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日露大戦  作者: 登録情報はありません
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1902年前弩級戦艦薩摩

戦艦の主砲の装填速度は人力が介入する限り遅かった。1880年山崎小三郎がついに帰国する。彼が目指すのは全自動装填装置だった。1964年より英国グラスゴーの造船所で働き続けた彼は、知識で膨れ上がっていた。

前弩級戦艦薩摩への道は遠い。

それはそのまま装甲旋回砲塔の歴史でもある。


装甲回転砲塔を有する軍艦の歴史は米国内戦に端を発する。

1861年米国で内戦が勃発する、南北戦争だ。


この内戦で、米国は「浮かぶ装甲砲塔」モニター艦を新造した。

後期型は、15インチ連装回転砲塔を搭載したバケモノ軍艦だ。


15インチ(38.1cm)は砲の威力だけなら後世の超弩級戦艦クラスである。

俯仰、揚弾、装填、照準と全て人力だが、砲塔運用手順が一通り揃っていた。


これが後の大艦巨砲主義の嚆矢となり、海防戦艦に受け継がれた。

この時代はまだ木造船全盛時代で、装甲艦は暗中模索の段階だった。


1864年英国砲塔艦ワスカルは木造船ながら回転砲塔を持つハイブリッド艦だ。

砲塔運用手順は、やはりすべて人力であった。


モニター艦の構造は軍艦にブレストワーク(胸壁:艦橋の意)をもたらした。

木造帆船には艦橋がないので、これは画期的進化だった。


もの凄い速度で、戦艦の構造、砲塔は進化していた。


1868年フランス砲塔衝角艦に搭載された回転砲塔はコールズ式と呼ばれた。

ようやく蒸気機関による砲塔運用手順となり、後装砲となった。


1877年英国デヴァステーションより、水圧動力による機力装填装置が装備される。

大口径のため前装砲だが、機力装填は近代化への第一歩だった。


1880年山崎小三郎が遂に帰国する。

山崎「次に建造する戦艦は私に任せて下さい」


この時、承認したのが、かの山尾庸三であった。

山尾「よかろう、だが清国との戦闘には外国船を使うぞ」


~1892年砲塔は突然旋回部装甲の無い露天砲塔に舵を切った。

大胆かつ無謀な試行錯誤の一環であったが後に有蓋に改善された。


山崎「今こそ国産戦艦の出番だ・・・・・・」

回転砲塔による集中一斉砲撃、そのための火器管制装置・・・・・・。


山崎は戦艦の構造を大きく変更する事によって対処した。

自動装填、連装旋回砲塔、機力装置etc。


その間にも世界の戦艦の旋回砲塔はどんどん進化していった。


1895年英国戦艦マジェスティック。

1898年英国戦艦シーザー

1900年英国戦艦グローリー

ドンドン進化していく旋回砲塔。

この頃になると長砲身とカウンターウエイトをもつ砲塔のおなじみの形状に落ち着く。

挿絵(By みてみん)


艦底の薬囊(やくのう)庫と砲弾庫から砲塔に揚薬揚弾する。

この方法には様々な方式があり、一長一短があった。


山崎は海外の進化を睨みながら、自分でも実験を繰り返した。

いかにして速く装填し、速く射撃体勢に入れるか?


艦が傾いても、給弾が途絶えたり詰まったりしてはならない。

単純で精密で信頼性の高い装填装置を考え出す必要があった.


1894年から10年の間、実物大の木製模型によるシミュレーションを繰り返した。

海兵も火器管制システムの一部となるまで訓練を続けた。


実際、砲塔内部は閉塞空間であり、今までの様に、勝手に砲手が砲撃は出来ない。

射撃管制装置が伝えてくるテレメーター表示数値の通りに、砲塔を動かすだけだ。


この時の装填は、砲を照準から外し、一旦水平に戻さなければならなかった。

山崎「う~ん、折角目標を狙ってるのに手間だなあ」


なんとか照準を合わせたまま、次々装填出来ないだろうか?

