンッヒュンッ!
吉橋「馬だとこうはいかん!」
「行け!突撃じゃ~っ」
全てを弾き返した戦車は鉄条網を軽々と突破してきた。
バキバキッバキッメリメリッ!
ロシア将校「あわてるな!地雷原に突っ込めば敵は木っ端微塵だ!」
「鉄条網を超えれば地雷原だ」
吉橋「ほうほう、地雷原か」
「対人地雷は戦車に害はないが、履帯をやられるのはマズいな」
「例の鍬付きのヤツをこちらへ」
そこに世にも奇妙な異形の戦車が現れた。
地雷処理戦車である。
履帯の前に奇妙な形の鍬が付いている。
それで地雷を掘り起こすのだ。
ゴロンゴロンッメリメリッ!
土塊の中の地雷が露わになり、ソレを爆破して進む。
対人地雷は歩兵殺傷用に陶器片や釘、鉄屑が仕込んである。
ガキンッゴンッガンッパリーンッ!
それが四方八方に飛び散ったが、やはり戦車はなんともない。
吉橋「よし、堡塁を攻め落とすぞ」
白兵突撃だったら何千何万という死傷者を出し、何ヶ月も掛かったろう。
吉橋「まだ戦闘が始まって2時間しか経っていないぞ」
60台の戦車はまだ1台も損なわれていない。
要塞砲は射程が近すぎる上に、仰角が低すぎて撃てなかった。
直撃を受ければ戦車とてひとたまりもないのだが。
155粍榴弾砲50門の援護射撃があり、60台の戦車は進む。
ゆっくりと戦車は敵陣地である堡塁に近づいていた。
その姿にロシア兵は巨大な棺桶を想像した。
ロシア将校「うろたえるな!堡塁の外堀は超えられぬ!」
「外堀に落ちたところを鹵獲せよ!」
ここは東鶏冠山北堡塁の側面法面の緩やかな場所。
だが戦車と装甲兵員輸送車は堡塁の外堀直前で停止した。
ロシア将校「降りてくるぞ」
「機関銃で狙い撃ちだ!」
吉橋「堡塁を渡る架け橋も用意してある」
「橋付きのヤツをこちらに」
ロシア兵は手ぐすね引いて待ち構えていた。
だが、一向に下車して突撃してくるでも無い。
その内にさらに異様な戦車が近づいてきた・・・・・・。
それは特殊車両「戦車橋」であった。
ウイイイーンッギュッ、グイイイイーンッ。
戦車橋は2つのユニットを合体させ、外堀に装甲橋を掛け始めた。
完成すれば側防窖室は丸裸のマトになってしまう!
ちょうどコンドラチェンコ中将が堡塁に視察に来ていた。
コンドラチェンコ「突撃だ!突撃に出るぞ!」
彼はそこにいた側近と守備兵を伴って、逆に装甲橋を渡って飛び出した。
サーベルを振りかざした美男子の高官に、逆に日本軍は戸惑った。
日本兵A「コンドラチェンコ中将だ!」
日本兵B「司令官だ、取り押さえろ!」
日本兵C「殺すな!生け捕りだ!」
多勢に無勢である。
戦車に随行してきた装甲兵員輸送車から歩兵が飛び出した。
ロシア兵A「今だ!撃て!」
ロシア兵B「あほう、コンドラチェンコ中将に当たってしまう!」
ロシア兵C「どうすりゃあいいんだよ」
あっという間に取り押さえられてしまった。
装甲兵員輸送車の1台が中将を乗せて、戦場を去って行った。
この無謀な出撃により、コンドラチェンコ中将は日本軍の捕虜となった。
その勇猛果敢かつ独断専行な勇敢さは短所であり長所でもある。
のちに敵味方とも、その気質は高く評価されている。
彼は後送され、即日松山の捕虜収容所に送られた。
これは中将を取り返しに攻撃がある可能性を恐れたためだ。
ステッセリ中将「なに?コンドラチェンコが捕虜?まことか?」
要塞司令官は愕然として椅子から崩れ落ちた。
ステッセリ「ヤツの突撃癖が仇になったか」
コンドラチェンコはすぐ「突撃だ」といって猛進するクセがあった。
だが勇猛果敢な司令官の1人であり、兵士からも好かれていた。
彼が捕虜になった事はまたたく間に兵士の間に広がっていった。
彼らが戦意を鈍らせ、意気消沈したのは言うまでもなかった。
打ち続く猛砲撃と謎の戦車部隊。
テルミット焼夷弾「爆撃」と砲撃による人的被害。
ロシア兵「航空機を見ました」
目撃者によると「航空機」の爆撃だという。
ステッセリ「もはや一兵卒の空想でも虚言でもない現実だ」
「航空機の開発と実用化に日本は成功したのだ」
ステッセリ中将「航空機だと上から丸見えだ」
「今日から天蓋を被せて、要塞内の様子を隠すようにしろ」
旅順口攻撃で散々航空機の空爆を受けていたロシア軍。
こちらには防空兵器が皆無だった。
気球砲は低空侵入の気球を撃ち落とす急場凌ぎの手段に過ぎない。
戦車については本国でもすでに実験段階だった。
だが対戦車兵器はまだなかった。
どちらも為す術がない新兵器だった。
特に航空機はどうしようもない。
ステッセリ「あと数年経っていれば物量では負けなかった」
「いやそれより日本と戦うべきではなかったのだ・・・・・・」
日本の技術は狂っている。
こんな国と戦争したのが間違いだった・・・・・・。
1904年7月03日攻撃開始。
1904年7月15日旅順降伏。
降伏したロシア兵は即日松山の捕虜収容所に送られた。
大連港には次々と関釜(下関-釜山)連絡船が呼び寄せられた。
続々と乗り込む捕虜となったロシア兵たち。
だが意気消沈した彼らを驚きが待っていた。
ロシア兵捕虜A「おい、こりゃあ凄いぞ」
ロシア兵捕虜B「日本の連絡船は豪華だな」
ロシア兵捕虜C「ゆったりしてていいね」
1等客室は2人用寝台室と談話室に分かれ、1等食堂は別格だった。
2等客室は開放二段寝台で、いわゆる鉄道の二段寝台と同じだ。
3等客室は蚕棚式寝台で、いわゆる山小屋式雑魚寝というヤツだ。
捕虜は帰国後、俘虜審問委員会で取り調べがある。
ハーグ陸戦条約(1899)に基づいた取り扱いをうけたかどうかだ。
日本は近代国家としていい所を見せたかった。
捕虜の扱いはかなり優遇されていた。
一方、脱走は厳しく監視された。
1904年5月今から2ヶ月半前にある事件があったからだ。
この日大連市から臨時列車が発車し、北方へ向かった。
通過する列車に日本軍は銃撃を加えた。
しかし赤十字旗を掲出した為、銃撃を中止した。
列車は全速力で北方に去って行った。
この列車にはロシア軍要人が乗っていたという事だ。
こういう事が2度とあってはならない。
ここから奉天方向に脱走されたらたまったものではない。
いよいよ次は奉天会戦が迫っていた。
次回は1904年奉天の会戦000です。