現在砲塔には8人の人間が必要だ。


砲塔長以下次長、砲手6人である。

これも主砲全自動射撃にして、砲塔員0人にしたいものだ。


今日も日がな一日山崎は自分の工房で唸っていた。

アイデアが尽きてしまったのだ。


山崎「う~ん、う~ん」

そうすると一人の男がのっそりと工房に入ってきた。


山口勝大佐「ほうほうここかあ、新しい工房は」

「これは山口勝砲兵課長殿、現場までお越し頂いて」


山口「結構結構、その顔は行き詰まっておる感じか?」

山崎「いやはや申し訳御座いません」


山口は机の上のスケッチに目を落とした。

「ほほう、全自動射撃か、やるなあ」


山口はそのスケッチにさらさらと何かを描き加えた。


山口「艦底倉庫より垂直に上がってきた徹甲弾を」

「砲塔に来た時に回転させて装填する」

「その機構を考えればいい」


山口はスラスラとスケッチを描き終えた。

イタリアに留学し、フランスにも駐在した山口勝。


彼は多くの砲塔が機力装填であるのを見て帰国していた。

その観察眼と知識は確かなものだ。


山崎「なるほど、考えてみます」

山口「まあ、よろしく」


山口は飄飄(ひょうひょう)と去って行った。

山崎「よ~しやるぞう!」


こうして遂に装填~発射までの過程を6秒間にする事が出来た。


昇降機を回転させて砲身の仰角に合わせて装填する装置だ。


挿絵(By みてみん)

全自動装填装置で仰角のまま装填できる。

挿絵(By みてみん)

砲塔員は0人で、その分砲塔はコンパクトになった。


砲塔長「旋回と砲の俯仰は?」

砲塔次長「照準と発射は?」

第1砲手「装填は?」

第2砲手「尾栓の開閉は?」

第3砲手「揚弾と揚薬は?」

第4砲手「装填位置の設定は?」

第5砲手「砲内の洗浄は?」

第6砲手「揚弾と揚薬の助手は?」


山崎「全部自動です」

砲塔員「ほええ~っ」


砲塔員A「考えてみれば、特訓に次ぐ特訓で」

砲塔員B「機械のような正確さを身につけた訳で」

砲塔員C「そりゃあ機械に取って代わられる道理だよ」


造船のほうも急ピッチで進められた。


日本初の国産戦艦「薩摩」は前倒しで艤装した。

急遽12.7cm(38口径)二連砲塔3基を装備が決まった。


水兵A「この砲は小さいね」

水兵B「しかもライフルが切ってない(滑空砲)よ」

水兵C「上の考える事はわからんなあ」


測距儀は最初5mで計画され、6mになり、結局8mになった。


船首形状についても横須賀海軍工廠に巨大水槽を設けて日夜研究した。

その結果、造波抵抗軽減にはバルバスバウ(球状船首)が向いている事が判明した。


米国でも研究が進んでいたが、実際の考案は1911年であった。

日本の考案は1896年なので15年ほど先んじていた。


さらに艦首には横に2つ穴が開いていて、そこにプロペラが付いている。

工員「なんですか、これは?」


山崎「サイドスラスターだよ」

工員「ハァ?」


工員「どうしてプロペラが2つ付いてるんですか?」

山崎「二重反転プロペラで燃費が3~8%向上するんだ」


工員「どうして・・・・・・」

山崎「・・・・・・」


山崎はアゴをしゃくってそっと背後を見るよう促した。

工員がそっちをそっと見ると憲兵が鬼のような顔をして立っていた。


翌日から工員は無断欠勤となり、解雇となった。

その後、彼を見た者はいない。


ついに「薩摩」と「安芸」は新型戦艦として進水した。

これは前弩級の標準戦艦である。

挿絵(By みてみん)


主楼には巨大な測距儀と射撃指揮所。

第一艦橋第二艦橋とも窓がない異様な構造だ。


その代わりに無数のペリスコープが付いている。

浮かぶ潜水艦と揶揄されるほどに視界が狭かった。

挿絵(By みてみん)


艦隊戦では艦長以下全員が爆死する事がままあった。

窓があり吹き抜け構造が一般的だったからだ。


吹き抜けで爆風を逃がすのだ。

だが山崎は逆の方法をとっていた。


山崎「日清戦争の戦訓ですよ」

「定遠は爆風と火災で、艦上建造物は焼け落ちましたから」


戦車(タンク)のように密閉装甲に閉じこもったのだ。

現在のCICのような考え方だ。

(Combat Information Center:戦闘指揮所)

挿絵(By みてみん)


正面は自艦を中心とした罫線の入ったクリアーボード。

CRTもレーダーもない時代なので、ここに諸情報を書き込んだ。


矢頭(やず)良一(りょういち)が発明した歯車式計算機がここでは役に立った。

手動式からモーター駆動に進化しており、計算は速い。


中心の点滅表示板はテレメーター表示盤で状況を把握した。

指示は紙に書き、内線電話か伝声管で連絡を取った。


果たして鬼が出るか蛇が出るか?

それはあと数年で明らかとなる。


時に1902年。

日露大戦まであと2年であった。

次回は1902年奇想兵器たちです。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] この背負い式は12.7cm? 準弩級は副砲である6インチ砲より大型の準主砲級の大口径砲を副砲に備えた戦艦の事なので、速射性が高いとか自動装填だとか、いくら高性能でも5インチ砲をいくら…
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